拠無い出来事に、
皆さんのブログに訪問できませんでした。
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今日からは平常の生活に戻ります。
善光寺、光三尊阿弥陀如来を本尊として
創建以来、約1400年。
百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像
10世紀、京の貴族に広まった浄土信仰を、
僧侶、善光寺平さんが本尊を背負って、
全国を遍歴をして、
善光寺信仰を広めたといい、
僧侶、善光寺平さんが本尊を背負って、
全国を遍歴をして、
善光寺信仰を広めたといい、
大衆のためのお寺。
👇火災のたびに、再建する費用は、
本尊の分身を全国に出開帳して浄財で賄ったといい、
今の堂宇は、1707年に再建されたといいます。
本尊の分身を全国に出開帳して浄財で賄ったといい、
今の堂宇は、1707年に再建されたといいます。
読経が響く堂宇の中で、手を合わせ、
もう一度、この時ポンと気が落ちました。
もう一度、この時ポンと気が落ちました。
👇橋の傍の、喫煙所、
腰掛け石に座った時には、
境内の写真を撮る気力が、無くなってた。
腰掛け石に座った時には、
境内の写真を撮る気力が、無くなってた。
出来上がった善光寺、入り込む隙がない。
👇本堂の一本の柱だけ、ひん曲がってた。
長い年月で、天上から下2mばかりからの捻じれ、
製材されても、木は生きてる、
長い年月で、天上から下2mばかりからの捻じれ、
製材されても、木は生きてる、
こ踊りしてしまった。
👇護摩堂。
👇新潟県十日町の観蓮会が昭和45年に寄贈した、
大賀一郎博士が発見して、
2千年前の蓮の種子を発芽させ、咲いたという蓮。
2千年前の蓮の種子を発芽させ、咲いたという蓮。
👇1192年、源頼朝さんが参拝の時、
馬の蹄がはまって、馬から降りここからは、
歩いて行ったという、駒返りの橋。
馬の蹄がはまって、馬から降りここからは、
歩いて行ったという、駒返りの橋。
👇水子地蔵尊
江戸時代、荒廃してた善光寺を復活させたのは、
徳川家。
江戸出開帳の時には、
江戸城の大奥が、希望して前立本尊を招いたといいます。
徳川家光公の正室・春日局、家光次男の正室紅玉院さん、
👇大奥の関係者の供養塔。
徳川家。
江戸出開帳の時には、
江戸城の大奥が、希望して前立本尊を招いたといいます。
徳川家光公の正室・春日局、家光次男の正室紅玉院さん、
👇大奥の関係者の供養塔。
👇戊申戦争から太平洋戦争まで、
亡くなった、240万人の英霊を祀る、
仏式の霊廟・善光寺資料館も中に・・。
亡くなった、240万人の英霊を祀る、
仏式の霊廟・善光寺資料館も中に・・。
👇三門。
👇高村光雲さんと米原雲海さんの合作。
すげぇ~ ‼
仏法は四門四宗とわかれていても
澄みきった月のように
帰するところは
帰するところは
一つである・・・う~ん
昨日は中秋の名月
夕方から爆睡だった
👇
夕方から爆睡だった
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月影や 四門四宗も 只一つ
芭蕉1688年8月の句
善光寺ここで、さよならです
善光寺はかなり昔ですが、姉と行きました。懐かしいです。
御多忙の日々が落ち着かれたご様子、お疲れが出ません様に。
1948ofさん、こんにちは。
美しいフォルム、迫力ある彫刻でした。
懐かしいと、感じていただければ幸いです。
今日も少し寝ていて、今は元気が蘇りました。
歴史があるということの凄さ!!
1400年の間に色々な人の御加護があって、現在まで立派に人々のために存在する・・・
改めて歴史を顧みると、凄い事ですね。
人々が熱心にお参りすることが分かります。
その中で、彫刻も素晴らしく魅了します。
私は善光寺参りは一度だけでしたが、真っ暗な
階段を下りてゆく「お戒壇巡り」が印象に残って
いるのです。平凡ですね(*_*;
時々の雨で、気もそがれましたが、
すごい所だとは判りました。洗練された仁王像は特に印象に残りました。
お戎壇巡りの所があったのですね、気づきませんでした。
今度はいつ行けるか分かりませんが、
その階段を下りて見ましょう ‼