融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

良いお天気です

2014年01月24日 | 日記
今日は晴れ。寒いながらも青空が見えます。廊下の気温、7度。外の方が暖かいくらいです。午前中、町内の方が持ってきてくださった、新しい「こども110番」の看板を、気持ちの良いお日様を楽しみながら付け替えました。道行く人との挨拶言葉も、自然と「今日は暖かいですね」になりました。洗濯物もよく乾いてありがたいです。

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神の言葉は変わらなかった

2014年01月24日 | 聖書のお話
イザヤ書 40章6~8節

 兵庫県南部地震、通称「阪神淡路大震災」から19年が経ち、目に見える部分については復興が進みましたが、目に見えない部分について、また心の痛みについてはどうなのでしょうか。今後の大きな課題と思われるのは、防災に強い町作りとか、支え合う人と人との絆とか、豊かなコミュニティー形成のためのビジョンなどではないかと思います。
 聖書を通して示されているところの、私たちが信じている神さまは、人間を自由にしてくださるお方です。極端な話、神さまに背いたときであっても、人と争ったりしたり、また自然を汚してしまうようなことをしたとしても、忍耐しつつ悔い改めるのを見守っていてくださるお方なのです。つまり、神さまが人間を懲らしめられるとしたら、それは人間が自由を自分の欲望のままに用いた結果ではないでしょうか。言い換えれば、災いとは、人間が選び取って招いたという側面もあるように思います。災いが起こったとき、それを神さまのせいにするのは簡単です。しかし、それで人間の不都合な部分がごまかせるわけではありません。
 預言者イザヤは、南ユダ王国の民が、神ならぬものを神として偶像礼拝をし、欲望のままに富を追い求める有様を見ました。イザヤは、神の民を糾弾し、その不信仰の故に神の裁きを招くという預言をしました。その預言は、バビロン捕囚となって実現しました。その裁きは、神の民が自らの自由意思によって選び取った苦難であり、自分たちの国を滅亡へと至らせるものとなりました。
 けれども同時に、イザヤは神の民イスラエルの復興のために「救い主」が現れ、王国の再生を果たすという預言をしました。その預言は、以前と同じように復興するのではなく、より高い理念を掲げ、同じ過ちを繰り返さない王国として再生するという、理想と希望を掲げて歩み出すために与えられた神の言葉です。イザヤの預言は、救い主イエスさまによって実現しました。神の言葉は、変わることなく実現されたのでした。

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