新笠通信 奄美電信版

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ひとの業

2007-06-25 12:58:12 | B9
みなさんこんにちは

みなさんは自縛霊や浮遊霊といったことばを知っていますか
死んだのに成仏できなくてさらに生きている人に自分が受けた不幸と同じような運命をもたらしてくれるエネルギーのような漠然としたものをさすことばですね
土地を取得して建造物を設置するときに地鎮祭が行なわれますね
土地には目に見えないエネルギーが残留している場合があるからわざわざお祓いをするわけです

目に見えないエネルギーを残したままその場所で人間が活動をはじめてしまうと目に見えないエネルギーによってその場所で活動している者が不幸になる場合があると信じられているから儀式というのは途絶えることなく現代まで継続されているのです

目に見えないエネルギーが残りやすいものというのは一般の人が執着してしまうような交換性がある価値を認められているものです
もっとも代表的なものが貨幣や土地です。人間や動物といった生き物でさえも執着の対象となる場合があります

一般の人が執着してしまいやすいものほど十分すぎるほどの清浄さを保たせ続けなければならないのです

土地をめぐって殺し合いをしてきたのが人類の歴史です
国内での殺し合いから外国との殺し合いの規模まで大小を問わず戦争はおこってきました
家庭内での殺し合いだって発生してきたのです

事故が起こりやすい場所では何度でも事故が起こるものです
目に見えないエネルギーに翻弄されていることが周知の事実であるのに周辺の者がなんら改善策を講じてこなかったから似たような悲劇が何度も繰り返されるのです
科学的に分析しても事故が起こりやすい死角というのは確実に存在するにもかかわらず対処すべき機関が長期にわたって無策のまま放置してきたことが考えられます

周辺の住民や行政機関との連携がとれていないポイントほど事故のような不幸が蓄積されていきやすい地点であるといえます

土地については誰もが欲しいと認められるようなポイントほど過去何百年にもわたって熾烈な争奪が繰り広げられてきているわけだからそのようなポイントほど何も起こらないといえるわけがないのです

土地の取得をめぐって敗れた者は命までを絶たれた可能性がとても高いわけですので目に見えないエネルギーが頂点に達した状態でこの世から去っていることが考えられるのです

目に見えないエネルギーがもっとも高い状態で置き土産をしてこの世からいなくなってしまう人が自縛霊のエネルギーのもとであると考えられます

成仏できずに死んだ人は不幸を再現する遺伝子のようなものであると考えられます

何も知らずにあとからやってきてそこで生活を始めた者に自分が受けた悲劇と似たようなものをもたらしてしまうのが自縛霊であるといえます

こういった目に見えないエネルギーの存在を否定したい人は地鎮祭のような儀式を根絶させるぐらいの活動ができる人でないのならば口出しはしないほうがよいと思われます


反対に土地のような財産にあまりにも執着をもたなかった人は浮遊霊になる場合があると考えられます
世の中のあらゆる事象に対して執着を持つことができないままではひとところに滞在することの根拠が失われてしまいます
帰属性を得ることができなかった人が持つエネルギーはひとつのところで発揮されることがなく各方面で無秩序に散発されてしまうわけです
執着をもたなかった人が何らかの対象物に執着をもてなかったことを悔やんだときに成仏できない要件が生まれてしまいます
やり残したことがあると感じたままでは成仏しづらいのです
やり残したことがあるという雪辱感がエネルギーとなって生きている人の中にまぎれこんでしまうことが考えられます
このエネルギーに絡まれると対象物にむかって精一杯努力している人の活動にさまたげをもたらされてしまいます
執着して努力している人の苦労が成就されなくなるような悪い影響をもたらしてしまうと考えられます


成仏するためにはある程度の達成が成し遂げられていないとこの世に未練を残していることがエネルギーを発生させるきっかけとなる場合があると考えられます

過去に競争が激しかったような土地を取得した場合にはそこで地鎮をしたぐらいでは清めたといえる状態までには至っていない場合があります
負のエネルギーが残留したままになっていることがよくあります
そのような場所で負のエネルギーに影響されない場合を考えてみるとそこで活動する人間が持つ目に見えないエネルギーが負のエネルギーに勝っている時だけ克服されるものと考えられます
存在していない過去に非業の死を遂げた人の無念にうちかてるような人はまず存在していないと考えて間違いないのでたいがいの人が人生の中に悪影響をもたらされてしまいます

自縛霊や浮遊霊といったものを信じられることができない人がいるとするのならば、霊というのは現在生きている人間を類型化してみた場合に執着の対象物をもっている人間と執着の対象物をもっていない人間におおざっぱに分類した上で抽象的に表現しているものであると考えると理解しやすいのではないかと思います

類型化された自縛霊や浮遊霊といったものは人間社会を風刺して抽象化したものであると考えればすんなりと理解できるのではないかと考えます

死んだ人間以上に土地などの財産に執着しているものがいるのは事実ですし、執着の対象物をみいだせずにさまよっているわかものなどが存在していることも事実です

地方では地方に残って生活をしている者はだいたい土地に縛られているものです
上の代が残してしまったものはいやがおうにも次の代の活動を拘束してしまうものなのです
上の代があったからその土地に縛られているという根拠も発生してくるわけです

不動産の次には不動産に準じる価値を持つ車両などが負のエネルギーが残りやすいものであると考えられます
事故の瞬間は不幸の頂点であるから事故による無念のエネルギーが残ってしまうことが考えられるのです
負のエネルギーが残っている車両が中古車市場に流通してしまうと新たな不幸が中古車を取得した者の身にふりかかってくることが考えられます

人の生活の基盤となっている財産などにはマイナスのエネルギーが蓄積されやすいものであるから定期的な清浄化を意識して行なっておかなければならないと考えます

人が財産を手放すときはたいてい不幸が発生したあとです

前の持ち主の不幸を継承するようなことがおこらないようにするためにお祓いをするのです

前の持ち主に不幸があったということは偽られざる事実であることは認めなければなりません

不幸があった前所有者の物件を取得し続けていたら気づかないうちに負のエネルギーが相乗効果となって増幅され現在の所有者の身に不幸としてふりかかってくる場合があります

常日頃から清めることを怠ってはいけない人というのが不動産などの財産や従業員などの人を管理する責任がある者です

負のエネルギーが蓄積されている人をよせあつめて活動を維持するようなことがあればその負のエネルギーは確実に責任者への不幸という形でおそいかかってきます

人を管理している者は自分自身と管理している人たちを常日頃から清めておかなければなりません

負のエネルギーが蓄積されていない物件を取得することや負のエネルギーが蓄積されていない人との関係性を構築していくことが目的を成就させるための近道であると考えられます

人々が我先を争って取得を目差しているものには目に見えない負のエネルギーがたまっていやすいのだから希少性のあるものを取得するものは清廉さを失うことがないように気をつけなければならないと思います

ひとむかしまえに心霊関係の分野がはやった時期があると思いますがありのままの人間社会が端的に風刺されていると考えてまちがいないですよ

目に見えるようなエネルギーも目に見えないようなエネルギーもやることなすこといっしょ。考えていることはほとんどいっしょであるということです

おはらいをやる職業の人がみなさんの身のまわりにはいるのではないかと思います

科学的な方法では解決することができなかったから忍んでおはらいにいくのでしょう
現存する人間社会の環境では解決することができなかったからみてもらうのでしょう

科学が追究されつくす日はまだまだやってきません
人間社会が万能となる日などは訪れません

現実に確実に存在するのは願望というエネルギーです
執着というエネルギーです
不幸という事実です
後悔というものは残るものです
無念というものは残るものです

欲にまつわるエネルギーだけは目では見えないエネルギーであるので目に見えないエネルギーで対抗するしかないのです

負のエネルギーに対抗できないのにむやみにたちむかってお祓いなどをすると早死にしてしまいます
修行を重ねた人でなければ目に見えないエネルギーに関与してはいけないのです

執着をもつことは大事なことですがいつもいじょうに身のけがれや身のまわりの負の念を祓うことに気をつかっておかなければならないのです
執着の対象物を見出せないことは危険なことなので成就可能な簡単な目標を設定し成就することの達成感をより多く経験しておかなければならないのです

みなさんの身近な人がしあわせであり続けることができるようにと思う時間をふやしてみましょう
よいエネルギーの相乗効果を高めることは成仏への近道であるともいえます

今日は軽いノリで書いてみましたが理解していただけましたでしょうか
もっと軽いノリで書いたらもっとわかりやすくなるかもしれませんね
わかりやすくすればするほど真実から遠ざかってしまうことも起こるのでくずすのはほどほどにしないといけないと思います

無念を募らせている従業員をかかえているような職場は遅かれ早かれ不幸に見舞われるから気をつけないとあぶないですよ
負のエネルギーが蓄積されやすいような部門の業種が確実に存在するので病院が存在したり病院では対応できない人を扱う人が存在するのです

shake hands

2007-06-25 01:24:17 | 4F
こんばんは 土☆ほた★です
先日の写真はお月様です
今日の写真もお月様です
先日西の空に見えていたのにあっというまに南のほうによってきていました
うさぎのようにすばしっこいですね
ジュピタは相変わらず南の空さそり座の左というポジションをキープしたままです
土星の輪は迫力がありますね

今日は愛情表現についてのお勉強です
大切な人の前以外でははだかの自分をみせてはいけません

以上です

本当にわかっている人なら大切な人のことほど他人には教えたりしません

インターネットなどで大切にしている人との関係をみせびらかしているような人とはかかわりあいになってはいけません

本当のことなんていうものは当のふたり以外知るよしもないということです

他人がどうであろうとふたりの世界にはなにも影響をおよぼす余地がないからふたりだけの関係というのが達成されるのです

世の中にはふたりだけのひみつを知りたがる人であふれているのでそのふたりのことでありもしない話をでっちあげてわるいうわさを流す人がたくさんいるのです

そういうわけでこれから先も大切な人に不利になるような情報をこのブログで流すことはありえないということです

そうすると世の中になにかをひろめたがっている人の話題しか流せなくなってしまうと言うことです

目立ちたい人を目立たせることが主な役割になってくるのでブログの世界では誰かが大切にしている人の話題が出てくることはないといってもおかしくありません

ブログの中に命の次に大事といえるような情報を流している人はいませんよ

過去に消化して吸収したような情報を流さないと大切な人を守ることはできませんよ

ブログの世界では本来まじわることが考えられなかった人同士がすれちがってしまうようにできています

違う世界の人とたびたび交差してしまうわけですがインターネットがなかったら死ぬまですれ違うこともなかったはずなのです

めぐりあうはずがない人同士がすれちがってしまうけれどもお互いの世界のことを理解するためのじゅうぶんな時間はとれないようにできているから

出逢うはずのなかった人とすれちがうたんびに住む世界がちがう者の世界を身近に感じてしまうようになります

住む世界が違う世界があるという世界が存在する事実をたくさん知ってしまいます

住む世界が違うもの同士がいったりきたりすることはできないのです

インターネットの世界でなおかつ匿名の立場を維持することができた者同士しか違う世界の間をいったりきたりすることはできません

実名や社会的身分・立場というものをインターネットの世界に持ち込んでしまうと匿名の人は絡んでこなくなります

インターネットの世界に社会性を要求することになってしまうのです

現実の社会では社会的におかれている立場からかけ離れた人とめぐりあうことはありません

自分が身を置いている社会環境に類似した世界にいる者までが交際をするうえでの守備範囲になってしまいます

絶対に交わることがおこりえない世界というのが層として幾重にも存在するわけです

自分がいる層からかけはなれた人と交際するとあまり充実した人生を送れなくなる可能性があります

都会では住む世界というものが幾層にも存在し互いの層どうしが明確に分離しているのです

小さい頃から似通った者同士の集団の中に身をおくこととなります

地方では都会では現実に確実に存在している社会背景により自分が身を置いている層というものが意図的に不明瞭にされてしまっているため、本来すれ違うはずのなかったもの同士が小さい頃から日常的にまじわってしまっているのです

都会では親によって子供の住む世界が決定されているといえます
地方では様々な世界に住んでいる親の子供が一同に会すことが決定されているといえます

親の住む世界が幾重にも分離されているのが現実であるとすれば子供の住む世界も幾重にも分離されてくるというの自然であるといえます

不自然な環境が存在してしまうとストレスを受けることがなかったはずの人がストレスを受けるようになり長い時間を経たのちに何らかの社会問題として表面化してくることが考えられます

社会保障制度の恩恵に安住する傾向を示す親が出現してくると社会保障制度の恩恵を受けていない親との差異が明確になります
住む世界が違う親を大きく二通りに分けるとこの2者となります
住む世界が違う親の子供同士を一堂に会してしまうと当然のごとく何らかの化学反応がおこってしまいます
何かが破綻している親の子供がいつまでもおとなしくしているはずがないということです
壊れている親の子供がいつまでもまともでいるという可能性は限りなく低いということです
子供はしばらくはおとなしくしているかもしれませんがいずれ親をさらに破壊するか社会を破壊するような行動をとりやすいといえます

建設的な家族運営がなされていない環境にあるものは周囲に存在する建設的な家族運営を実現している者たちの存在が目障りになってきてしまいます
自分の家族が建設的な運営からはほど遠い状況に陥ってしまっていると自然と順調にいっている家族にいるような者の近くから離れていってしまいます
将来性のある家族を経営するという希望とは縁がない場所に自分はいると思ってしまうと人生の上で建設的に階段をのぼることの意義が失われてしまいます
決して手に入れることができない家族の姿というようなものがあることを認めてしまうと人生そのものを完全にあきらめてしまいます
それでも生きていかなければならないので本当に欲しいものが家族であった場合それが絶対に手に入らないものと思っているのであれば身近に親が存在しておれば親を破壊することをエネルギーとしてまたは親近感をもてない家族の環境にある他者を破壊することをエネルギーとして存在し続けていくことが考えられるのです
住む世界が幾層にも分かれているということは小さい頃から現実に格差が存在していると言うことです
家族のような幸せの象徴のようなものからかけ離れてしまっている者は小さい頃からその格差を何倍にも増幅された形で感じているということです

地方などで行なわれている公教育の現場ではあたかも世の中は平等であるかのようなたてまえしか述べることはできないので世の中が平等でないことを肌身に感じている層の子供達はおおやけの立場にある者のことを信用しなくなってしまいます
おおやけの立場にある者は個別の家庭事情などに介入する能力などあるはずもなく当初から介入することを要求されてはいないのです
壊れた家庭の子供達も一元管理しているということが現実なわけです
壊れた親の子供が壊れた場合通常のおおやけのシステムでは十分なフォローなどできるわけがありません
壊れた親から分離して安全な所へ避難させるというようなフローが仕組まれなければならなくなってしまうのです
壊れた子供を安定させるには極端にいうと催眠術のようなものをかけることでしか対処法はないといえます
子供が絶望を感じる要素をすべてとりはらわなければ改善効果があがるわけなどないのです
子供に希望を与えてしまう場合には長期にわたる保証が実現されなければ希望を与えようとしている主体が破壊の対象となってしまいます
希望を与える者の責任はとても重いのです
希望を与える者がいたらその正反対に希望をずたずたに切り裂く者がいるということです
子供が置かれている状況は生活環境の中に希望を与える者がいつでも身近にいるにもかかわらず間髪いれずに希望をずたずたにしてしまう者が身近にいるということです
しかもそれが親である場合が多いということです
こういう状況におかれた子供はおおやけも親も両者やることなすこと無責任であると感じ社会全体に失望を感じてしまう場合があります
おおやけは子供の将来を責任をもってさいごまで見届けてやる機能は要求されていないのです
身近な環境に殺されてしまったような子供達がたくさんいるというわけです
親にもおおやけにも絶望を感じたまま世間に出て行ってしまいそこでは初期のころだけは希望を感じることもあるかもしれませんが小さい頃に育った環境に信頼を持っていなかった者はどこへ行っても理想的な環境という漠然とした希望を持ってしまうので行った先々で勘違いをしてしまうことが考えられます
小さい頃に身近な環境に不信をもってしまった子供達は結局社会の中にも信用できるところを見つけ出すことができないでいつづける事が考えられます
社会の現実は建設的な準備段階を行なえなかった若い人ほど理不尽な仕打ちを受けてしまうような世界になってしまっています
小さい頃から建設的な環境に身をおいていなかった者は社会に出てしまうとさらに建設的な環境とはほど遠い世界の住民になってしまいます
建設的な環境にあったかなかったというのは現実に明確に存在する社会格差そのものです
住む世界が違うというのはまさしくこれまで実際に存在していた社会階層そのものが違うということです

おおやけの教員は社会階層そのものに対してはなんら影響を与えることができないということです
社会格差からくる集団内部のひずみに対応できるようには養成されていないという事です

ひどい親が多いのは真実です
でも子供を親から分離することまではできないのです
親が子供の所有権を主張するからです
子供を所有物だと思っている親が存在するのです
人間は誰の所有物にもなりえることはありません
社会人は合法的な社会契約に基いて集団との関係性を構築しているわけだから集団が個人を所有しているという考え方は誤りです
建設的な環境になかった子供達のほとんどは合法的な社会契約とは無縁の集団と関係性をもってしまう危険性が高いのです

今日は大切な人にむかってみんなには内緒ですきといっちゃおうということを言いたかったのですがうっかりいろんな人のことを考えてしまいました
ですから、大事な人に何を言ったかというのは死ぬまで誰にもおしえないということです
誰かが誰かを大事にしているということは当事者であるふたり以外は誰も知っているわけがないということです
ブログなどにたいせつな人に言ったはずかしいようなセリフは書いちゃだめだよということです
誰かを大切にしているという内容のセリフは死ぬまで当のふたりだけの秘密であるということです
他人に大切な人がゆってくれたセリフをみせびらかしているような人はそのうち大切にされなくなりますよということです
ふたりだけの秘密がどれだけあるかが問題であるということです

いやみなさんは好き勝手にしてよいのだと思います
大切な人の秘密だけは守ったほうが長続きしますよということです
大切な人がたくさんいる人は秘密をかかえすぎていつか誰かを傷つけてしまうでしょう
修復できないほどに大切な人を傷つけてしまうのであれば大切な人は1人にしぼったほうがよいですよ

大切な人に大切だよと言うことさえできていたら死ぬまで後悔しないような気がします
かんじんなことを伝えることができなかったらいつまでも後悔してしまいます

それでは みなさんに残された時間はあまりありません
大事な人にだけはかんじんなことをいっておきましょう

ばいばい