旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

普通列車で往復する東京の旅9(完)~仙台駅から野辺地駅まで

2014-12-29 03:32:27 | 普通列車の旅
 仙台からは、10時40分発東北本線一ノ関行き普通列車。到着したホームの2番線からの発車です。
 日本で駅弁の種類が一番多いとされる仙台駅で、お昼に食べるこけし弁当を買いました。


仙台からの電車は、おなじみのロングシート701系4両編成。福島から来た仙台止まりが、そのまま一ノ関行きに。


知らないで一度降りた人が乗って来たり、後ろ2両が小牛田で切り離されるので、前に移る人とか結構人の動きがありました。
 落ち着いたところで 車内を見渡すと、いました。原ノ町で時刻表1冊を片手にした彼女。この電車に乗ってきました。他にも、リュックを背負った青年。缶ビール片手に駅弁を広げるご夫婦。どこまで行くのでしょうかね。
定刻に発車した電車は、結構立っている人がいました。松島、塩釜と降りる人より乗る人が多く、また土曜日ということで、家族連れも多く乗っていました。
小牛田到着して結構降りたと思ったのですが、乗ってくる人も多くいました。駅構内で車両祭をしていて、それに来た家族連れのようです。
石越のあたりで、立つ人も見られなくなり、12時18分定刻に一ノ関1番線に到着。
次の列車は、一ノ関12時23分発東北本線盛岡行き普通列車。橋を渡って2番線からの発車です。


乗ってきた電車は、階段の手前に停まったので、降りるなり、階段を目指して走り出す人もいました。暢気に写真を撮っている場合ではないのです。5分しかないのです。
通勤電車と色まで同じ、ロングシート701系2両編成。
車内を見渡すと、原ノ町からの女性、まだ乗っています。どこまで行くのでしょうか。仙台からの缶ビールにお弁当のご夫婦、まだ乗っています。わざわざ普通列車ということは、1万円の切符。それとも青春18切符。松島から乗った、サンダルを履いてリュックを背負ったおじさんもいます。スニーカーにリュックの青年も。結構な人数が乗り換えたようです。
それでも車内は、座席が埋まる程度の混み具合で出発しました。
原ノ町からの女性は、前沢で降りました。旅行?仕事?何だったのでしょうね。
仙台からのご夫婦は、花巻で降りました。時刻はまだ13時15分。釜石・宮古方面にでも乗り換えたのでしょうか。
一度少なくなった乗客も、北上あたりから少しずつ増え、盛岡近くなると結構な混み具合。盛岡は今日からさんさ踊り。参加するのか黄色の着物を着た高校生らしき子が、岩手飯岡から乗ってきました。
 13時57分盛岡到着。今度の青い森鉄道・いわて銀河鉄道八戸行きは、14時10分発車。青い森鉄道の車両でした。
運転士は女性。途中好摩から三戸までは、ツーマン運転。
 スニーカーを履いた青年も、八戸まで乗ってきました。
 八戸16時6分1番線到着。ようやく、八戸まで戻ってきました。
 
最後の列車は、八戸17時11分東北本線青森行き普通列車。の予定でしたが、早く帰ることにしました。
 17時7分発東北本線・津軽海峡線函館行き特急スーパー白鳥21号。
 野辺地到着17時36分。あー長かった。

 おしまい。

※ 3日間の実乗車時間は、1日目の野辺地から上野までは、11時間27分。2日目の上野からいわきまでは、4時間21分。3日目のいわきから野  辺地までは、8時間24分。合計24時間12分。
  3日間の交通費は、北海道&東日本パス10,000円、黒磯から上野までのグリーン券950円、上野から小山までのグリーン券950円、八戸  から野辺地までの特急券950円、八戸から下田までの乗車券230円(北海道&東日本パスでは特急に乗れないため、別に乗車券が必要。下田・野  辺地間は定期券)。合計13,080円。

普通列車で往復する東京の旅8~いわき駅から仙台駅まで

2014-12-29 03:22:09 | 普通列車の旅
 いわきに1泊し、今日8月1日はいよいよ最終日。
 いわき6時58分発常磐線線原ノ町行き普通列車。昨日と同じ411系1000番台ロングシート4両編成。3番線からの発車です。


 この電車も、正面の行き先表示は真っ白でした。  
 いわきの発車メロディーは、クラシック曲でした。
 土曜日ということもあって1両に7人の乗車。1人は、朝まで飲んで帰るおじさん。ペットボトルの水を片手に千鳥足で乗ってきて、そのままロングシートにゴロン。


 いわき駅は、平成に入ってからの駅名。以前は、平と言いました。
 田んぼの中にある草野駅を過ぎ、四ツ倉駅からは海岸線が迫ってきました。
 久ノ浜を過ぎると、末続まで短いトンネルが4つ。トンネルを出るたびに、三陸のリアス式海岸を思わせるかのように、海岸線が迫ってきます。
 末続から広野までは、短いトンネルが6つありました。
 最後のトンネルを抜けると、「広野」の名の通り広々とした田畑が広がっていました。
 文部省唱歌「汽車」の一節、「とんねるのやみをとおってひろのはら」は、ここをうたったものだという説もありますが、実際に見てみると、次の木戸駅の手前がふさわしいような気がしました。
 木戸駅の名物はホームにあるミニのお城。写真が不鮮明でよく見えませんが、左上に写っているお城は、職員が仕事の合間に作った物で、五層の天守閣の屋根には鯱がのっていて、コンクリートでできた石垣の回りには、堀を思わせる池がありました。
 写真の隅に写っているペットボトルは、酔っぱらいのおじさんの物。まだ寝ています。


人の乗り降りがほとんど無かった車両に、竜田で高校生が乗ってきました。
 富岡では、普通列車と行き違いのため4分停車。
 富岡から夜ノ森にかけて、海に向かうように大きくカーブし、海が正面に見えてきました。小学校1年生の時に見た景色はここかなと思いました。
 夜ノ森は、ホームの両側の斜面300mぐらいにツツジの木があり、土手の上には桜の太い木がたくさんありました。4月か5月に来てみたいものだと思いました。 
 夜ノ森で7~8人乗ってきて、車内は18人。空いています。
 双葉で、高校生のほとんどが降りて、車内は10人に。
 次の浪江で、酔っぱらいのおじさんが降りて、高校生14~5人を含む20人ほどが乗って来ました。
 桃内で、普通列車と行き違いで3分停車。
 次の小高では、特急列車との行き違いで4分停車。間もなく、原ノ町です。 


原ノ町8時30分定刻、2番線に到着。
 今度の列車は、原ノ町8時53分発常磐線仙台行き普通列車。到着したホームの3番線からの発車です。
 8時48分到着の列車の折り返しということで少々時間がありました。
 ここでは、あるものを探していました。目に入ったのは、向こうのホームに見えるポスター、五所川原立佞武多。


 でも探していたのは、ポスターではありません。
 ホームで待つのをあきらめ、買いに行こうとした時です、来ました。目立つ蛍光色のジャンパーを着た弁当屋さん。
 ここ原ノ町は、東北地方で唯一、昔ながらに箱に入れての駅弁の立ち売りがある駅です。
 普通列車にも弁当の立ち売りをするのにはびっくりしました。


目立つといえば、同じ電車から降りて仙台行きを待っていると思われる女性。年齢30歳前後、身長170㎝前後で容姿端麗。しかし、作業服に見えるグレーの上下を着て、首に白いタオルを巻き、手には時刻表一冊。よほどのことがないと、手に持ち歩く時刻表は小型の物なのですが、手にしている物は大判の物。何とも目立つのです。
列車が入ってきました。E721系クロスシート4両編成。



 1両に12人ほどの乗車で、定刻発車。
 東北本線と分岐する岩沼までは、単線です。
 早速先ほど買った、「浜のかにめし」を食べることにしました。
 かにのフレークを炒めているという点では、長万部のかにめしと同じですが、味付けが中華風のように感じました。


 ちょうど食べ終えた頃、相馬で7~8人乗ってきて隣にも座りました。
 駒ヶ嶺、新地と過ぎ宮城県に入りました。
 この頃には、朝から曇っていた空も青空が広がり、日も差してきました…
 気がついたら、名取を出たところでした。30分ほど居眠りをしたようです。その間に前の座席にも人が座り、車内は立っている人もいて満員状態になっていました。
 仙台10時8分2番線到着。

 つづく

 ※ この旅の1年7ヶ月後、平成23年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震に伴って、福島第一原子力発電所事故が起こり、常磐線は現在も  竜田駅・原ノ町駅間と、相馬駅・浜吉田駅間が普通になっています。


普通列車で往復する東京の旅7~水戸駅からいわき駅まで

2014-12-28 03:46:29 | 普通列車の旅
 水戸からは、17時35分発いわき行き普通列車です。
 小山から乗ってきた電車が、17分に発車した後に同じホーム3番線に入ってくるので、少し時間がありました。
 そこで、水戸と言ったら、「水戸黄門」「偕楽園」「梅」「納豆」。今日の晩ご飯は、水戸駅の駅弁「印籠弁当」にするため弁当屋さんを探しました。
 弁当屋さんを見つけたものの、お目当ての弁当は売り切れ。残念。
 そこで買ったのが、「納豆弁当」。
納豆を白飯で包み高菜で巻いた納豆巻きが2つ、カレー風味と青海苔風味の揚げ納豆の軍艦巻きが各1つ、手まり寿司が1つ。それに、こんにゃくと漬物という内容でした。



さて、今回常磐線を通りたかった理由ですが、初めて東京に行った時に通ったのが常磐線でした。その常磐線で、確かめたいことがあるのです。
 昭和37年。小学校1年の夏休みでした。当時は、東北本線は勾配がきつく、距離も長いことから、青森から上野に行く列車のほとんどは、常磐線経由でした。これは、東北本線が青森まで複線・電化されるまで続きました。
 その時のことで覚えていることは、列車の座席を確保するために青森に出て、午後3時頃発車の夜行急行に乗ったこと。上野に朝9時過ぎに着いたこと。その年にあった三河島事故の茶色い電車が線路脇にあったこと。東京では上野動物園に行ったこと。
 そして、東京に行ったことを作文に書いたら、校内のお話大会に出て、町の大会までいったこと。
 お話大会のことで今でも覚えていることは、作文の内容では、「朝、目がさめたら左に大きな太平洋、右に水芭蕉が」という一節と、担任の先生に、大きな太平洋の所は、手を広げて大きさを表現するようにと指導されたこと。そして、町の大会の後、演台を前にして教頭先生に写真を撮ってもらったことです。
 ということで、今回常磐線を通りたかったのは、作文に書いた場所はいったいどこで、今はどうなっているのか見てみたいと思ったからです。
 海が見えるところなので、おそらく日立周辺ではないかと予想されるのですが…
 最初の計画では、水戸に泊まりたかったのですが、どこのホテルもシングルが満室ということで、足を伸ばしいわきに泊まることにしたので、水戸発17時35分常磐線普通列車いわき行きに乗ります。
 正面の行き先表示は。忘れているのか表示されていませんが、横にはいわきと表示された411系ロングシート8両編成。



 ここでも発車までは、冷房効率を高めるため真ん中のドアだけを開けて後は閉めていました。
 3番線からの発車で、発車メロディーは琴の音で短いリズムを繰り返していました。偕楽園をイメージしているのか、日本っぽい曲でした。
 水戸駅は、新宿・渋谷と並んでJR東日本として初めて発車メロディーを使った駅です。
 茨城県の三大名物「日立電気」「干しいも」「原子力」と言ったら叱られるかな。
 次の勝田から日立までは、日立の関連工場が並びます。途中には原子力の村、東海村。昔は干しいもの産地だった佐和もあります。
 時間帯も通勤時間と重なり、停車する毎に混んできました。
大甕は、日立の研究所もあるせいかスーツを着てカバンを持った研究者といった感じの人、いかにも技術者といった作業服を着た人など、多くの人が乗ってきました。
 日立を過ぎても、立っている人が多く、ロングシートのため車窓を楽しむことは出来ません。
 日立と次の小木津の間には、上野方面から来て初めてのトンネルを通りました。
 ここから鹿島に至るまでは、ほとんど駅毎に短いトンネルがつづくはずです。
 高萩までで多くの人が降りて、立っている人はいなくなりました。いわきまで約40分ですが、上野まで直通の電車が走っているのは、この高萩までです。
 おそらくこの車両も、運用次第では上野まで行くこともあるのでしょう、車内の路線図は首都圏のものでした。


 磯原は、野口雨情の生まれたところとあって、発車メロディーは「七つの子」でした。それにしても常磐線は、発車メロディーの流れる駅が多いです。
 またこの辺は、常磐炭田の中心炭鉱があったところですが、今はその面影を車窓からは見ることが出来ませんでした。
 磯原と大津港の間で、初めて海が迫ってくる景色を見ることが出来ました。これからが楽しみです。
 しかし、時刻は18時40分。曇りのせいで薄暗くなり、美しい景色を楽しむとはなりませんでした。
 大津港と次の勿来の間が、茨城県と福島県の県境。そして、白河(福島県)、念珠(山形県)と並ぶ奥州三関の一つ、勿来の関です。
 このあたりも、時々開けて海岸風景を見ることが出来ました。
 勿来、植田まで来ると車内は、座席の4分に1の乗客。辺りも暗くなり、ローカル線という雰囲気です。
 湯本は、常磐ハワイで有名になった、湯本温泉の玄関口。ここの発車メロディーは、「シャボン玉」でした。湯本を出ると間もなく終点のいわきに着きます。


 つづく


普通列車で往復する東京の旅6~上野駅から水戸駅まで

2014-12-27 07:19:47 | 普通列車の旅
 7月31日。3日間の研修も終わり、復路になりました。


 今日は、福島県いわき市に泊まります。
 さて、いわきまで行く人は常磐線を使うのが一般的です。
 券売機でグリーン券を買っていたら、水戸まで行く老婦人に乗車券とグリーン券の買い方を訪ねられ、思わず常磐線経由でいいんですよね、と尋ねたら変な顔をしていました。
 今日は、宇都宮線(東北本線)で小山まで行き、小山から水戸線に乗って、友部から水戸に出て、いわきまで行きます。


なぜ水戸線に乗るのか。
今までに乗った(通った)ことがないのと、今年は水戸線開業120周年ということ、などなど…
 帰りの最初の電車は、上野13時51分発通称宇都宮線宇都宮行き普通列車。E231系1000番台15両編成。7番線からの発車です。


 お昼に買ったのは、「上野弁当」。最近、上野から駅弁を買って乗ることがないので、「上野駅限定」という言葉につられました。
 その内容はごく普通の幕の内でしたが、上野弁当ということで、とんかつが入っていました。
 一説によると、上野がとんかつ発祥の地と言われています。確かに、上野駅周辺にはとんかつ屋さんがたくさんあります。それに対して、銀座が発祥の地という人もいます。どちらも本当のようです。
 とんかつを初めてお客さんに出したのが銀座の店で、メニューに「とんかつ」という名前を初めて出したのが上野の店のようです。
 但し、どちらも明治初期の頃の話ではっきりとした記録が残っていないようです。



 今から30年以上前、上野駅が東北への玄関口として賑わっていた頃の話です。東京駅で売っている同じ弁当でも、上野駅で売る弁当の味付けは濃くしていたそうです。そうしないと評判が悪く売れなかったそうです。最近はそういうこともないようです。
目がテンという番組でやっていました。駅弁がおいしく感じるのは、車窓の動く風景が関係していると。
 しばらく食事タイム。
 車窓を楽しむと行っても、大宮までは都会の風景。大宮を過ぎ、元荒川を渡り久喜周辺になると何となく関東平野と思われる田園風景が見られました。動く電車から見ても、すでに穂が出て、少し垂れているのが分かりました。青森県とはかなり気温と日照時間が違うのだろうと思いました。


 小山までの車窓で一番見たかったのは、JRと東武日光線の特急が相互乗り入れをしている栗橋駅です。
 相互乗り入れをしているのですが、JR栗橋駅にも東武栗橋駅にも停まらない。では運転士さんたち乗務員は交代しない?
 写真のようになっていました。


交代する乗務員用の短いホームが造られていました。納得。
 栗橋を出ると、利根川を渡って茨城県へ。
この利根川に架かる最初に出来た鉄橋は、明治18年7月の大宮・宇都宮間の開通に間に合わなく、1年ほど渡し船でお客さんを渡したというエピソードが残っています。
 小山15時12分。11番線に到着。


 小山15時36分発水戸線、常磐線直通高萩行き普通列車。ロングシートのE501系5両編成。16番線からの発車。



15時27分到着の勝田からの電車の折り返しと言うことで、時間があるので水戸線開通120周年に関係する掲示物でもあるのかと、ホームを見渡せど皆無。
 それでは水戸線の紹介を。
水戸線は、1889年に水戸鉄道により小山・水戸間が開通しました。その後1892年に日本鉄道に買収され、1906年には鉄道国有法によって買収・国有化され、友部・水戸間が常磐線に編入されたため、小山・友部間が水戸線となりました。その後水戸線は、線名の変更が行われていないため、水戸線と名乗りながら水戸市を通らない、水戸駅にも行かない路線となりました。
水戸線は単線ながら電化されているので、電車です。外見もシートも都会っぽいものでした。
 電車が入ってきて、ある程度乗降が済んだところで、冷房効率のため3ドアのうち1つだけ開けて、あとは閉めるとのアナウンス。
 1両に20人弱の人を乗せ定刻に出発。
 小山を出発したところにデットセクションがあるため、左に大きなカーブをゆっくり進み、直線に入ってやっと電車らしい音を出して走り出しました。
 まもなく、栃木県から茨城県に入り、最初の駅は無人駅の小田林。地名は「おだばやし」駅名は「おたばやし」だそうです。小川原駅みたいなものですね。
 でも、無人駅ながらSuicaで乗降できるように、タッチセンサーがありました。ビックリ。


 次は、結城紬で有名な結城、東結城。このあたりまで線路はほぼ一直線。
 東結城を過ぎて、鮭が遡上する南限とされる鬼怒川を渡って川島、玉戸と過ぎると次は下館。
 左には、真岡鐵道。右には、関東鉄道常総線。どちらにも、カラフルな車両が停まっていました。  
下館は、第三セクターの栃木県茂木町までの真岡鐵道と、茨城県取手市までの関東鉄道常総線への乗り継ぎ駅です。常総線に乗ると、途中の守谷でつくばエクスプレスに乗り換えて、秋葉原まで行くことが出来ます。
 下館から4~5人の中年男性が乗ってきました。水戸へ飲みに行くらしくラフな格好なのですが、一人だけネクタイを締めていました。
 話を聞いていると、この男性の町内は今日がお祭り。ちょうど御神輿が通る時間帯なので、町内の人に、ちょっとまじめな会合に出るという雰囲気を漂わせて、家を出てきたようです。
 下館を出ると、新治、大和、岩瀬、羽黒、福原を通って、稲田に到着。
 「稲田御影」と呼ばれる花崗岩の産地で、都電の敷石に使われたことで有名です。又、浄土真宗発祥の地としても有名です。
 次の笠間では、電車行き違いのため3分間の停車です。 
発車するときには、ローカル線には珍しく、発車メロディーが流れました。曲は一般的な「一滴の風」と呼ばれるもので、青森駅と同じです。
 そう言えば、水戸線は今までの駅でも結構発車メロディーが流れていました。
次は宍戸。発車メロディーがなぜ流れるのか。分かりました。
 ホームの端にボタンがあって、車掌さんが押しているのでした。
 水戸線はすごいな。東北本線青森・八戸間で発車メロディーが流れるのは、青森と八戸だけなのに。ちなみに、八戸の発車メロディーは「水の冠」と呼ばれるもので、「一滴の風」と似ていると感じる人もいるようです。
次は、水戸線の終着駅、友部です。
この電車は、常磐線直通なので乗り換えることなく水戸まで行きます。
 友部では結構人が乗ってきました。縁日でもあるのか浴衣姿の人も見られます。
 「幸せなら手をたたこう」の発車メロディーが流れ、友部を発車し、内原、赤塚を通り、左に大きくカーブして偕楽園を左に見て、定刻17時1分に水戸駅3番線に到着しました。


 つづく

普通列車で往復する東京の旅5~黒磯駅から上野駅まで

2014-12-26 03:52:50 | 普通列車の旅
 黒磯は、交流と直流の切り替え駅。新幹線が通るまでは一部の電車特急を除いてすべてが停車した駅でした。
 そのため、結構人気の駅弁がありました。高木弁当の「あゆづくし」、アイスクリームで有名なフタバ食品の「九尾寿司」。今はその駅弁も無くなり寂しくなりました。 
いよいよ最後の電車は、黒磯16時35分発通称宇都宮線(正式には東北本線なのです)上野行き通勤快速列車。E231系1000番台10両編成。1番線からの発車です。



 この電車には、2階建ての自由席グリーン車が2両ついているのです。
首都圏の快速・普通列車のグリーン料金は、指定・自由席に関係なく同額。但し、乗車前に買うのと乗車後買うのでは250円違うので、朝、野辺地で買っておきました。


 黒磯を定刻に出発。上野駅まで、あと2時間35分。
黒磯を出てまもなく、交流と直流が切り替わる所、デットセクションを通過して、一時的に車内の電気は非常灯だけになりました。
 しばらくして、グリーンアテンダントが車内改札を兼ねながら、かごに入れた冷たい飲み物などの車内販売にやってきました。いわて銀河鉄道のアテンダントとはやはり違う。「ビール下さい。」
 宇都宮まで約50分。今日の夕食は宇都宮の駅弁「駅弁発祥地より汽車辨當」の予定。
 ビールも無くなった頃、宇都宮に到着。


 ホームに降りてみたものの、売店がない。隣のホームにも売店がない、各ホームにあるのは立ち食いそば・うどんの店だけ。
 首都圏の県庁所在市の駅と思って油断した!黒磯の売店で駅弁ではないが、お弁当や総菜セットが売ってあったのに、残念。
 上野駅まで、あと1時間36分。ビールで頑張るぞ。
 黒磯から数人だった、私が乗っている5号車2階もほぼ半数の席が埋まりました。通勤快速というだけあって、ほとんどスーツ姿の男性。トイレに立ったときに観察したら、ほぼ全員が「プシュッ」。
 雀宮でカシオペアとすれ違いましたが一瞬。
 曇りのため暗くなるのも早いのか、車窓の景色も見づらくなった頃、栃木県から茨城県へ。とは言っても、茨城県の駅は古河だけ。利根川を渡ってすぐ埼玉県に入り、久喜、大宮、浦和と停車し、荒川を渡って東京都へ。
 赤羽、尾久と停まって、定刻19時10分に上野駅8番線に到着。
 ドアが開いたら、そこには折り返しの電車に乗る通勤客の列。そして、蒸し暑さ。
 12時間50分、691㎞の普通列車の疲れより、この人と暑さの方が疲れるな。やっぱり田舎者だな。明日から3日間頑張るぞ!

 つづく