歴史資料の重要文化財の「氷川丸」
1928年(昭和3年)11月9日に起工、
1929年(昭和4年)9月30日に進水、1930年(昭和5年)4月25日に竣工。
太平洋戦争では病院船として運用。
最終航海は、1960年(昭和35年)8月27日に横浜からシアトルへ出港。
10月1日に横浜に戻ると、10月3日に神戸に到着。
神戸から横浜に回航され、太平洋横断238回をもって航海を終えた。
延25,000人余りの乗客を運んだという。
船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、
2003年(平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受け、
2016年8月に国の重要文化財(歴史資料)に指定された。
氷川丸のサービスの良さが評判を呼び、
著名人を含む多くの賓客で賑わった。
ここのインテリアの特徴は、
掛け毛布のたたみ方、これだけでもインテリア。
広げるのがもったいない。
この心遣い、
これだけでも、長い旅の疲れが癒されるのでしょう。
一等室は2部屋と浴槽。
一室にベッドが2つ、隣部屋にはテーブルが設えている。
2つの部屋にそれぞれベッドがある。
部屋と部屋を挟んで浴槽がある。
社交室
1937年(昭和12年)の47次航海では
イギリス国王ジョージ6世の戴冠式から帰国の途にあった
秩父宮夫妻がカナダ・ビクトリア港 から乗船、
その時のテーブル。
1932年(昭和7年)の11次航海ではチャールズ・チャップリンが乗船、
1939年(昭和14年)の59次航海では
宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の訪米芸術使節団一行が、
アメリカ公演を終了した後の帰国時に乗船するなど、
氷川丸は華々しい活躍を続けた。
アメリカ側の発着地であるシアトル市民にとっても、
1930年代、日本から定期的にやってくる「ヒカワマル」は、
馴染み深い存在になっていたという。(参考=ウィキ・案内看板・他)
1951年3月15日太田節三単身、シアトルから同船で帰国。
横浜の街を歩いていると、
レトロと言われる意匠の近代建築があちらこちらにあるので、
楽しみもあるのですが、
この「根岸競馬場」の建物は、気が引き締まる独特な雰囲気です。
1866年横浜の外国人居留地における娯楽施設として建設し、
翌年から競馬に使用されていた。
第二次世界大戦の激化に伴い、1943年6月10日には馬場を閉鎖し、
戦後の進駐してきた連合軍(実質はアメリカ軍)に接収されてしまった。
(ウィキ・抜粋)
現在は、手つかずのままの廃墟。
周りには横須賀米軍の住居もあるのですが、
鉄条網で仕切られ、一般は入ることができません。
この日(18日・土曜日)は朝から晴れていて、
散歩コースの整備もされていて、ランニング、犬の散歩と、
沢山の人が休日を楽しんでいました。
☟ 3本の角柱はエレベーター塔
設計者(Jay・Hill・Morgan、1873年12月10日 ‐ 1937年6月6日)は、
アメリカ・ニューヨーク州バッファロ出身の建築家。64歳の生涯(ウィキから)
競馬所の裏側の景色。
みなとみらい横浜港の景色が見えます
建物を蔽っている蔦が緑になった夕暮れは綺麗でしょうネ!
体調も戻り、幾分安心というところです。
ではまた!
他国に1人だけ子分を持って、
俺の国には、敵が多いが見方もいる。私の役職は大統領!
縄張り意識は強く、繁殖期は年中繁殖することが可能であり、
繁殖力は高く、所構わず。
いらいらや不安など不快な感情を持つ時、
仲間に警戒を促す時は、後ろ足でパソコンのキーで強くスタンピグするのが、
得意とするが・・・・、
間違いない、俺をコケにした女!
フン!
少しは、にじり寄ったけど、女の未来を潰した、
男の風上にも置けない、口先だけの男!
一応の冷静は保っているけど、私は意外と執念深い女、知らない?
額を合わせのは、表向き。
煮えくりかえっている腹の中を、思い知らせるには、
これしかなぁ~い!
残った、のこっタァ~、のこった!
白いの、やるのぉ~!
おまえ、どっちの味方?
黄色い肌でも、腹の中は白!バナナが好物!
決まっているじゃない!
「寄らば大樹の陰」というじゃぁ~ありませんか!
おまいさん、そう、そこの鼻垂らしのおまえさん!
よそ様の可愛い、兎をネタに、
無い頭、使ってんじゃないよ!
・・・・しかし、なんだなぁ~明日は我が身はどうなるんだかネ!
俺は代々「主人は守れ」「守れば、自由に暮らせるといわれたけど・・
最近ナぁ、なんか、ほっとかれているようで、少し自信がグラグラしてんだ!
向こうへ行ってくんない?
しっッ!しっッ!
判んない?
ひとりにして、一人に!
男はどうして、すんなりいかないのか!
今日は、私の微笑みを撮るために来たって言って、
全く馬っ鹿じゃないの!
私の尻を撮ったり、昼寝したり、弁当食って、船に乗ったり、
あっちへふらふら、こっちでフラフラ!
「追っかけ」に舞い上がっているなんて言って、
口ばっかし!
はい。「ガーデン・ベア」ファースト。きみがすべて!
ちなみに、山下公園、入場できるのは、
綺麗な心の人間と、小動物のみですので。
私ねずみ小僧は、賭場っ口まで、下見は上上・・・。
この作家に触れると「さらぎちゃん」と呼びたくなる。
作品や、経歴、文化勲章を受けた、人物と知れば、
一市井の私のようなぼんくらが、軽々しく呼べる、ニックームでは無いけど、
大佛次郎の私生活は、やはりそう言わせるだけの、色香がある。
作品の評論は、その道にお任せして、
高杉晋作も好きな、鞍馬天狗という人は・・・。
《疲れて、民家に、よたよたして入りこむと、、
主人に酒を持ってこさせ、一気に飲んだ。後はごろり、
屁をこいて鼾を轟かせて、眠り始めた。家人は眠れなかった・・・》
映画の筋では見れない、原作の痛快さがある。
横浜で生まれ、鎌倉の大仏の近所に住んでいたから、と、
「大佛次郎」のペンネームにし、女性にもてた、洒落もの!
猫や花に囲まれて、生活ができたらいいなと、思うけど、
今はそれどころじゃない!
八王子、花粉が縦横無隅、まさに天下をとる勢い。
この憎っくき、花粉との戦いを、いかに乗り切るか、
思案の真っ盛中なのであります・・・
埋立地、港の見える丘のてっぺん、
ここにも「ガーデンベア」がいた。
完全に「追っかけ」の舞い上がりは、春の陽射しに負けず劣らず!
右を見れば「鞍馬天狗の生みの親」大佛次郎記念館が。
1階では、一般公募した猫の写真のコンテスト、
奥さん連中が、ひっきりなし、「これ、これ」なんて。
館内は大体こんな色調!
ランプの上の猫たち、
ちょいと脅して、どう降りるか試してみたい、できるなら!
でも、帰り際にやってしまった。
「とべぇ~!」と、つい!
と、小窓から覗いた受付嬢のきらり光った、目と合ってしまった。
ランプに灯りをつけてくれた!
生前の家の一室があって、
玄関外からの明かりのある、これはなんというのでしょう。
その框から3畳の小上がりの、奥の居間には、
家出中や、子作り旅行中を含めて、20数匹の(数え忘れた)
正座?した猫のパネルが、ダンさんを迎えている。