おはようございます
若干早い時間帯ではありますが日付もかわりましたことですし発行いたします
ロシアですね。旧ソビエト連邦
日本政府としてのロシア外交政策の見解は調査不足のためコメントいたしません。
市・県レベルでの外交政策というのは検討されたことがあるのでしょうか?
その前になにゆえ外交というものが発生するのか検討をする必要があると思います。
外交をする必要がないという世界は地域内完結型の完全循環経済であるといえます。
思想・信条の異なる他国の視線を気にすることなしに自国の内需で用が足りてしまう。
そんな国があったらどこの国の人だってでもその国へ移住してしまうでしょう。
しかし現実世界はそううまくはできていないのです。
ここから先は完全にフィクションとなります。
政治経済歴史法律推理小説となります。処女作になります。
以下の全部または一部の複写・複製・転訳載等を禁じます。非常に危険であります。
______________________________________
江戸時代が終わったのは物質取引経済社会におけるグローバル化の波を避けることができなかったためです。
資本主義経済というのは投資額に見合うだけの採算を想定した上での行動が原理となります。
産業革命後の資本主義国の行動というのは、収益がある程度確保できることを見込んだ上での投資行動を誰もが選択してしまったために、本来発生することがなかったはずの「商品」を大量に在庫としてかかえることになってしまったのです。
在庫を処分できないとしたら投資額にみあうだけの採算どころか巨額の赤字をかかえてしまいます。事業体そのものが消滅してしまうことも容易に考えられます。それらの事業体が国から多額の支援を受けているとするならば、国体の存亡にかかわる危機であることが予測されます。国の資金が枯渇するということは『国民の生命・財産を守る』ための措置をなんら施せないことを意味します。
『市民の生命・財産の安全を維持する』ということの意味の大きさを理解できる人はこの国・この島にどれぐらいおられますでしょうか?
国の存在意義といっても過言ではないほどの重要な使命なのです。
日本は大陸のいくつもの国境を持つ国家と違い、大陸から遠く隔てられた島国であります。大陸の国々の現実というのをまったく認識することがないまま明治時代に突入してしまったのです。
先ほどの「商品」在庫をかかえた国というのは「商品」を売りさばいて現金化しないことには自国を守ることができません。『市民の生命・財産を守る』ためには多数の人材と多額の経費を必要とするのです。軍隊を維持するには事業体が在庫として持つ「商品」を現金化して税金収入を確保しなければならないのです。既存の顧客には「商品」がゆきわたっているからこそ「商品」在庫が存在するわけで、事業体は新規の顧客を開拓し商品を売りさばかなければならないのです。事業体は資本主義経済が未成熟である東南アジアやアフリカ・南アメリカを新規顧客先として自国に一方的に有利となる「商品」取引を展開しました。
当時の資本主義経済国にとって資本主義的発想を持つ市民が存在しない国というのはもはや国でもなんでもない動物園のようにしか見えていなかったであろうと思います。当時の列強諸国はすでに法治国家として法の下に万民が平等であり『市民の生命・財産の安全を保障』されていたため、法律が適用されている地域内ではいかなる人も法律により『生命・財産の安全を守られる』ものであると市民の誰もが認識していたと思われます。このような国の人々の社会観・価値観からして考えられうることは、法律が存在していない地域というのはもはや国家として認知するに足らないおままごと集団であるとしかとらえられなかったのではないかと思われます。法律がない地域の人を殺害し金品を強奪してもなんら仕返しを受けることはないという感覚が根付いていたものだと思われます。資本主義諸国の人からすれば自国の法律が適用されていない遠方の地域で凶悪犯罪を犯しても自国の法律の適用範囲外でありまた当地域におよそ法律とされるものが存在しておらず誰にもとがめられることはないと十分理解していたのではないかと思われます。
インド・アフリカ・南アメリカ・東南アジア等の地域は資本主義諸国により植民地化されていきました。
資本主義諸国の心ない人々にとっては植民地に養鶏場を建設し鶏のかわりに現地住民を補充し毎朝現地住民が産み終わった卵を回収するといったような感覚でしかなかったのではないかと思われます。
はなしを戻しますが「商品」在庫をかかえた資本主義諸国は植民地で地域に適した産物を現地住民に生産させその生産物を自国が大量に在庫としてかかえている「商品」と交換、もしくは第3国を経由した貿易を行ったとされるのではないでしょうか。
このような貿易を通じて「商品」在庫の処分を展開してきたのですが、もう世界のどこにも植民地化が可能とされる地域は存在しないのであろうかと見渡してみたところ最後の最後に残された日本の国土が視野に入ってきたであろうと思われます。
江戸幕府が開国しここに法律を有さない日本国に対しての植民地支配が展開されるはずであったといえます。続く
若干早い時間帯ではありますが日付もかわりましたことですし発行いたします
ロシアですね。旧ソビエト連邦
日本政府としてのロシア外交政策の見解は調査不足のためコメントいたしません。
市・県レベルでの外交政策というのは検討されたことがあるのでしょうか?
その前になにゆえ外交というものが発生するのか検討をする必要があると思います。
外交をする必要がないという世界は地域内完結型の完全循環経済であるといえます。
思想・信条の異なる他国の視線を気にすることなしに自国の内需で用が足りてしまう。
そんな国があったらどこの国の人だってでもその国へ移住してしまうでしょう。
しかし現実世界はそううまくはできていないのです。
ここから先は完全にフィクションとなります。
政治経済歴史法律推理小説となります。処女作になります。
以下の全部または一部の複写・複製・転訳載等を禁じます。非常に危険であります。
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江戸時代が終わったのは物質取引経済社会におけるグローバル化の波を避けることができなかったためです。
資本主義経済というのは投資額に見合うだけの採算を想定した上での行動が原理となります。
産業革命後の資本主義国の行動というのは、収益がある程度確保できることを見込んだ上での投資行動を誰もが選択してしまったために、本来発生することがなかったはずの「商品」を大量に在庫としてかかえることになってしまったのです。
在庫を処分できないとしたら投資額にみあうだけの採算どころか巨額の赤字をかかえてしまいます。事業体そのものが消滅してしまうことも容易に考えられます。それらの事業体が国から多額の支援を受けているとするならば、国体の存亡にかかわる危機であることが予測されます。国の資金が枯渇するということは『国民の生命・財産を守る』ための措置をなんら施せないことを意味します。
『市民の生命・財産の安全を維持する』ということの意味の大きさを理解できる人はこの国・この島にどれぐらいおられますでしょうか?
国の存在意義といっても過言ではないほどの重要な使命なのです。
日本は大陸のいくつもの国境を持つ国家と違い、大陸から遠く隔てられた島国であります。大陸の国々の現実というのをまったく認識することがないまま明治時代に突入してしまったのです。
先ほどの「商品」在庫をかかえた国というのは「商品」を売りさばいて現金化しないことには自国を守ることができません。『市民の生命・財産を守る』ためには多数の人材と多額の経費を必要とするのです。軍隊を維持するには事業体が在庫として持つ「商品」を現金化して税金収入を確保しなければならないのです。既存の顧客には「商品」がゆきわたっているからこそ「商品」在庫が存在するわけで、事業体は新規の顧客を開拓し商品を売りさばかなければならないのです。事業体は資本主義経済が未成熟である東南アジアやアフリカ・南アメリカを新規顧客先として自国に一方的に有利となる「商品」取引を展開しました。
当時の資本主義経済国にとって資本主義的発想を持つ市民が存在しない国というのはもはや国でもなんでもない動物園のようにしか見えていなかったであろうと思います。当時の列強諸国はすでに法治国家として法の下に万民が平等であり『市民の生命・財産の安全を保障』されていたため、法律が適用されている地域内ではいかなる人も法律により『生命・財産の安全を守られる』ものであると市民の誰もが認識していたと思われます。このような国の人々の社会観・価値観からして考えられうることは、法律が存在していない地域というのはもはや国家として認知するに足らないおままごと集団であるとしかとらえられなかったのではないかと思われます。法律がない地域の人を殺害し金品を強奪してもなんら仕返しを受けることはないという感覚が根付いていたものだと思われます。資本主義諸国の人からすれば自国の法律が適用されていない遠方の地域で凶悪犯罪を犯しても自国の法律の適用範囲外でありまた当地域におよそ法律とされるものが存在しておらず誰にもとがめられることはないと十分理解していたのではないかと思われます。
インド・アフリカ・南アメリカ・東南アジア等の地域は資本主義諸国により植民地化されていきました。
資本主義諸国の心ない人々にとっては植民地に養鶏場を建設し鶏のかわりに現地住民を補充し毎朝現地住民が産み終わった卵を回収するといったような感覚でしかなかったのではないかと思われます。
はなしを戻しますが「商品」在庫をかかえた資本主義諸国は植民地で地域に適した産物を現地住民に生産させその生産物を自国が大量に在庫としてかかえている「商品」と交換、もしくは第3国を経由した貿易を行ったとされるのではないでしょうか。
このような貿易を通じて「商品」在庫の処分を展開してきたのですが、もう世界のどこにも植民地化が可能とされる地域は存在しないのであろうかと見渡してみたところ最後の最後に残された日本の国土が視野に入ってきたであろうと思われます。
江戸幕府が開国しここに法律を有さない日本国に対しての植民地支配が展開されるはずであったといえます。続く
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