「正しいことは愛」 マタイによる福音書 3章13~17節
イエスさんは、バプテスマのヨハネのところへやって来て、彼から洗礼(バプテスマ)を受けようとしました。ところが、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところに来られたのですか。」と言いました。しかし、イエスさんは「今は、止めないでほしい。正しいことを全て行うのは、我々にふさわしいことです。」と言って、ヨハネから洗礼を受けました。
洗礼を受けるとは、自分の生き方を悔い改めて方向転換を決断することです。それは、変革をもたらします。罪を悔い改めて方向転換を決断する人たちが多くなれば、社会も変革されるからです。大勢のファリサイ派やサドカイ派の人々がヨハネのところに来て洗礼を受けようとしました。ヨハネは、彼らを「蝮の子らよ」と呼びました。彼らが悔い改めて方向転換する気もなければ、社会の変革を望んでもいなかったからです。
イエスさんは、悔い改めと変革を望んで洗礼を受けました。それが「正しいこと」だからです。イエスさんが洗礼を受けると、天が開けて聖霊が降り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえました。イエスさんは、このときから「神の子」と呼ばれました。イエスさんは、その生涯を通して「自分を愛するように隣人を愛しさない」と教えて福音を宣べ伝え、社会に変革をもたらしました。「正しいこと」とは、愛なのです。