明日10月13日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「律法よりも愛」、賛美歌は「賜物と歌を」、「ガリラヤの風」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。
コロナ騒動の時期に、人と人との関わりが制限せざるを得ない状況に陥り、改めて人は関わりの中で生きていることを考えさせられました。そこから、キリスト教の最も原点と思われるイエスさんの愛の教えに立ち返っているところです。イエスさんはたくさんの教えを残していますが、兎に角愛を中心に据えて学び直し、自らの生き方の糧にしたいと願いつつ過ごしていました。
そのような中、世界では争いがエスカレートする一方になり、恥ずかしながらそのことをきっかけに歴史を学び直しているところです。それは、争いの原因を知り、少しでも争いのない未来に向かうためにはどうしたら良いのだろうかとの思いからでした。そうすると、実は紛争の背後にキリスト教やキリスト教と関わりのある宗教がらみの問題があることを今さらながら理解することができました。
勿論、信仰心がすべて悪いと言っているのではありません。他人を殺してはいけないと思わせる信仰なら、ウエルカムです。悪いのは、自分と違う宗教を否定したり、宗教を利用して政治運動や選挙に動員をかけたり、霊感商法などのお金儲けを企むことです。麻生議員や石破議員はクリスチャンですが、石破議員は軍事オタクと言われていて、特に戦争反対を唱えている訳ではないようです。
信仰や宗教が、必ずしも世界中の人びとの平和を願い、互恵の精神で共に生きるという考えになってはいません。アメリカの先住民を殺したのもクリスチャンですし、広島と長崎に原爆を投下したのもクリスチャンです。「クリスチャンって、酷いよね」と言われても、仕方ないと思います。今だけ、カネだけ、自分だけと一緒です。
これまで頑張ってきたつもりですが、他人の考えや社会を1ミリでも良い方向へと変えることはできませんでした。さしあたって自分ができることは、自分を変えることしかできないということを改めて気づかされている今日この頃です。