『キリコは能登のシンボルであり、
祭りは生活とも密接に関わっている。
祭りができなくなってしまうと、みんなの心が折れてしまう』
1月1日の能登の震災、
家屋の崩壊、地盤の隆起、道路の亀裂、火災・・
家屋の崩壊、地盤の隆起、道路の亀裂、火災・・
火災で焼失しなければと願った、キリコ会館。
約30基が保管、展示されていて、20基が壊れたと。
職員も被災したため、
これまで詳細な被害を、確認できていなかったという。
これまで詳細な被害を、確認できていなかったという。
2月18日午後2時、北國新聞と職員たちが、
キリコ会館に入って、1枚の写真を公開。
キリコ会館に入って、1枚の写真を公開。
職員たちは、暗闇に懐中電灯を照らしてみた光景に、
言葉を失い、
言葉を失い、
『 あの日以来、展示室に入るのが怖かった 』
『 地震は日常だけでなく、能登の魂まで奪うんか 』と、
5、6メートルのキリコが行く手を阻むように横倒しとなり、
漆塗りの担ぎ棒には痛ましい亀裂が刻まれていた・・と。
北國新聞の写真は、
下の写真の、左の青い2つの丸印以外の、
キリコは右、左に折り重なって倒れている。
キリコは右、左に折り重なって倒れている。
一枚の写真だけですが、私はいくらか、ホッとした。
ひとつ、肩の荷が下りたような気がした。
燃えてなかった ‼
折れて倒れても、形が残っているなら ‼・・と。
燃えてなかった ‼
折れて倒れても、形が残っているなら ‼・・と。
👇この「蒙福徳」の山車は12メートルちょい、
担ぎ棒と、4本柱が折れ、傾いていたと。
担ぎ棒と、4本柱が折れ、傾いていたと。
『 祭りや行事、
人と人のつながりが能登を復活させる
一番のモチベーションになる
それを支援するのが県の最大の仕事だ』・・と、
一番のモチベーションになる
それを支援するのが県の最大の仕事だ』・・と、
馳浩知事は云う。
今、私は信じる‥ウン ‼
今、私は信じる‥ウン ‼
職員がつぶやく、
『 夏には祭りができる状況になってほしい 』
が
現実になるのを願いながら
現実になるのを願いながら
おどろきました。
北国新聞での記事・・良くぞ、この様な記事・・
12メートルもあるキリコ美しく輝いています。
私たちも信じたい・・復興して再び「キリコ」を
担いで、人々の元気な姿を拝見したい。
その頃にはとよ様もキリコに触れて、元気になる事
能登半島の光が見えました。
2か月以上経っての、キリコ。
不謹慎ですが、なぜかホッとしました。
何台かは、祭りの山車になるかと思います。
開催の情報あれば、きっと出かけると決めてます。
能登のシンボル。文化財ですよね。
美術工芸品、小七してしまわずに本当によかったですね。
民衆の意気みたいなものがあります。
被災された中でのこと、ご苦労を思いますが、
時間がかかっても修理修復、きっと復活されるでしょう。
テレビでも報道されず、ちょっとずっと気にしていましたが、能登のシンボルが残ってて、ホッとしてます。
開催されたら、行って見たいですね。