融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2022年12月17日 | 礼拝のご案内

 明日12月18日(日)は、クリスマス礼拝として守ります。午前9時からの教会学校は、お休みしています。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは、「天に栄光、地に平和」、賛美歌は「主を待ち望むアドヴェント」(4番)、「きよしこの夜」です。感染症対策をして礼拝を行っています。ご理解の上、ご出席ください。

 敵基地を攻撃するための軍備を持つという、これまでの憲法解釈を180度転換したような閣議決定がなされたとのこと。その文書の中に、「愛国心」も含まれているとのニュースを見ました。よほどの高い徳を有していないと「愛国心」などは語れないものだと思いますが、不祥事にまみれた議員のセリフではないと思います。この国は、ずいぶんと前からおかしな状況が当たり前になっており、自明性の喪失を感じざるを得ません。

 私たちが何か決定するとき、賛成が過半数なら決定するというのが民主主義のルールだと認識しています。重要な決定の際には、3分の2以上の賛成を必用とするルールもあります。ただし、それは会議の全員を対象にしているというのが前提になっています。全員が採決に参加し、過半数とか、3分の2以上なら決定するというのが民主主義なのです。

 一方で、選挙に行く人が概算で40%いて、そのうち21%以上を取ったら与党になり、19%以下なら野党になるというのがこの国のルールです。しかし、21%の人が賛成したからといって、たとえ閣議決定だとしても憲法を越えるような決定をして良いのかという自明性が問われないところが大いに問題ではないかと思います。21%では、国民の過半数や3分の2には達していません。

 この国は、21%の人によって憲法解釈を180度転換するようなことができるとしたなら、それは民主主義の欠陥ではないかと思います。市井の人としては、選挙に100%の人が足を運んで投票することが重要かと考えています。60%の人たちは、自分たちが軽んじられていることに早く気がついて欲しいものだと思います。

 


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「泊まる場所がなかった」

2022年12月17日 | 聖書のお話

「泊まる場所がなかった」 ルカによる福音書 2章1~7節

 「住民登録をせよ」との勅令がローマ皇帝によって出され、人々はそれぞれ故郷で登録するため旅に出かけました。旅をすると、宿が必用になります。野宿は危険が伴います。特に、出産間近のマリアにとって宿は絶対に必要でした。しかし、ヨセフとマリアは客間に入れてもらえませんでした。聖書は、それを「泊まる場所がなかった」と伝えています。

 住民登録のために旅をする人がいるので、宿屋は一人でも多くの客を呼び込みたかったでしょう。その際、自分たちの信仰にある「血の汚れ」問題によって、宿泊中に出産があると客間が使用できなくなり、客間の回転率が落ちてしまうことになります。言い換えれば「泊まる場所がなかった」のは、妊婦と胎児の命よりも、お金が優先された結果なのです。

 律法は、神の民が幸せに生きるために授けられたものです。しかし、愛がなければ、たとえ律法であっても神の民を幸せにできないことが証明されているのです。イエスさんが客間ではなく馬小屋で生まれたのは、人の命よりもお金を優先させてしまう私たちに問いを投げかけ、愛を伝えるためなのです。

 


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