「イエスの洗足は愛」 ヨハネによる福音書 13章1~15節
イエスさんは、過越の食事の前、世に残る弟子たちへの愛が高まりました。そして、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻き、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいで拭き始めました。食事をしようとする人の足を洗うのは奴隷の仕事なので、師であるイエスさんが弟子の足を洗うことを受け入れられなかったペトロは、それを拒否しました。するとイエスさんは、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言い、弟子全員の足を洗いました。
イエスさんは師なのだから、本来は弟子の足を洗ったりしません。それをあえて行ったのは、それを見習って、弟子たち同士でも互いに足を洗い合いなさいというメッセージなのです。およそ二重の意味で弟子の足を洗う立場でないイエスさんが、あえてそうしたのだから、弟子たちはそれをお手本にして、忘れないように守り続けることが求められているのです。
「洗足」を通して示された愛は、人びとが立場の違いを乗り越えて共に生きる力になります。「聖餐式」では、パンとぶどう酒を分け合います。パンはイエスさんの愛を身に受けることで、ぶどう酒はイエスさんの愛を宣べ伝える約束のことです。「洗足」で互いに仕え合うことを通して愛を宣べ伝えるのも、「聖餐式」でイエスさんの愛を身に受けた者として愛を宣べ伝えるのも、どちらも同じなのです。