旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

利府支線の旅2 利府支線

2019-01-29 15:19:55 | 利府支線の旅
 岩切駅で途中下車。
 岩切駅は橋上駅舎化、自由通路整備等が行われ、今年2018年11月18日より供用が開始された。真新しい駅舎です。


 かつての地上駅舎と各ホームを結ぶ地下通路は現在解体中です。


 自由通路からは東北新幹線がよく見えます。




 ここでは、速度を落としてJR東日本新幹線総合車両センターに入っていく車両を見ることができます。






 現在の利府線は、東北本線の盲腸のような形態の支線ですが、1890年(明治23年)日本鉄道が岩切駅・一ノ関駅間を開業した際の岩切駅から先は、利府を経由して北上するルートが採用されていました。つまりこちらが本来の東北本線でした。
 しかし、この区間には最大16.7パーミルの勾配が存在し、長大列車では補助機関車を連結する必要が生じたり、列車の遅れや運休が生じたりしたため、昭和の初めに「岩切松島間鉄道線路変更期成同盟」が東北本線の経路移設を求めて活動し始めたことや、太平洋戦争のが激化に伴い、貨物輸送を船舶から鉄道へ転移させる必要が生じたなどから、1944年(昭和19年)11月15日に陸前山王駅・品井沼駅間に新線が開業して、旧来の経路と合わせて2つのルートが併存する形となりました。
 新線は当初、貨物列車のみが走行していましたが、その後急行列車が経由するようになると新線が東北本線の主要経路となり、利府経由の通称「山線」ルートの主体は普通列車となりました、
 さらに、新線が完全に複線化されると両ルート併存の意味が薄れて「山線」の廃止が濃厚となり、「山線」沿線住人による存続運動が起こりました。
 最終的に、1962年(昭和37年)4月20日に松島駅(旧駅)・品井沼駅間が廃止され東北本線の支線となり、さらに同年7月1日に利府駅・松島駅(旧駅)間が廃止されました。


東北本線下り 普通 利府行
 ※利府線内の写真のほとんどは、帰路に後方から撮影した写真を使っています。


 始発 仙台10:05


岩切     10:14着 10:17発   
 この先、ワンマン運転になります。


 ホームの北側で東北新幹線と交差し、東北本線は右に、利府線は左に進んでいきます。


 間もなく、左に引き込み線が分かれていきます。


 左手に見えて来るのは「JR東日本仙台レールセンター」。船で輸送してきた25mレールを、仙台臨海鉄道仙台埠頭駅からは貨車で輸送してきて溶接し、150mや200mロングレールに加工するための設備、レール荷役用のクレーン、荷役線路などがあります。




 よく見るとクレーンの下のレールが3線軌条になっています。在来線と新幹線両方のレールを扱っています。


 次に見えてくるのは、新幹線総合車両センター。JR東日本の新幹線車両基地の一つで、主に東北新幹線で使われる車両の日常的な整備・点検の他、JR東日本が保有する新幹線車両の全般検査、改造工事や新製車両の搬入・廃車解体に至るまで総合的な業務が行われているそうです。


 1982年(昭和57年)の東北新幹線開業と同時に開設され、当初は車両の整備を行う仙台新幹線第一運転所と検査・修繕を行う仙台工場に分かれていたが、のちに統合され現在に至っているそうで、敷地は全長3.7km、幅260mと広大で、仙台レールセンターの他にも、仙台新幹線保線技術センター、総合訓練センター等を併設しているそうです。


 敷地のほぼ中央にある砂押川を渡り、仙台北部道路をくぐります。


 間もなく唯一の中間駅、新利府駅に到着します。
 この駅は、JR東日本と関連・協力会社を含め千人以上が働いていると言われる新幹線総合車両センター勤務者の利便性を考えて、1982年(昭和57年)6月23日の東北新幹線大宮駅・盛岡駅間暫定開業に先立つ、4月1日に併設・開業した駅です。


新利府    10:20着 10:20発
 駅の出入口は2つあり、ホーム中央にある出入口は新幹線総合車両センターの関係者専用となっていて、一般利用者は出入りできません。
 一般用はホームの南端にあります。 


 岩切駅・利府駅間は4.2kmですから、そのうち9割近くの3.7kmの敷地はまだ続きます。








 間もなく終点、利府駅に到着します。




利府     10:23着


 つづく。

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