融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年02月10日 | 礼拝のご案内

 明日2月11日(日)は、主日礼拝です。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「国を建て直す」、賛美歌は「みどりもふかき」、「ああ主は誰がため」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 明日は、教会の暦で信教の自由を守る日です。この日は、「信教」について学びを深める日として、地区や教区でも集会が持たれています。浜坂教会では、集会に出かける状況にありませんが、信教の自由を覚えて明日の礼拝を守りたいと思います。

 時代は、ウクライナ、中東での戦争、そして東アジアへも戦争の状況が迫っています。もはや、人権や平和は綺麗事の建前になっています。国の大臣が、人種が違うので殺しても構わないと平然と言ってのけたり、かつての虐殺をしおらしく反省するポーズをしつつも現在行われている虐殺を知らんふりしたり、武器が無くなっても戦争を止めることを許さず、武器を送り続けるから殺し合いを続けろとか、倫理や人道が踏みにじられている状況があります。また、除草剤による土壌汚染、これまでの食品添加物や遺伝子を組み換えた食品に加え、遺伝子操作薬を十分な試験なしに人類に大々的に使用したことの影響が、今後どのような形で表面化されるのかも分かりません。

 時代は、精神的にも肉体的にも大いに不健全な時代になっているように受け取れます。このような時代に、宗教が「安心・平安」を唱えると、それは時代に協力していることになるし、「これが正しい」と唱えて引っ張るようなことをすればカルトっぽくなるように思ったりもします。あるいは、既存の宗教という枠の中であれこれと思い悩むこと自体に限界があるのかも知れません。正しさの基準は、立場によって180度変わります。そんなこともあって、「愛」についてもっと考え直さないといけないのではないかと大いに考えさせられている今日この頃です。

 


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「癒やしは愛」

2024年02月10日 | 聖書のお話

「癒やしは愛」 ヨハネによる福音書 5章1~9節

 ベトザタという池の周りに5つの回廊がありました。そこには、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていました。そこでは、水が時々動くことがあって、そのとき一番最初に池に入った人が癒やされると信じられていました。イエスさんは、38年間も病気で苦しんでいる人に向かって、「良くなりたいか」と言われました。その人は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と言いました。

 当時の社会では、神さまに罪を犯したから病気になると考えられていました。そのため、ベトザタの池と5つの回廊の周りに横たわっていた大勢の病気の人たちは、「罪人」と呼ばれて蔑まれていました。さらに、病人の間で競争があり、病気が癒やされるのも実力次第であるという様子が伝わってきます。イエスさんは、良くなりたいという思いがあるかどうかを聞くだけで、その人の病気を癒やしました。イエスさんの癒やしは愛です。病気が癒やされるにも差をつける社会にあって、差をつけたりしなかったからです。

 


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