融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「全ての人を招いていた」

2015年12月10日 | 聖書のお話

「全ての人を招いていた」 ルカによる福音書 2章1~7節

 ルカによる福音書は、イエスさまの誕生に際して、住民登録が行われたことを伝えています。そのとき、マリアは身重であるにも関わらず、ヨセフと共に住民登録をするためにベツレヘムに向かって旅を強いられることになりました。この住民登録は、税金を徴収したり、兵役を課すため、ローマ帝国の支配地域に住んでいる、いわゆる自由人を対象として行われたものではないかと思います。当時、エルサレムを中心に多くのユダヤ人が住んでいましたが、彼らは民族意識が強く、ローマ帝国の支配に不従順なところがありました。ヨセフは、ユダヤ人に親しみの深いダビデ家に属する人でしたが、住民登録に服すために、身重のマリアと共に旅をしている途中で、宿屋に泊まれず、家畜小屋でイエスさまの出産を迎えることになりました。二人の姿は、ローマ帝国に従順であり、何とも健気に見えるように思われます。

 イエスさまは、飼い葉桶の中に寝かされました。そこに、付近で羊の群れの番をしていた羊飼いたちがやって来ました。彼らの仕事は尊いものでしたが、ユダヤ社会の一般的な考え方では、血の汚れに触れる機会が多かったり、生き物相手のために礼拝の時間が守れなかったことで、同じ民族同士でも低く見られていました。ローマの人々から見れば、まるで奴隷のように見えたのかもしれません。家畜小屋で生まれたイエスさまは、羊飼いたちを招き、結びつきができました。イエスさまの誕生は、自由人と奴隷を結びつけるように、全ての人を招き、結びつける出来事であったように思われます。もしかすると、奴隷によって成り立っているローマ帝国の人々は、この信仰を興味深く受け止めたのかもしれません。いずれにしても、興味深いことではないかと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人事の季節

2015年12月10日 | 日記

クリスマスが近づいて来ました。年末は、牧師の人事異動に際して、移動先が決まろうとする時期でもあります。移動を予定されている教師の方々は、この時期を希望と不安の思いで過ごされているのではないかと思います。

 神学校を卒業された直後に「伝道師」とか「副牧師」として赴任して来られた教師の方々は、だいたい3年を任期としている場合が多いのではないかと思います。初めて教会で働く教師となり、様々なことを覚えながら経験を重ね、その間に新たな試験を受けるための勉強をし、そして試験を受けて合格し、次の赴任先へと移動されることが既定路線になっている場合が多いのではないかと思います。出会いがあり、学びがあり、そして別れがあり、3年という任期は、新任の教師の方々にとって実に濃密な時間ではないかと思います。

 私にもそんなような時期がありましたが、失敗もし、挫折も味わい、未熟さ故に多くの人たちを傷つけてしまったのではないかと反省するばかりです。今でも思い起こすと汗をかいてしまいます。けれども、失敗しても、挫折を味わっても、それが経験になって今の自分を支えていることを思わされます。誰かが、「牧師は教会員によって育てられる」と言われていましたが、牧師は牧師になって教会に赴任するのではなくて、教会員に育ててもらって牧師になることができるのだと、それはそれでそう思います。

 そんな教師を人事面で支えている人事担当者の方々がおられます。それらの方々のご努力には頭が下がる思いがすると共に、そのことによって多くの教師の人事異動が成されていることを思うとき、労が多い割には報いが少ないように見えるそのお働きに、ただただ感謝するばかりです。

 いずれにしても、特に若い教師の方々が、これからも大きく成長されて、良いお働きをされますようにと祈っています。そして、人生の残りが少ない教師の方も、完全燃焼されますように・・・(あぁ、俺のことか、)

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする