春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

別荘地 鎌倉 燃える!

2016-05-16 21:33:57 | Extra
今晩は!

たった今!
下記の鎌倉の地震の記事を書き終わったばかり!
震3の地震です。

今日はここまで・・・・みなさん被害は?


静岡駅



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この日の鎌倉は、前夜からの豪雨が収まり、雲が切れ風も和らぐかと思われる空模様だった。
一瞬の大地震によって、鎌倉4千戸あまりの家屋土蔵などのほとんどが崩壊した・
昼食の準備の為、町内の各所から出火。
火勢は拡大して、町の中心部は消失した。
更に第二震の直後、八~九メートルに達した津波の襲来によって被害は増大し、
海岸地区の多くの、船舶や家屋が破壊され流失した。
鎌倉町は数多くの人命を失い、社寺建造物も多くの被害を受け、
鶴岡八幡宮・建長寺・円覚寺も倒壊した。
『鎌倉震災史』(1930年鎌倉町発行)

長谷の通りは今の半分の広さだったから、両側から家が倒れかかって、
みちを塞ぎ、人も通りなかった。このあたりは火事で丸焼けになった。
新調した消防ポンプを使って放水したが、揚水も涸れてまったくだめだった
(長谷 石渡弘雄)

新築したばかりのトタン屋根の家は無事だったが、飼っていた鶏は全部どぶの中に
頭を突っ込んで死んでいた。
第一小学校の方に逃げる途中、死んだ人をまたいでいった。
夜はハリス幼稚園の木に蚊帳を吊って一夜を明かした。
(由比ヶ浜 坂間ヤス)

激震襲う!
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分45秒
震源地 相模湾北西部
マグニチュード 7.9

関東大震災
上記記事は引用文です。

この2年後192525年9月7日
『横浜貿易新報』は「自給自足の鎌倉処女会」の見出しで
鎌倉町処女会を取り上げ、震災で、一旦は四散したが、
会長や幹部は踏みとどまって、配給品や廉売で活動した。
其の為か会は間もなく復帰し、百余名になった、会員が自給自足主義で働いていると報じている。
コメント (1)
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