「誓わなくて済むなら」 マタイによる福音書 5章33~37節
そもそも「誓い」とは、報いが伴うものです。神さまとの間で誓いを立てるのは、それ相応の神さまからの恵みを期待しているからです。もし誓いを守れなかったなら、それ相応の罰が伴うはずです。しかし、罰など受けたくもないのが本音であり、ややもすると「誓い」とはご都合主義に陥りやすいのかも知れません。だから、昔の人は「神さまに誓ったことは、必ず守らなければならない。」と言い伝えて、誓いを果たせなかった場合に神さまから受ける罰を忘れないようにして来ました。
イエスさんは、神さまに対しても人間に対しても「一切、誓いを立ててはならない。」と戒められました。「誓い」とは、自分に都合の良いことだけを期待する側面があります。その代償は、罰です。イエスさんは、人間が誓いを立てることによって重荷を負って不幸に陥らないように、予め「一切、誓いを立ててはならない。」と戒め、言うべき言葉は「はい、いいえ」「同意する、同意しない」だけで良いと言いました。その教えを通して、神さまによって創られた被造物が幸せに生きるための道を示されました。