「幸いとは愛」 マタイによる福音書 5章1~12節
イエスさんは、大勢の群衆に向かって、「心の貧しい人々は、幸いである。」、「悲しむ人々は、幸いである。」、「心の清い人々は、幸いである。」と言いました。貧しさのために心が挫けてしまった人々、苦しいことがあって泣いている人々、困難があっても心を清く保っている人々の日常生活について話されました。
イエスさんは、心の貧しい人々には「天の国はその人たちのものである。」と言い、悲しむ人々には「その人たちは慰められる。」、心の清い人々には「その人たちは神を見る。」と言いました。置かれている状態はそれぞれに異なっていますが、いずれも「幸いである」と肯定しています。そのことを通して、「幸い」とはその人々が置かれている状態のことではなく、神さまに愛されているかどうかであることを教えています。
人間を最終的に「幸い」へと導くのは、神さまの愛です。イエスさんは、神さまの愛が全ての人々に注がれていることを教えるために、置かれている状態が異なる人々全てを「幸いである」と言いました。イエスさんはまた、人々に「自分を愛するように、隣人を愛しなさい。」と教えました。人間は、弱い存在ですが、互いに愛し合うなら全ての人々が幸せになれます。幸いとは、愛によってもたらされるのです。