融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2020年11月14日 | 礼拝のご案内

 明日11月15日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「誓わなくて済むなら」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 新型コロナが爆発的な感染拡大状況にある最中、菅首相はGotoトラベルが問題ないと言って継続し、制度を使う、使わないかは国民が判断することだそうです。本来、早く流行を終わらせるような施策をとってから、Gotoなどの振興策を実施するべきなのに、感染の最中に同時に推し進めようとする訳ですので、頭は大丈夫かと言いたいです。業界的には背に腹はかえられないとは言え、他の方法とか幾らでもあると思いますのに。

 あまりの無能・無策に空恐ろしささえ感じますので、愚痴の一つでもこぼしたくなるというものです。もうちょっと、まともな人はおらんのかと思います。

 


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「悔い改めの実」

2020年11月14日 | 聖書のお話

「悔い改めの実」 マタイによる福音書 3章7~12節

 苦しみが大きければ大きい人ほど、無条件で救われたいと願うものではないでしょうか。ユダヤ社会の指導的立場であったファリサイ派やサドカイ派の人々もまた、救われたいと願っていたようです。しかし、彼らは救われる条件を「我々の父はアブラハムだ」という思いに置いていました。それは、他人を見下す選民意識や特権意識を拠り所にする考えでもありました。彼らは、たいして苦しんでもいないのに、救われたいと願っていたのでした。

 バプテスマのヨハネは、罪の悔い改めもなければ、たいして苦しんでもいないファリサイ派やサドカイ派の人々に向かって、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」と言って、厳しく叱りつけました。

 悔い改めの実とは、愛の神さまによる裁きが平等に行われることを信じ、おごり高ぶらず、平安のうちに信仰生活を送り、互いが差別をせず、助け、愛し合えるような社会になるために奉仕をするということではないかと思います。

 


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