融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年02月24日 | 礼拝のご案内

 明日2月25日(日)は、主日礼拝です。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「四人の漁師」、賛美歌は「みどりもふかき」、「ああ主は誰がため」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 世界の紛争を見渡してみると、そこには民族差別や優生思想を感じることが多々あります。住んでいる地域や肌の色によって差別したり、奴隷にしたり、西洋人が優れた人種であると真顔で信じている人たちもいます。イスラエルの大臣がパレスチナ住民のことを「半獣人」と言ってのけたり、西洋人のアジア人蔑視があります。では、キリスト教徒が戦争をしないのかというと、ドンドンしているような状況があります。それらは、覇者への欲望に取り憑かれている一部の人たちや、今だけカネだけ自分だけの人たちによる犯罪行為です。

 私が「イエスさん」という言葉を使い始めた理由の一つは、キリスト教の権威的なものから遠ざかる必要があると考えたからです。権威は、上下を作り出すからです。そして、上下は犯罪行為を肯定する出発になります。「愛」には、上下がありません。「愛」は、平等なのです。事実、イエスさんは自分のことを「人の子」と称し、平等の関係でいました。イエスさんは、上ではなく同じなのです。だから、「イエスさん」なのです。このような考えが、やがて平和を創り出すなどと大言壮語はしませんが、あれやこれやと理屈を並べるより、とりあえずシンプルに「愛」に拘ろうと考えるようになった今日この頃です。

 


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「理屈でなく信頼」

2024年02月24日 | 聖書のお話

「理屈でなく信頼」 マタイによる福音書 4章1~11節

 イエスさんは、荒れ野で40日間の断食を行いました。それほどの過酷な断食を行ったのは、これから福音宣教を始めるにあたり必須のことであると判断したからです。過酷な断食を終え、疲労と激しい空腹に襲われたとき、悪魔から、第一に「石がパンになるよう命じたらどうだ。」、第二に「神の子なら神殿から飛び降りたらどうだ。」、第三に「世の全ての国々が欲しいのなら、私を拝んだらどうだ。」という三つの誘惑を受けました。

 イエスさんは、悪魔の誘惑に対する答えを通して、これから福音宣教を始めるにあたっての考えを明らかにされました。第一の誘惑に対しては、福音宣教にあたり、命と神の言葉、すなわち愛を同等とすると答えました。第二の誘惑に対しては、福音宣教にあたり、神を試すのではなく信頼すると答えました。第三の誘惑に対しては、福音宣教にあたり、数の力や権力を用いないと答えました。イエスさんは、福音を人間的な理屈によってではなく、神を信頼し、人を愛することによって宣べ伝えようとしているのです。

 


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