11月1日から3日の連休に年一回の旅行メンバーと仙台市の作並温泉に行ってきました。
東北新幹線「やまびこ」が広瀬川を渡って仙台駅に着いたのは昼過ぎ。。新幹線の改札を出ると懐かしい記憶がよみがえってきました。学生時代の友人が仙台に赴任していたことがあり、その頃と改札口の様子が変わっていなかったのです。そういえば、仙台駅に降り立つのはその時以来です。
まずは仙台駅からタクシーで青葉城へ向かいました。デパートや商業施設が並ぶ中を貫く広い道路から街路樹の緑が一層濃い「青葉通り」を抜けて、丘を上ったところに青葉城跡はありました。天守閣は残っていませんが代わりに三日月の兜をかぶり馬に乗った伊達政宗像がお城を守っておられました。大河ドラマ「独眼竜正宗」人気は今でも衰えておらず、BSプレミアムの幟が頑張っていました。
同行の方々は
「『青葉城恋歌』って歌があるけど、天守閣がないんじゃ青葉城跡恋歌だねぇ~」
と不満げでしたが、歌詞を確認してみると、出てくる場所は「広瀬川」、「七夕まつり」、「青葉通り」で「青葉城」は出ていませんでした。
「でも、『あの人はもういない』じゃ恋歌じゃなくて失恋ソングだよね。」
「幸せいっぱいの人はわざわざ歌を聴く必要はないから、失恋ソングの方が共感を得やすいんじゃないの」
雨に煙った仙台市内を眺めながらの「青葉城恋歌談義」を終えて仙台駅に戻り、仙山線で宿泊地の作並温泉へと向かいました。
作並温泉は仙台駅から電車で40分ほど、広瀬川を遡ったところにある山峡の湯で、宿泊した「鷹泉閣 岩松旅館」は鉄筋6階建ての巨大な建物でした。そんな建物とは対照的に開湯当時の岩風呂があって、そこへ続く長い木製の階段があって湯治場の風情も残っていました。
先ほど仙台駅手前を新幹線で渡った広瀬川は都会の川というイメージでしたが、この辺りはイワナが泳ぐ山の中の清流で、そんな川を間近に眺めながら入れる岩風呂でした。
翌日は晴れ、電車でお隣山形県の山寺に行きました。駅を降りると向かいの山のかなり上の方にお寺の建物が点在しているのが見えます。
同行の方々は
「えっ、あそこまで登るの!」
と、驚嘆の声をあげておられますが、登山の常識では「見えるところは近い」、登りに来たのでもちろん登りました。事実、40分ほどで山頂の奥之院まで行くことができます。山寺の名は駅の名前にもなっていますが、正式な名称は「宝珠山 立石寺」で比叡山延暦寺の別院です。最初にある建物が根本中堂で延暦寺と同じ名称です。山門をくぐって登り始めると意外にご高齢の方が多いのにびっくり!!お寺というものがここまで人を惹き付けるものなのだと感心しました。11月でも雨上がりの澄んだ空気を通した日差しは意外に暖かく、登っていると暑くなって、シャツ1枚になっている人も多く見かけました。
登ってゆく途中にも見どころがたくさんあります。
芭蕉が「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」と詠った蝉塚は、この日は人が多くて「閑かさ」の印象はなかったけど、季節が違っても蝉の声が聞こえそうな景色でした。
たくさんの御神籤が結ばれたのが印象的だった「性相院」、登りつめた所にある「奥之院」、どのように作られたか不思議な「三重小塔」、行くまでも大変そうな「胎内堂」、背後の景色にぴったりあった「納経堂」と「開山堂」、山腹に突き出すように建てられた「五大堂」からの眺めは絶景でした。
人が多かったけど、それだけの人を集める魅力があるお寺でした。
この日は旅館に戻ったあとは夕食までの時間は温泉プールでひと泳ぎ、それくらいの気力と体力は残っていましたが、夕食後に岩風呂への階段を降りるときは結構しんどかったです。
最終日は「マッサン」にも出てくるニッカウヰスキー工場の見学に行って、昼過ぎの電車で仙台に戻って新幹線で帰京の予定でしたが、朝食を終えてロビーを通ったときにホワイトボードの前に人が集まっていました。「仙山線は線路点検のため、12時頃まで運休」とのこと。これはどうもまずいことになってきました。そもそも線路点検って何?点検って予定されたものではないの?昨日電車に乗ったときには線路点検の予定はどこでも報じていなかったから予定されたものではなさそうだけど、そうなると何だか腑に落ちない理由である。ともかく、旅館の送迎バスで電車が動いている愛子(あやし)駅まで送ってくれるということで、それに乗って愛子駅まで向かうことにしました。愛子は仙台に向かう途中の駅で、郊外から住宅地に入ったあたりにありました。
バスを降りると、駅では仙台行きの電車がまさに発車する時間でした。ただ、これに乗って仙台に行っても、愛子も仙台も仙台市内の駅なので仙台では改札の外に出られずに新幹線の時間までの3時間余りを駅構内で過ごさなければなりません。ここからなら電車の本数も多いので、躊躇していると発車のメロディが流れてドアが閉まりました。
近くに何かないかと駅前の地図を見ると天文台があったけど、「昼間行っても星見えないでしょう」とあえなく却下になりました。
ならば、バスのルートに何か面白そうなところはないかと、バス停に行ってみると7~8人のグループが何やら相談中でした。日本語ではなく中国語を話しています。中国語をちょっと学んだことがある私は
「どこへ行きたいのですか?」
と尋ねると、地図の秋保温泉を指した。どうやら台湾からの観光客らしかった。
「秋保温泉に泊まるのですか?」
「そうです。」
バスの時間を見て
「1時間半後です」
と伝えると
「タクシーはいくら?」
しかし、タクシーが見当たらない。タクシー乗り場に書いてあった電話番号に掛けて、聞いてみました。
「三千円ぐらいだそうです。でも人数多いから2台必要です。」
「ならば、2台呼んで欲しい」
タクシーは近くにいないらしく15分ほどお待ちくださいとのことなので、話をしながら待ちました。。そのうち、
「帰りのタクシーは向こうで待ってくれますか?」
と聞いてきました。あれ?泊まりじゃなかったの?
「温泉でタクシー待たせたら、お金たくさん掛かりますよ」
「いえ、温泉でなくて秋保大滝に行きたいのです」
秋保大滝は秋保温泉のさらに先にあって、距離は倍近くありそうです。そうこうしているうちにタクシーが到着しました。秋保大滝までは片道1台5千円とのこと。2台で往復なら4倍の2万円である。さすがにこの金額を聞くと
「キャンセルしたい」
と、言いました。無理もありません。滝を見るだけで2万円は安い金額ではないです。
結局、キャンセルすることになり、台湾のみなさんが半ば遠慮する運転手さん二人に幾らかのお金を渡して終了となりました。
「お役に立てずごめんなさい。」
という私に
「こちらこそ、ごめんなさい。」
と言って別れましたが、私の中国語がまともだったらこんなことにはならなかったと、反省しました。
そのあとは私の行動にあきれたメンバーの二人が、近くを探し歩いて見つけてくれた食堂で昼食を食べ、タイミングよくやってきた仙台行きの電車に乗り込み、帰宅の途につきました。
電車が動かないというハプニングもありましたが、それも含めて三日間に色々なことがあって、とっても楽しい旅でした。
東北新幹線「やまびこ」が広瀬川を渡って仙台駅に着いたのは昼過ぎ。。新幹線の改札を出ると懐かしい記憶がよみがえってきました。学生時代の友人が仙台に赴任していたことがあり、その頃と改札口の様子が変わっていなかったのです。そういえば、仙台駅に降り立つのはその時以来です。
まずは仙台駅からタクシーで青葉城へ向かいました。デパートや商業施設が並ぶ中を貫く広い道路から街路樹の緑が一層濃い「青葉通り」を抜けて、丘を上ったところに青葉城跡はありました。天守閣は残っていませんが代わりに三日月の兜をかぶり馬に乗った伊達政宗像がお城を守っておられました。大河ドラマ「独眼竜正宗」人気は今でも衰えておらず、BSプレミアムの幟が頑張っていました。
同行の方々は
「『青葉城恋歌』って歌があるけど、天守閣がないんじゃ青葉城跡恋歌だねぇ~」
と不満げでしたが、歌詞を確認してみると、出てくる場所は「広瀬川」、「七夕まつり」、「青葉通り」で「青葉城」は出ていませんでした。
「でも、『あの人はもういない』じゃ恋歌じゃなくて失恋ソングだよね。」
「幸せいっぱいの人はわざわざ歌を聴く必要はないから、失恋ソングの方が共感を得やすいんじゃないの」
雨に煙った仙台市内を眺めながらの「青葉城恋歌談義」を終えて仙台駅に戻り、仙山線で宿泊地の作並温泉へと向かいました。
作並温泉は仙台駅から電車で40分ほど、広瀬川を遡ったところにある山峡の湯で、宿泊した「鷹泉閣 岩松旅館」は鉄筋6階建ての巨大な建物でした。そんな建物とは対照的に開湯当時の岩風呂があって、そこへ続く長い木製の階段があって湯治場の風情も残っていました。
先ほど仙台駅手前を新幹線で渡った広瀬川は都会の川というイメージでしたが、この辺りはイワナが泳ぐ山の中の清流で、そんな川を間近に眺めながら入れる岩風呂でした。
翌日は晴れ、電車でお隣山形県の山寺に行きました。駅を降りると向かいの山のかなり上の方にお寺の建物が点在しているのが見えます。
同行の方々は
「えっ、あそこまで登るの!」
と、驚嘆の声をあげておられますが、登山の常識では「見えるところは近い」、登りに来たのでもちろん登りました。事実、40分ほどで山頂の奥之院まで行くことができます。山寺の名は駅の名前にもなっていますが、正式な名称は「宝珠山 立石寺」で比叡山延暦寺の別院です。最初にある建物が根本中堂で延暦寺と同じ名称です。山門をくぐって登り始めると意外にご高齢の方が多いのにびっくり!!お寺というものがここまで人を惹き付けるものなのだと感心しました。11月でも雨上がりの澄んだ空気を通した日差しは意外に暖かく、登っていると暑くなって、シャツ1枚になっている人も多く見かけました。
登ってゆく途中にも見どころがたくさんあります。
芭蕉が「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」と詠った蝉塚は、この日は人が多くて「閑かさ」の印象はなかったけど、季節が違っても蝉の声が聞こえそうな景色でした。
たくさんの御神籤が結ばれたのが印象的だった「性相院」、登りつめた所にある「奥之院」、どのように作られたか不思議な「三重小塔」、行くまでも大変そうな「胎内堂」、背後の景色にぴったりあった「納経堂」と「開山堂」、山腹に突き出すように建てられた「五大堂」からの眺めは絶景でした。
人が多かったけど、それだけの人を集める魅力があるお寺でした。
この日は旅館に戻ったあとは夕食までの時間は温泉プールでひと泳ぎ、それくらいの気力と体力は残っていましたが、夕食後に岩風呂への階段を降りるときは結構しんどかったです。
最終日は「マッサン」にも出てくるニッカウヰスキー工場の見学に行って、昼過ぎの電車で仙台に戻って新幹線で帰京の予定でしたが、朝食を終えてロビーを通ったときにホワイトボードの前に人が集まっていました。「仙山線は線路点検のため、12時頃まで運休」とのこと。これはどうもまずいことになってきました。そもそも線路点検って何?点検って予定されたものではないの?昨日電車に乗ったときには線路点検の予定はどこでも報じていなかったから予定されたものではなさそうだけど、そうなると何だか腑に落ちない理由である。ともかく、旅館の送迎バスで電車が動いている愛子(あやし)駅まで送ってくれるということで、それに乗って愛子駅まで向かうことにしました。愛子は仙台に向かう途中の駅で、郊外から住宅地に入ったあたりにありました。
バスを降りると、駅では仙台行きの電車がまさに発車する時間でした。ただ、これに乗って仙台に行っても、愛子も仙台も仙台市内の駅なので仙台では改札の外に出られずに新幹線の時間までの3時間余りを駅構内で過ごさなければなりません。ここからなら電車の本数も多いので、躊躇していると発車のメロディが流れてドアが閉まりました。
近くに何かないかと駅前の地図を見ると天文台があったけど、「昼間行っても星見えないでしょう」とあえなく却下になりました。
ならば、バスのルートに何か面白そうなところはないかと、バス停に行ってみると7~8人のグループが何やら相談中でした。日本語ではなく中国語を話しています。中国語をちょっと学んだことがある私は
「どこへ行きたいのですか?」
と尋ねると、地図の秋保温泉を指した。どうやら台湾からの観光客らしかった。
「秋保温泉に泊まるのですか?」
「そうです。」
バスの時間を見て
「1時間半後です」
と伝えると
「タクシーはいくら?」
しかし、タクシーが見当たらない。タクシー乗り場に書いてあった電話番号に掛けて、聞いてみました。
「三千円ぐらいだそうです。でも人数多いから2台必要です。」
「ならば、2台呼んで欲しい」
タクシーは近くにいないらしく15分ほどお待ちくださいとのことなので、話をしながら待ちました。。そのうち、
「帰りのタクシーは向こうで待ってくれますか?」
と聞いてきました。あれ?泊まりじゃなかったの?
「温泉でタクシー待たせたら、お金たくさん掛かりますよ」
「いえ、温泉でなくて秋保大滝に行きたいのです」
秋保大滝は秋保温泉のさらに先にあって、距離は倍近くありそうです。そうこうしているうちにタクシーが到着しました。秋保大滝までは片道1台5千円とのこと。2台で往復なら4倍の2万円である。さすがにこの金額を聞くと
「キャンセルしたい」
と、言いました。無理もありません。滝を見るだけで2万円は安い金額ではないです。
結局、キャンセルすることになり、台湾のみなさんが半ば遠慮する運転手さん二人に幾らかのお金を渡して終了となりました。
「お役に立てずごめんなさい。」
という私に
「こちらこそ、ごめんなさい。」
と言って別れましたが、私の中国語がまともだったらこんなことにはならなかったと、反省しました。
そのあとは私の行動にあきれたメンバーの二人が、近くを探し歩いて見つけてくれた食堂で昼食を食べ、タイミングよくやってきた仙台行きの電車に乗り込み、帰宅の途につきました。
電車が動かないというハプニングもありましたが、それも含めて三日間に色々なことがあって、とっても楽しい旅でした。
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