寺伝によると、807年、伊予親王(淳輪天皇の弟)の菩提を、
弔うために遍照僧正がこの地の領主に堂宇を作らせたとある。
弔うために遍照僧正がこの地の領主に堂宇を作らせたとある。
旧蒔田村・清水谷の山奥に草創され、花台山と呼ばれ、
915年、村の子供たちの間で疱瘡(天然痘)が流行し、
寺の場所を移すよう観音様からのお告げがあって、
里たちの住むこの場所に移して、
観世音に平癒を願ったら、天然痘は威力を失い、
以来、病魔に犯された子供は、観世音に祈って救われて以来、
以来、病魔に犯された子供は、観世音に祈って救われて以来、
童子堂と呼ぶようになる。
誰が彫ったか、子供にも好かれるフォルムで、仁王像。
👇広い寺域の仁王門の虫食いの柱や、
猫(?)肉球もまた素朴で、
猫(?)肉球もまた素朴で、
好物のネギに挨拶すれば、藤棚、右手に堂宇が。
👇江戸中期・1701年、江戸の田井三右エ門弘祐と、
その女房、お銀が施主となって、
秩父府坂峠の地に再建したもので、
秩父府坂峠の地に再建したもので、
1910年、この土地に移築された、
極彩色豊かにして華麗な、秩父札所22番、童子堂。
天井には、
👇迦陵頻伽(かりょうびんが)の浮彫りが施されていて、
納経所の人影を確認し、周りを見回し、
納経所の人影を確認し、周りを見回し、
1枚だけ撮りたいなァ~・・
でも、やめた ‼
でも、やめた ‼
張り紙がマナー違反を、強烈に戒める ‼
明日は、古河市へ日帰り出張
明日は、陽が射すとなれば、気も晴れ
明日は、陽が射すとなれば、気も晴れ
今夜の寒さの、賄いは
湯豆腐にゴマ入りの高菜漬けをまぶして
湯豆腐にゴマ入りの高菜漬けをまぶして
ちびッと、八海山で一杯・・ッと
・・・・・
のに、豆腐がない
無い 無い
・・・・・
のに、豆腐がない
無い 無い
どうなさいました?
彩色も残ってお堂の上部ぐるりと、みごとですね。
子供が天然痘に罹ったのを撲滅する為の「童子堂」
人々が子供たちを救う気持ちでのお堂が、現在も
人々に感動を与えていますね。
圧倒される彫刻・・堂内を撮りたいのを我慢されて
も、豪華な建物に驚きます。
秩父の文化を知ることは、とよ様に教えていただきました。ありがとうございます。
豆腐探せど、さがせど・・。
手っ取り早く、シュウマイを蒸して今夜の賄でした。
彫刻のある社寺に出逢うと、キリっとします。
元々はね群馬県を中心に、1700年代の彫り師を、
ライフワークにしていますので・・。
メインは、1731年生まれの、関口文治郎であります。
社寺の縁起を知ると、一段と建物が寺域が新鮮に見えてきます。
きっと、そうですよね‼
特に童子堂の由来は、施主や天に、民衆の声が届いたような気がします。
秩父、そんなところで、いいところですね。