旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

「居酒屋ダイニングまる。」

2016-04-30 06:10:05 | 日記
 昨晩、友達と言ったら良いのか、知り合いと言ったら良いのか、とにかく38年間ご苦労さんと誘われて、野辺地町にある「居酒屋ダイニングまる。」に行きました。
 
 【刺身盛り】


 【うにと長芋のお刺身】


 【カマンベールのベーコン串揚げ】


 【姫にんにくの天ぷら】


 【鶏肉とねぎの鉄板焼き】


 【ピッツァマルゲリータ】


 【モッツァレラの生ハム巻天ぷら】


 【鰺のなめろう&ポテトもち】


 【野辺地納豆のオムレツ】


 おいしくいただきました。

本州一周普通列車の旅8~5日目(1)鳥取駅から天橋立駅へ

2016-04-29 13:53:10 | 本州一周普通列車の旅
 5日目(平成24年7月28日)は、天橋立に寄って直江津を目指します。


 まだ日の出前です。


 今日も一番列車で出発します。山陰本線上り普通浜坂行です。


鳥取 05:30発   
福部 05:42着 05:42発   
大岩 05:48着 05:48発   
岩美 05:52着 05:53発   
東浜 05:58着 05:58発   
居組   レ
諸寄 06:08着 06:08発   
浜坂 06:11着

 隣のホームには、これから倉吉駅まで回送され、山陰本線・因美線・智頭急行線・山陽本線・東海道本線経由、京都行特急スーパーはくと2号となる車両が停まっていました。


 私たちが乗る車両のキハ47形は、昭和52年から昭和58年にかけて製造された車両で、冷房装置も後から付けられた古いものです。


 鳥取駅を出た列車は大きく回り、榎峠を越えて福部駅に着きます。




 岩美駅のホームには、「山陰海岸ジオライナー」の横断幕が張ってありました。「山陰海岸ジオライナー」は、平成22年に山陰海岸ジオパークが世界ジオパークネットワークに加盟認定されたことを受けて、土・日曜日に鳥取駅・豊岡駅間で運転されている臨時の快速列車です。


 東浜駅の手前で羽尾海水浴場が見えます。


 東浜駅の住所はは、鳥取県岩美郡岩美町大字陸上(くがみ)字下塚畑。そのためなのか、駅前にあるバス待合所は「陸上バス待合所」とあります。この駅が鳥取県最後の駅になります。


 兵庫県最初の駅は居組駅ですが、この列車は通過します。兵庫県最初の停車駅諸寄駅前には、お寺さんが経営する保育園がありました。


 定刻、浜坂駅に到着。


 浜坂駅で4分、山陰本線上り普通豊岡行に乗り換えます。   


浜坂   06:15発   
久谷   06:22着 06:23発   
餘部   06:29着 06:30発   
鎧    06:33着 06:33発   
香住   06:40着 06:41発   
柴山   06:47着 06:47発   
佐津   06:51着 06:51発   
竹野   07:00着 07:01発   
城崎温泉 07:10着 07:11発   
玄武洞  07:16着 07:16発   
豊岡   07:23着

 土曜日ということもあるのか、乗客はほとんどいません。


 海岸を離れて列車は進みます。


 久谷駅の次が餘部駅です。
 餘部駅は地名の漢字表記は「余部」ですが、この駅がの開業したときにはすでに姫新線に余部駅(よべえき)があっため、重複を避けたために「餘部」の表記にした駅です。但し、一部マスコミ等ではこちらも「余部駅」と間違って表記されることもあります。


 駅は余部橋梁に接しています。


 余部橋梁は餘部駅と鎧駅の間にある橋梁で初代の旧橋梁は鋼製トレッスル橋で「余部鉄橋」の通称でも知られていました。


 現在の橋梁は2代目でエクストラドーズドPC橋で平成22年から使用れています。




 橋梁の下には長谷川と国道178号が通っています。




 橋梁を過ぎるとすぐにトンネル入り、4つのトンネルを抜けると鎧駅です。


過去には下の鎧漁港で水揚げされた海鮮物を貨物列車で運び出すために港と駅がインクライン(傾斜鉄道)で結ばれていたそうで、その遺構がテレビ番組で紹介されたこともありました。


 その漁港が見渡せる1番線ホームには列車は止まりませんが、観光客への配慮から1番線ホームへの出入りは可能で、駅名票もそのままになっています。


 線路は香住海岸に沿って走るのですが、トンネルが多く景色を楽しむことはできません。


 香住駅は松葉ガニの水揚げで知られる香美町の玄関口。改札口の上にはカニのディスプレイがありました。


 ホームには、カニ爪のディスプレイがありました。


 隣の柴山駅も漁港が有り、温泉のある所です。




佐津駅には山陰本線の複線電化を求める看板がありました。
 現在山陰本線の複線区間は、京都駅・ 園部駅間、綾部駅・福知山駅間、伯耆大山駅・安来駅間、東松江駅・松江駅間、玉造温泉駅・来待駅間。電化区間は、京都駅・城崎温泉駅間、伯耆大山駅・西出雲駅間です。これ以上増えることはないと思います。


 竹野駅の手前で少し海岸が見えました。


この辺りは豪雪地帯なのか除雪車がそのままになっていました。


 城崎温泉駅を出ると川幅の広い円山川を見ながら進みます。長さは兵庫県で5番目の68kmですが、流域面積は2番目だそうです。


 玄武洞駅は、その名の通り玄武洞への最寄り駅です。


 玄武岩の柱状節理が見られる玄武洞は対岸にあり、ここからだと渡し船で渡るそうです。


 流は非常に流れが緩やかで、河口から17km付近まで海水が浸入しているどうです。川原を見ることができるのはその先だそうです。


 終着豊岡駅で、北近畿タンゴ鉄道に乗り換えます。




 北近畿タンゴ鉄道は、旧国鉄の宮津線(西舞鶴駅・豊岡駅間)と日本鉄道建設公団が建設した宮福線(福知山駅・宮津駅間)からなる日本一赤字の多い第三セクターの鉄道です。(※旅行後の平成27年4月1日より、宮津線・宮福線の鉄道運行事業を、ピンクの貸切バスのWILLER EXPRESSを傘下にもつWILLER ALLIANCEの子会社であるWILLER TRAINS株式会社に移譲し、WILLER TRAINSが第二種鉄道事業者として京都丹後鉄道の名称で鉄道運行事業を行っています。なお、北近畿タンゴ鉄道は、鉄道施設を保有する第三種鉄道事業者となっています。)






 北近畿タンゴ鉄道普通西舞鶴行に乗ります。
 KTR800形1両です。


豊岡   07:32発   
但馬三江 07:36着 07:36発   
久美浜  07:47着 07:47発   
甲山   07:50着 07:51発   
丹後神野 07:55着 07:55発   
木津温泉 08:01着 08:01発   
網野   08:08着 08:09発   
峰山   08:16着 08:17発   
丹後大宮 08:22着 08:23発   
野田川  08:31着 08:34発   
岩滝口  08:37着 08:38発   
天橋立  08:42着


 豊岡駅の隣は但馬三江駅です。コウノトリの郷駅の愛称を駅です。国の天然記念物であり、兵庫県の県鳥であるコウノトリの保護・増殖を行いながら野生化させることを目的とした兵庫県立コウノトリの郷公園の最寄り駅でありまた、日本書紀にも出てくるコウノトリ伝説が伝わる久久比神社もあります。


 次の久美浜駅から京都府になります。


 久美浜駅を過ぎると久見浜湾が見えてきますが、湾とはいうものの小天橋と呼ばれる砂州によって日本海と隔てられている汽水性の潟湖だそうです。


 丹後神野駅では、下り豊岡行き普通列車と交換です。こちらは1両ですが、向こうはKTR8000形4両です。


 丹後神野駅の次は木津温泉駅です。木津温泉は京都府内でももっとも古い温泉で、天平の飢饉が起こり疫病が発生した時、この地を訪れていた行基が法力をふるうとともに、人々に温泉につかるよう説いてまわったおかげで、疫病の難から救われたといい伝えられていて、その疫病が皮膚病の一種だったので、木津温泉は皮膚病の効能を第一にうたっているそうです。改札口にはそのいわれの看板もあります。


 木津温泉には、行基がしらさぎが傷を癒しているのを見て発見したという伝承も残っているため、「しらさぎ温泉」とも呼ばれています。ホームには源泉掛け流しの足湯「しらさぎの湯」があり、鉄道利用者は無料ですが、それ以外の利用には駅の入場券が必要になっています。


 木津温泉駅を出ると丹後半島の基部に入り、1000分の25の山越えをします。


 着いた網野駅は、昭和元年12月25日開業の駅。この日は、大正天皇崩御の日です。
 このときは、一世一元の詔に基づき昭和は大正天皇が崩御した瞬間から今上天皇も変わったという判断で崩御した日に元号も変えていますから、大正15年12月25日であり、昭和元年12月25日でもあり、開業日を2つもつ駅でもあります。


 峰山駅では網野行普通列車と交換です。


 この後、更に丹後半島の基部、丹後大宮駅を通り丹後ちりめんの里、与謝野町にある野田川駅に着きます。


 駅名にもなっている野田川を渡ると岩滝口駅に着きます。


 岩滝口駅を出ると宮津湾を見ながら進みます。




 天橋立が見えてくると間もなく天橋立駅に到着します。 


 ホームには、特急たんごリレー6号福知山行の北近畿タンゴ鉄道KTR001形気動車が停まっていました。


 次の列車まで1時間45分。ここで大急ぎで天橋立観光です。

 つづく

本州一周普通列車の旅7~4日目(2)益田駅から鳥取駅まで

2016-04-24 05:21:59 | 本州一周普通列車の旅
 限られた時間ですが、フリー切符を買って市内観光をしました。




 案内所で2時間で回れそうな所を聞いたところ、一番のお勧めが島根県芸術文化センター「グラントワ」でした。
 「グラントワ」は、「島根県立石見美術館」と「島根県立いわみ芸術劇場」の美術館と劇場が一体になった建物です。
 建物は鉄筋コンクリート造りの建物ですが、それを覆っているのが今まで見てきた赤い瓦の石州瓦です。屋根瓦が12万枚、壁瓦16万枚で、壁に瓦を使うのは全国でも初めてだそうです。なんとこの壁瓦はメンテナンスフリーで、建物が存続する限り、数百年はこのままの状態を保ち続けるそうです。






 御影石で作られたモニュメントの「おろち」は、石見神楽から大蛇(おろち)をテーマとしているそうです。おろちの「おろ」は古語で、高い峰や丘を意味し、「ち」は神を表すそうです。


 次に向かったのが萬福寺ですが、途中に大正10年に郡役所として建てられた国の登録文化財に認定された、歴史民俗資料館がありました。


 その向は、徳川夢声の生誕の地だそうです。


 萬福寺には、雪舟によって作られた寺院様式の石庭があります。






 次に医光寺に向かいました。ここにも雪舟が作った庭園があるそうですが、バスの時間の都合で総門の見学だけで駅に戻りました。




 今日の昼食は、駅前の「大阪王将」で済ませました。




 益田からは米子行快速アクアライナーに乗ります。




益田   12:50発   
石見津田   レ
鎌手     レ
岡見   13:06着 13:09発   
三保三隅 13:14着 13:15発   
折居   13:20着 13:21発   
周布     レ
西浜田  13:29着 13:30発   
浜田   13:37着 13:40発   
下府   13:44着 13:45発   
久代     レ
波子   13:51着 13:52発   
敬川     レ
都野津  13:56着 13:57発   
江津   14:01着 14:02発   
浅利     レ
黒松     レ
石見福光   レ
温泉津  14:16着 14:16発   
湯里     レ
馬路     レ
仁万   14:25着 14:25発   
五十猛  14:31着 14:34発   
静間     レ
大田市  14:40着 14:41発   
久手     レ
波根     レ
田儀     レ
小田     レ
江南     レ
出雲神西   レ
西出雲    レ
出雲市  15:07着 15:14発   
直江   15:20着 15:23発   
荘原   15:29着 15:29発   
宍道   15:33着 15:34発   
来待   15:38着 15:39発   
玉造温泉 15:45着 15:47発   
乃木   15:52着 15:53発   
松江   15:56着 16:06発   
東松江  16:13着 16:14発   
揖屋   16:17着 16:18発   
荒島   16:23着 16:27発   
安来   16:31着 16:32発   
米子   16:42着




 石見津田駅を過ぎるとしばらく海岸線に沿って進みます。




 岡見駅を過ぎると、中国電力三隅発電所が見えてきました。


 この辺りは、底が透けて見えるほどきれいな海です。


 ちょっとうとうとしている間に、浜田の市街地が見えてきました。


 浜田駅のすぐ側には立派な医療センターがありました。




 下府駅、久代駅を過ぎ波子駅に停車したところで、前方の安全確認のためしばらく停車するとのアナウンスがありました。


 下りの浜田行が20分ほど遅れて到着して、こちらも発車しました。


 二駅先の都野津駅には消防車やパトカーが止まっていて、構内には消防署員もいて、どうやら火災があったようです。




 江津駅では、下り特急スーパーまつかぜ5号益田行と交換です。


 江津駅を出ると中国地方最大の江川(ごうがわ)とも呼ばれる江の川(ごうのかわ)、を渡ります。源流の広島県では、可愛川(えのかわ)とも呼ばれる、中国太郎の異名をもつ川です。


 この先しばらくは、海が見えたり見えなかったりの車窓が続きます。






 馬路駅の近くには鳴り砂(鳴き砂とも言います)で有名な琴ヶ浜があります。ある平家の姫が、壇ノ浦の源平の戦に敗れこの地に流れ着き、その時村人に助けられたお礼に、姫毎日琴を奏でていたそうですが、その姫が亡くなると、砂浜が琴の音のように鳴くようになったと言う伝説から、その姫を琴姫、この浜を琴ヶ浜と呼ぶようになったと呼ぶそうです。


 江津駅から40分ほどで太田市駅に着きます。ここは世界遺産の石見銀山への最寄り駅の一つです。
 石見銀山は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山でした。その最盛期には日本は世界の銀の約3分の1を産出したといわれていて、その大部分が石見銀山から産出されていたそうです。世界遺産センターまでは大田市駅から路線バスで30分ほどだそうです。


 停車時間が短く写真には撮ることができませんでしたが、大田市駅の跨線橋の鋳鉄製門柱は、明治23年に建てられた鋳鉄製門柱としては日本最古のものだそうです。
 波根駅付近から小田駅付近までは再び海岸線を見ながら進みます。






 神戸川川を渡ると間もなく出雲市駅です。




 大田市駅・出雲市駅間は、快速の名のとおり通過してきました。出雲市駅の停車時間を短くし遅れをほぼ回復しました。ここから先、終着米子駅までは各駅に停車します。
 出雲市駅を出ると斐伊川(ひいかわ)を渡ります。この川は古事記では八俣遠呂智の肥河(ひのかわ)、日本書紀では八岐大蛇の簸川(ひのかわ)と記述がある川だそうです。


 直江駅、荘原駅と田園風景の中を進みます。


 宍道駅を過ぎると、先ほど渡った斐伊川の一部の宍道湖が見えます。


 来待駅のある宍道町来待地区には、出雲石灯籠の原材料として有名な「来待石」産地だそうです。


 玉造温泉駅のある玉造という名の由来は、この辺りで良質の青瑪瑙が採れ、玉造が栄えたことに由来していると言われています。三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)もここで造られたといわれています。
 ここで、下り特急やくも13号出雲市行と交換しました。


 宍道湖を挟んで松江市街地が見えて来ると、乃木駅に停まり、その次が松江駅です。


 高架の松江駅を出ると、日本では数少ない連結汽水湖の宍道湖と中海を結ぶ大橋川に沿って進みます。




 東松江駅の手前で中海に出ます。


 東松江駅には、北海道でも見られたJR貨物のオフレールステーションがありました。


 この後揖屋駅、荒島駅、安来駅と停車し、終着米子駅に定刻に到着しました。米子駅から鳥取県になります。


 本日最後の列車、山陰本線鳥取行普通列車が2両でやってきました。  


 学生を中心に半分ほどの着席率です。


米子    16:53発   
東山公園  16:56着 16:57発   
伯耆大山  17:01着 17:02発   
淀江    17:06着 17:07発   
大山口   17:11着 17:12発   
名和    17:16着 17:16発   
御来屋   17:18着 17:26発   
下市    17:32着 17:32発   
中山口   17:35着 17:35発   
赤碕    17:39着 17:43発   
八橋    17:47着 17:47発   
浦安    17:49着 17:50発   
由良    17:55着 17:56発   
下北条   18:00着 18:01発   
倉吉    18:06着 18:10発   
松崎    18:15着 18:16発   
泊     18:21着 18:22発   
青谷    18:27着 18:28発   
浜村    18:33着 18:33発   
宝木    18:36着 18:37発   
末恒    18:42着 18:52発   
鳥取大学前 18:55着 18:56発   
湖山    18:58着 18:59発   
鳥取    19:03着

 東山公園駅の近くには米子市東山運動公園があります。米子市では財源確保などを目的として、施設命名権の売却募集したところ、単一工場ではどらやきの生産量日本一といわれている、米子市に本社のある丸京製菓が応募し「ドラマチック」と「どらやき」を組み合わせた愛称「どらやきドラマチックパーク米子(略称:どらドラパーク米子)」となったそうです。


 王子製紙米子工場を見ながら日野川を渡ります。


 伯耆大山駅にはJR貨物の駅もあります。山陰本線には貨物列車がないのでこのコンテナ列車は伯備線を通って倉敷方面に向かうことでしょう。


 大山口駅からは、大山ウインドファームの風車が見えました。


 名和駅の次に御来屋駅に停まります。
 御来屋の由来は、伊勢神宮の御厨(みくりや)に由来し、名和長年が守護した後醍醐天皇の着船地御腰掛岩などの伝承があることだそうです。ですから名和駅の駅前名は名和長年に由来するものと思われます。なお、御来屋の住所にある駅は御来屋駅ではなく名和駅だそうです。


 駅舎は、明治35年の開業時以来のものを今も使用している、山陰最古の駅だそうです。
ちなみに、2・3のりばには車掌車を改造した待合室がありました。 


 ここでは、鳥取発出雲市行の快速とっとりライナーと交換でした。
 今日の車両は、「名探偵コナン」のラッピング車両でした。「名探偵コナン」のキャラクターのほか「まんが王国とっとり」の文字もみえます。8月から鳥取県で「国際まんが博」「国際マンガサミット鳥取大会」が開催されることや、「名探偵コナン」の作者、青山剛昌さんふるさとが鳥取県であることなどにちなんでいるそうです。


 しばらくは、海岸線より少し離れたところを進みます。


 由良駅のある北栄町は青山剛昌さんの出身地で、それにあやかって『コナン』で町おこしを行っているそうです。






 天神川を渡ると間もなく倉吉駅です。


 倉吉駅を過ぎると遠くに日本最大の中国庭園、燕趙園が見えます。鳥取県が、友好都市中国河北省の友好のシンボルとして25億円をかけて建設したものだそうです。


 そろそろ18時30分になります。日没も近くなりました。


 宝木駅と末恒駅の間にある水尻池は、周囲は約3km、水深は浅く概ね1~2mで深いところでも3mほどの、砂丘の発達によって湾が海と切り離されてできた潟湖だそうです。流出入する大きな川はなく、小さな谷を流れる沢水や雨水などが入るだけだそうです。
 ですから、稲作が盛んな大正から昭和にかけては干拓され、夏の間は水田、冬の間は池となっていたそうですが、今では稲作も行われないで一年を通じて池となっているそうです。


 あと10分ほどで、終着鳥取駅です。


 4日目の移動距離447km、乗車時間10時間16分。

本州一周普通列車の旅6~4日目(1)益田駅まで

2016-04-17 08:33:50 | 本州一周普通列車の旅
 4日目は山陰本線で鳥取を目指します。
 山陰本線は、京都駅から日本海沿岸を経由し、隣の幡生駅に至る路線です。


 童謡詩人金子みすゞが、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)の生まれであることから、6月下旬から9月末にかけて「みすゞ潮彩号」が運転されます。ホームには金子みすゞの「大漁」の詩の看板が設置されていました。


 5時39分発の益田行に乗ります。


下関    05:39発   
幡生    05:44着 05:44発   
綾羅木   05:48着 05:49発   
梶栗郷台地 05:51着 05:52発   
安岡    05:54着 05:55発   
福江    05:58着 05:58発   
吉見    06:02着 06:03発   
梅ヶ峠   06:07着 06:08発   
黒井村   06:12着 06:12発   
川棚温泉  06:16着 06:16発   
小串    06:20着 06:27発   
湯玉    06:33着 06:34発   
宇賀本郷  06:37着 06:38発   
長門二見  06:44着 06:45発   
滝部    06:52着 06:52発   
特牛    06:57着 06:57発   
阿川    07:02着 07:02発   
長門粟野  07:10着 07:10発   
伊上    07:16着 07:17発   
人丸    07:22着 07:24発   
長門古市  07:29着 07:31発   
黄波戸   07:36着 07:36発   
長門市   07:43着 07:53発   
長門三隅  07:59着 07:59発   
飯井    08:07着 08:07発   
三見    08:13着 08:14発   
玉江    08:20着 08:21発   
萩     08:24着 08:25発   
東萩    08:30着 08:42発
越ヶ浜   08:45着 08:46発   
長門大井  08:52着 08:52発   
奈古    08:57着 08:58発   
木与    09:03着 09:04発   
宇田郷   09:11着 09:11発   
須佐    09:20着 09:20発   
江崎    09:28着 09:28発   
飯浦    09:36着 09:36発   
戸田小浜  09:41着 09:42発   
益田    09:53着


 1番列車の始発ということで、下関から乗る人はほとんどいません。


 下関駅を出て間もなく下関総合車両所が右手に見えて来ると、幡生駅に着きます。




 幡生駅を出ると、山陽本線と分かれて山陰本線に入ります。


 綾羅木駅、そして太平洋戦争中の燃料統制により、ガソリン動車が使用できなくなり、昭和16年に廃止された梶栗駅。平成20年に宅地開発が進んだため駅名を変えて復活した梶栗郷台地駅、安岡駅と過ぎると、響灘が見えてきました。曇天のため沖にうかぶ藍島が見えません。


 この後、福江駅から吉見駅にかけて響灘を見ながら進みます。


 吉見駅からは山越えになります。


 梅ヶ峠駅を過ぎ、1000分の25の勾配を下り、黒井村駅に着きました。


 隣のボックスでは、下関駅から乗ってきた女子高校生が、頭からタオルをかぶり眠り始めました。


 川棚温泉駅から2km程離れたところには、毛利氏の御殿湯も作られたという温泉街あるそうです。


 小串駅では7分の停車。乗客はほとんどいません。






 小串駅を出ると、響灘に浮かぶ男島、女島、竜宮島が見えます。


 ここから湯玉駅、宇賀本郷駅、長門二見駅と響灘に沿って進みます。




 長門二見駅手前で夫婦岩が見えます。みすヾ潮彩号はここで停車するらしいのですが。


 長門二見駅から列車は丘陵地帯へと進みます。


 ガードレールは白い物と思っていましたが、黄色い物も見ることができました。


 隣のボックスは、2人増えて3人になっています。


 「特牛駅」難読駅名の一つです。地名の由来は、牝牛の意味を示す方言の「コトイ」から取ったという説が有力のようです。


 阿川駅を過ぎると再び海岸線に出でます。


 粟野川を渡ると長門粟野駅です。


 静かな油谷湾をを眺めながら進みます。






 伊上駅を過ぎると今度は耕地が広がる内陸に入ります。


 人丸駅には金子みすゞの「お魚の春」の詩の看板がありました。


 次の長門古市駅までの間も耕地が続きますが、黄波戸駅を過ぎると青海島が見えてきました。


 青海島へは長門市駅から一駅で終点の支線に乗って、仙崎駅で降ります。




 隣の高校生は4人になりました。下関駅から乗った子はすでに2時間乗っています。


 仙崎湾に沿って列車は進みます。徐々に雲も晴れてきたように感じてきました。


長門三隅駅を過ぎると少し高度を上げます。




 飯井駅の辺りから赤い屋根瓦の家が多いように感じます。


 窓から手が届く場所に夏みかんの木が植えられているところがたくさんあります。


 沖の島々は霞んで見えるものの、波打ち際は底が見えるほど透き通っています。


 玉江駅を過ぎると左手に萩市街地を見ながら萩駅へ進みます。


 玉江駅と萩駅で今まで乗ってきた高校生が降りるのと入れ替えに、別の高校の生徒が乗ってきました。




 世界最小とも言われる笠山を見ながら大きくカーブして東萩駅に到着します。




 越ヶ浜駅を過ぎるとしばらくは海岸に沿って進みます。


 長門大井駅・奈古駅間の車窓




 奈古駅・木与駅間の車窓


 木与駅・宇田郷駅間の車窓




 宇田郷駅・須佐駅間の車窓




 須佐駅・江崎駅間は高山半島の根っこの部分を通って行きます。


 飯浦駅から山口県です。


 赤い屋根瓦の割合が多くなってきました。




 戸田小浜駅を過ぎると益田十景の一つ「三里ヶ浜」が見えてきます。浸食が激しく砂浜が減りつつあるとのことです。




 一級河川で唯一、支流を含めてダムが一切無い渡ると終着益田駅です。




 益田駅では2時間57分の待ち合わせです。

 つづく

本州一周普通列車の旅5~3日目(2)広島駅から下関駅まで

2016-04-15 12:47:18 | 本州一周普通列車の旅
 広島駅では21分の待ち合わせです。駅の外に出てみましたが37度近い暑さです。



広島   13:18発
横川   13:22着 13:22発   
西広島  13:25着 13:25発   
新井口  13:29着 13:30発   
五日市  13:32着 13:33発   
廿日市  13:36着 13:37発   
宮内串戸 13:39着 13:39発   
阿品   13:42着 13:43発   
宮島口  13:45着 13:45発   
前空   13:47着 13:48発   
大野浦  13:51着 13:52発   
玖波   13:56着 13:57発   
大竹   14:01着 14:01発   
和木   14:03着 14:04発   
岩国   14:09着

 昼食は、三原駅で購入してきた「たこめし」と広島駅で購入した「夫婦あなごめし」です。








 西広島駅を過ぎると進行方向左手を、広島電鉄宮島線が宮島口駅まで並行して走ります。


 海岸線を走っているのですが、家並みが続いているため一瞬だけ、日本三景二つ目、厳島(宮島)が見えました。


 宮島焼は、神砂焼、御砂焼とも呼ばれる宮島の砂を粘土に混ぜて焼き上げた物をいうそうです。


 玖波駅までの区間は瀬戸内海を眺めることができます。


 大竹駅が、広島県最後の駅です。大竹駅を出てすぐ渡る小瀬川が、山口県との県境になります。


 岩国駅で岩徳線と分かれます地図を見た分かるとおり、櫛ヶ浜駅までは山陽本線より距離が短いため、完成当時は山陽本線となり、今の山陽本線を柳井線といていました。
 しかしその後、山陽本線の複線化が計画された際、岩徳線のルートが勾配やカーブが多く、欽明路トンネルをもう1本掘らなければならないことから、複線化が完了して今のように呼び名が変わりました。

 岩国駅で徳山行の列車に乗り換えますが、この列車は徳山駅で列車番号が変わるだけでそのまま新山口行になります。




岩国   14:10発   
南岩国  14:14着 14:15発   
藤生   14:17着 14:18発   
通津   14:22着 14:23発   
由宇   14:26着 14:26発   
神代   14:30着 14:31発   
大畠   14:35着 14:35発   
柳井港  14:39着 14:40発   
柳井   14:43着 14:43発   
田布施  14:48着 14:49発   
岩田   14:53着 14:54発   
島田   14:58着 14:59発   
光    15:03着 15:03発   
下松   15:08着 15:09発   
櫛ヶ浜  15:13着 15:13発   
徳山   15:18着 15:21発   
新南陽  15:25着 15:25発   
福川   15:28着 15:28発   
戸田   15:32着 15:33発   
富海   15:40着 15:41発   
防府   15:47着 15:47発   
大道   15:53着 15:53発   
四辻   15:58着 15:58発   
新山口  16:04着

 岩国駅を出て今津川を渡ります。


 南岩国駅周辺は一面蓮畑のように見えました。


 ここは瀬戸内工業地域の一角。遠くに、東洋紡績岩国繊維工場が見えます。


 南岩国駅から柳井港駅までは、安芸灘に沿って進みます。






 大畠駅の手前で、屋代島(周防大島)を結ぶ大島大橋が見えます。この橋が架かる大畠瀬戸は最大流速10ノット(時速約18.5km)と急流であるため、橋梁は世界初となる多柱式基礎の上に連続トラスを設置する構造だそうです。
 なお、この橋ができるまでは国鉄が大畠駅・小松港間に大島連絡船(大島航路)を運行していました。


 柳井金魚ちょうちん祭りがちかいためか、柳井駅のホームに金魚ちょうちんが飾られていました。今からおよそ150年前に青森の「ねぶた」をヒントに作られた物だそうです。


 徳山駅の一つ手前、櫛ヶ浜駅で岩徳線と合流します。




 福川駅のホームには今では珍しくなった木製のベンチがありました。


 富海駅に着いたところで、隣のボックスに座っていた方から声をかけられました。直江津から長崎県壱岐市に向かう途中だそうです。聞けば、呉線に乗りたくて夜行バスで京都まで出て、その後新幹線に乗り三原駅まで、そこから呉線・山陽本線と乗り継いで、新山口から再び新幹線で早岐に向かうとのことでした。


 防府駅手前で周防灘とお別れです。遠くに見えるのが、大津島でしょうか。太平洋戦争末期に日本海軍の特攻兵器の一つであった人間魚雷「回天」の訓練基地があったことで有名です。

 
 防府駅が近づくと町工場群が見えますが、ここは鐘紡町です。鐘紡町という地名は全国に何カ所かありますが全て、繊維、化粧品、薬品の「カネボウ」に関連する町工場が集まっていると聞いたことがあります。


 防府駅を出て17分ほど内陸を進むと終着新山口駅に到着します。


 新山口駅は平成15年10月のダイヤ改正までは小郡駅という名前でした。地元の要望に応えて、改称に関わる費用億円余りのうち半分を山口県と関係自治体が負担したことでも知られています。


 ここから山陽本線を乗り継いでいくと、今日の宿泊地下関駅には1時間程でつきますが、ここから海側を通る、宇部線と小野田線を通って行くため、下関まではあと3時間ほど要します。
 宇部線のホームにある駅名票は、宇部線専用の駅名票でした。




新山口  16:28発   
上嘉川  16:31着 16:32発   
深溝   16:36着 16:36発   
周防佐山 16:39着 16:39発   
岩倉   16:41着 16:42発   
阿知須  16:44着 16:45発   
岐波   16:48着 16:49発   
丸尾   16:52着 16:53発   
床波   16:57着 16:58発   
常盤   17:00着 17:01発   
草江   17:03着 17:04発   
宇部岬  17:06着 17:09発   
東新川  17:11着 17:12発   
琴芝   17:13着 17:13発   
宇部新川 17:16着

 幹線の山陽本線から一転して、景色も代わりローカル線になりました。上嘉川駅、深溝駅、周防佐山駅、岩倉駅と田園地帯の中を進みます。 




 阿知須駅は、西日本最大の4コース72ホールをもつ宇部72カントリークラブの最寄り駅。もちろん列車で来る人もいないとは思います。


 常磐駅の手前周防灘が再び姿を現しました。波静かなところと見えて海水浴場も開かれていました。


 草江駅は1面1線のホームの停留所のような無人駅ですが、スーツケースを持ったビジネスマン3人が降りていきました。踏切を渡って真っ直ぐ先にあるのは山口宇部空港、ここから徒歩10分だそうです。


 ここ草江駅から宇部岬駅、東新川駅、琴芝駅、そして下車する宇部新川駅までは、駅間が1km強で続きます。
 宇部岬駅では、新山口行とすれ違いました。


 小野田線の起点は一つ先の居能駅ですが、全ての列車が宇部新川駅発着になっていますから、ここで下車します。




 宇部市はその名から分かるとおり、宇部興産の宇部本社や各種の工場が立地しています。
 駅前を直進すると、その宇部興産本社地区があります。


 改札口付近の広さから、かつては多くの通勤客で賑わったことがうかがわれます。






宇部新川 17:56発   
居能   17:59着 18:00発   
妻崎   18:04着 18:04発   
長門長沢 18:06着 18:06発   
雀田   18:09着 18:09発   
小野田港 18:12着 18:13発   
南小野田 18:14着 18:15発   
南中川  18:17着 18:18発   
目出   18:20着 18:21発   
小野田  18:25着 

 停車中は半自動ということで、手で開け閉めします。


 1両の列車の乗客のほとんどは、高校生でした。


 居能駅を出ると、厚東川を渡り妻崎駅に着きます。


 周防灘に爪の先のように岬が突き出ていたことから付いた地名とされる妻崎駅。沖にあった島まで開墾し陸続きとなっていて、今では想像もつきません。


 雀田駅は、長門本山駅に向かう小野田線支線との分岐駅です。
 向かいのホームには、1日3往復の下り最終列車が停まっていました。


 小野田港駅は、軽便鉄道時代「セメント町駅」というだけあって「小野田セメント」の工場もあったようですが、今ではセメントの製造が行われていないとのことでした。


 この後、南小野田駅、南中川駅、目出駅と停まり進んでいくと、右から山陽本線が迫ってくると、終着小野田駅に到着します。




 今日最後の列車です。


小野田 18:38着 18:39発   
厚狭  18:44着 18:45発   
埴生  18:52着 18:52発   
小月  18:58着 18:58発   
長府  19:03着 19:03発   
新下関 19:08着 19:09発   
幡生  19:13着 19:13発   
下関  19:18着
 
 座って間もなく、隣のおじさんが写真を取ってあげるよと声をかけてきました。


 写真を撮ってもらっている間に、新幹線と美祢線が乗り入れている厚狹駅に到着しました。 


 和泉式部のお墓がある埴生駅を過ぎ、木屋川を渡ると左手に日清食品下関工場が見えました。






すでに時刻は午後7時を過ぎていましたが、まだ日は沈んではいませんでした。


 午後7時18分、定刻下関駅に到着しました。




 明日の朝は、5時39分の列車に乗ります。せっかく下関まで来たので、ホテルの周辺を歩いてみました。
 ホテルの先にあった大歳神社は、平家追討のため源義経が武運の守護神と仰ぐ富士浅間神社氏神、大歳御祖大神に祈願したことから、壇ノ浦の戦いの翌年、地元のの漁民が神祠を祀ったことが由緒とされる神社だそうです。


 海峡ゆめタワーは、高さ153m、球状の展望室は143m。展望室からは瀬戸内海、関門海峡、巌流島、九州の山々が見えるそうです。夜景も楽しめるとのことでしたがガラスが曇っていてよく見えませんでした。


 3日目の移動距離380.8km、乗車時間8時間16分。

つづく