旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅8~その3「火山科学館」&「有珠山金比羅火口災害遺構」

2014-12-30 06:20:55 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 「火山科学館」と思って入ったら何か違う。慌てて外に出てみたが…、ここは何?
 もう一度入った。やっぱり違う。


 お姉さんの「いらっしゃいませー」
 修学旅行で何度も訪れたはずなのに…何か違う。
もう一度外に出て建物を見たら、建物についているマークが違えば表示も「北海道洞爺湖サミット記念館」「洞爺湖観光情報センター」
サミット記念館が出来たのは新聞か何かで知っていたが…火山科学館が無くなったの?
お姉さんに聞いたら金比羅火口の前にできた「洞爺湖ビジターセンター」に新しく併設されとのことでした。


 以前の火山科学館は、1977年の噴火の記録を中心に、2000年の噴火記録を新たに加えた展示でしたが、新しい火山科学館は1977年の噴火体験室はあるものの、2000年の噴火記録を中心とした展示に変わっていました。


 しかし、ビジターセンターでは洞爺湖の成り立ちや自然を知ることが出来るので、今まで以上に学習の範囲が広がったと思いました。



 でも、修学旅行では駆け足の見学になり、ビジターセンターまでは見ないな。
 ちなみに、ビジターセンター部分は無料。火山科学館は一般の大人は600円の協力金という名の入館料が必要です。(修学旅行では270円かな)
 さて、次は火山科学館の裏手にある「金比羅火口災害遺構」に行こう。
 ここは一番新しい2000年の噴火遺構。
 同じ2000年の噴火の遺構である、「西山火口散策路」が、火山学習の教材として生かすために先に整備されたのに対して、ここは金比羅火口から流れ出た泥流によって、洞爺湖温泉街が大きな被害を受けたことを忘れないようにと整備されたところです。


 散策路が整備されていて、被害を受けた町営浴場、町営住宅、流失した国道の橋を間近で見ることが出来ます。
 今回は、時間の関係で散策路は歩きませんでしたが、案内板の解説が充実していて、それを読むだけでも結構時間がかかりました。





 ここでちょうどお昼になりました。
 サミット記念館の斜め向かいに、ちょっとおしゃれな外観に「幌加内そば」ののぼり。


 「幌加内」に誘われました。幌加内は北海道北部にある町で、そばの作付面積・生産量とも全国一。
店の名前は「そば蔵」。期待通りのおいしいそばでした。

 つづく

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅7~その2「有珠山」

2014-12-30 06:00:59 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 最近は、修学旅行で行っても体験学習とかで有珠山に登る学校も少なくなりました。
 昭和新山という名前は、何とか記憶に残っても、有珠山は名前すら覚えていない子が多いのではないでしょうか。


 有珠山の歴史については、まず今から11万年位前に洞爺湖が、5万年位前に中島ができ、2万年位前に有珠山が誕生したとされています。
 その後、7~8千年位活動を休んでいましたが、1663年に小有珠、1822年オガリ山、1853年大有珠、1977年有珠新山が誕生する噴火など、2000年まで9回の噴火が起こっています。
 その9回の噴火のたびに火口をかえ、姿を変えてきました。
 そして、私たちの記憶にも残っている、2000年の有珠山噴火で死傷者が出なかったことからも分かるように、噴火を予知して事前に避難できる可能性の高い火山でもあるそうです。
 ついでに、私が中学生の頃は、現在活動している火山を活火山(桜島、浅間山など)、活動を休んでいる火山を休火山(富士山)、噴火記録のない火山を死火山と理科で学習しましたが、今では活火山の定義はありますが、休火山・死火山という定義が無くなったようです。
 有珠山ロープウェーに乗ると眼下に昭和新山を見ることが出来ますが、同じロープウェーに乗り合わせた、小学校3~4年生と思われる男の子は、お母さんに「僕は、くま牧場に行きたかったのに。」と言っていましたが、お母さんは冷たく、「そんなのは、自分でお父さんに言いなさい。」


 山頂駅横には、洞爺湖を望む展望台もあります。


 山頂駅から、7~8分歩くと「有珠山火口原展望台」に着きます。ここからは大有珠を間近に望めます。


 以前は、ここで引き返すしかなかったのですが、今は「有珠山外輪山遊歩道」が整備・開放されていて、小有珠付近にある外輪山展望台まで往復約2㎞。時間にして約2時間から2時間30分。1㎞1時間?その理由は、外輪山遊歩道の始まりは、斜度45度269段の階段だからです。



 銀沼火口群が見える展望台までは行ってみようと思ったのですが、傾斜45度は思ったよりもきつく、階段途中の銀沼大火口の看板のあるところで引き返すことにしました。


269段の階段の途中から、銀沼火口群を取り囲むように左から、小有珠・有珠新山・オガリ山。


 つづく

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅6~その1「三松正夫記念館」

2014-12-30 05:55:16 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 洞爺湖の旅でまず最初に訪ねたのは、昭和新山。
 修学旅行でも行く昭和新山。晴れの日が続いたため、水蒸気はあまり出ていませんでしたが、「火山」のイメージをもつには十分かなとも思いました。


 修学旅行では、「昭和新山」に行ってアイヌの衣装をつけ、記念写真まで撮るのですが、昭和新山についての学習はガイドさんの話で済ませるのがこの頃の傾向?。
 昭和新山とは、「熊牧場があって、アイヌの人がいて、お土産を買ったところ」。子どもたちの頭の中にも、昭和新山は何も残っていないのが現実かな。
 私が中学生の時には、国語の教科書にも載っていた三松正夫の記念館が、昭和新山をバックに写真を撮るときに目に入るのですが、おそらく多くの人は気にもとめないと思います。


 「三松正夫」とは言うまでもなく、昭和新山を観察記録し、最後には保護のため私財をなげうって昭和新山を購入したことで知られる人。
 さて外観からも想像できると思いますが、建物自体はそんなに大きくはありません。
 入ってすぐ、昭和新山の麓にもある三松正夫が昭和新山を観察している像が出迎えます。


 展示されているものは、昭和新山に関するものが中心ですが、昭和新山の親は有珠山ですから、有珠山に関するするものも少し展示されています。
 また、有珠山や昭和新山に関係する書籍やパンフレット、子ども向けの資料も販売されているので、興味のある者にとって初めて行くと1時間は時間をかけてみたくなります。





 ここを最初に訪ねたのは、今回の目的が「洞爺湖有珠山」が「ジオパーク」に登録されたことで、それに関するところを回るため、ここでまず予備知識を得ようとやった来ました。
 ここの館長さんの名前は、「三松三朗」。三松正夫の孫娘と結婚し、三松家を継いでいる方です。
 新田次郎の小説「昭和新山」には、「紫郎」の名で登場しています。

 つづく

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅5~いよいよ洞爺湖

2014-12-30 04:56:05 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 2日目、9月21日。いよいよ今日は洞爺湖です。
 これまた5連休ということで、洞爺の周辺の駅レンタカーは満車。一番近いところで伊達紋別のトヨタレンタカーの予約ができたので、まずはそこまでの移動。
 昨日の天気は晴天、今日の予報も晴天のはずが、曇天。


 東室蘭からは再び普通列車に乗り伊達紋別へ。東室蘭を出てすぐ、測量山をバックに、室蘭港に入港するにっぽん丸が見えました。
 普通列車の旅もいいけど、豪華客船の旅もいいだろうな。


本輪西から黄金の間はトンネル、又トンネル。7.6㎞の間に12カ所。


 黄金では、2階建て全室個室の札幌行きカシオペアと行き違い。


 ホームの脇がすぐ海岸の北舟岡を過ぎると、いよいよ伊達紋別。


 伊達紋別駅に着いて目を引くのが、改札口側に置かれた大きな兜です。
 所在地の名前は、「伊達市」。駅の名前は「伊達紋別」。
 兜の上に掲げられた案内板によると、まず駅名「伊達紋別の由来は、元々「紋別」、アイヌ語の「シュム・ウン・ケ・ン・ペッ(西にあるところの子川)」といっていたところだが伊達邦成一族の開拓によるところから、明治33年伊達村と称し、駅名は東北本線の「伊達」とまぎらわしいため「伊達別」とした。とありました。


 兜を設置した理由については、仙台の支藩、亘理伊達藩が戊辰戦争で官軍に対抗したため領地を没収されたことにより、天地に亘理城再興の夢を託して、明治3年から11年間にわたり領主伊達邦成以下、旧家臣・領民合わせて2,800余名海を渡って移住し当地の開拓に当たった。特に、北海道では間初になる洋式農具による開墾、近代的な製糖工場の設立など北海道の開拓にとって大きな原動力になった。この兜は、海越えた武士たちのフロンティアスピリットの象徴として設置た。とありました。
 なお、一つ手前の北舟岡は、仙台藩船岡領の人たちが入植た所だそうです。

 つづく

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅4~一路 洞爺湖へ Ⅲ

2014-12-30 04:40:39 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 長万部の駅名表を見て分かるとおり、次の駅名が2つ書かれています。


 函館から札幌方面に向かうルートは、小樽を経由する函館本線(山線とも呼ぶ)と、東室蘭を経由する室蘭本線があります。長万部はその分岐点なのです。
 以前は、どちらも函館・札幌間直通の特急列車が通っていましたが、現在では、函館本線と言う名前が付いているものの、特急列車は走らず、普通列車のみになっても直通列車は1本もありません。札幌直通は、ここ長万部からの1本だけで、札幌からの直通はありません。
 このように、函館本線が廃れたのにはいろいろな理由がありますが、皮肉なことに、北海道新幹線は長万部から小樽を通る、現函館本線に沿ったルートが計画されています。
 さて、長万部では27分の待ち合わせ。


 長万部といえば「かにめし」ですが、「かにめし」については帰りにお話しします。
 「かにめし」は戦後生まれの名物駅弁ですが、長万部には戦前からの名物があります。
 駅のキヨスクにはないので直接、駅を出てすぐの所にある、お店に行きました。


 その名も「おしゃまんべ名物 特製もりそば」
ここでは、注文を受けてからゆでてくれました。


 このもりそばは、昭和の初めに登場した当時から、長い間日本唯一のそばの駅弁でしたが、国鉄は御飯の入らない弁当を駅弁として扱わなかったため、公式な駅弁にはなっていません。そのためか、今でもJR、JTBどちらの時刻表の駅弁欄にも載っていません。
 ボール紙でできた長方形容器の中には、トレーに入ったもりそばに刻みネギ・わさびが添えてあり、とうがらし・刻みのりの薬味が付き、その脇にうずらの玉子がひとつとポリ容器に入ったそばつゆがついていて、そばつゆを入れるカップには、缶詰のみかんがデザートとして入っていました。


 このように、正式には駅弁ではないとしても多くの人に駅弁として認められている「もりそば」です。
 特急に乗って通るときは、長万部に着く1時間前までに客室乗務員(JR北海道では、このように呼ぶ女性乗務員が、ほとんどの特急列車に乗っています。)に注文すると、時間に合わせてゆでたそばを、座席まで届けてくれるそうです。なお、「かにめし」も同じように注文できるそうです。 
 ゆでたてのそば、早速列車に乗っていただきました。 
さて、本日最後の列車は、長万部15時8分発東室蘭行き普通列車です。
 キハ150型100番台です。座席は二人掛けと一人掛けのボックスシート。



 同じ150型でも山線を走っている0番台には冷房が付いているのですが、こちらは一見冷房のように見える送風機がついていて、手動のスイッチが窓の横に付いていました。


 窓は特急列車のように二重窓になっていましたが、上の部分が内側に斜めに倒れて開くようになっていました。


長万部を出ると、函館本線は単線になって左に分かれ、こちらは引き続き噴火湾に沿って複線で進む室蘭本線。
 函館を出て、落部付近まではいくつかのトンネルがあったものの、ここまでは比較的なだらかな海岸線に沿って進んできました。
 静狩の駅名の由来は、アイヌ語の「シリ・トゥカリ(山の手前)」。
 その名のとおり、静狩を過ぎると洞爺までは、大小のトンネルが幾つも続き、海岸線が見えたと思えばトンネル、トンネルを出たと思えば断崖絶壁の海岸線、上下線が離れているところもあり、複線なのに単線と思うような所もありました。
 その間にある礼文駅。「礼文」と言えば、思い浮かぶのは最北の島「礼文島」。
 「礼文駅」の住所は豊浦町字礼文華。礼文華はアイヌ語の「レブン・ケプ(沖に突きだしている)」から。礼文島はアイヌ語の「レブン・シリ(沖の島)」から、場所は違うがどちらも、「礼文」。


 最近、修学旅行で礼文華峠・静狩峠を通ってもこんな説明をするガイドさんはいるのかな?
 礼文を過ぎたあたりから、有珠山が姿を現しました。


 また、正面の山の上には、サミット会場になった、場所も高ければ、値段も高い、「ザ・ウィンザーホテル洞爺」の姿が。


 修学旅行では、まもなく洞爺。降りる準備です。
 本来であれば、明日のことを考え洞爺湖温泉に泊まるために、修学旅行と同じく洞爺で降りるのですが、洞爺湖温泉周辺では5連休に加え、昨日今日と「第22回北海道ツーデーマーチ」といって、2日間いろいろなコースに分かれて歩く大会が開かれていて、ホテルはすべて満員。ということで、今日のお泊まりは東室蘭になったのです。
 起伏に富んだ海岸線も、伊達紋別を過ぎたあたりからなだらかになり、海の向こうには駒ヶ岳?そうです、噴火湾に沿って走ると、伊達紋別から黄金付近で正面に駒ヶ岳が見えてきます。興味のある方は地図をご覧になって下さい。


 崎守を過ぎると海側に室蘭港と工業地帯が広がりました。


 
 野辺地を出発して387.7㎞、10時間8分。乗車時間は6時間59分。東室蘭に16時47分予定どおり到着しました。


 さすが北海道。跨線橋の階段には風除室。それも自動ドア。


 ちなみに、同じく野辺地を出発して特急列車を乗り継いできたとすれば、11
時40分には到着していました。所要時間は約半分の、5時間1分。但し、運賃・料金は倍の、10,710円になります。東室蘭駅前のホテルにチェックイン。
 この先は、計画外。
せっかくここまで来たのだからと、室蘭まで足伸ばすことにしました。
 室蘭といえば地球岬ですが、これから行ってもう暗くなっているので、今回は室蘭の駅を見るだけに行くことにしました。


 室蘭駅は、本線から盲腸のように伸びた先にる行き止まりの駅。
 現在の駅は、平成9年に建てられたモダンなですが、以前の駅は明治45年に建てられ、平9年まで使われた、北海道の木造の駅舎として番古い物でした。
 現在は移築され、バス待合所や観光案内所に用されていました。国の登録有形文化財にも指定されているとのことですが、探すのに手間取りたどり着いた時にはもう暗く、満足に見ること出来ませんでした。


 不幸中の幸いか、運良く測量山のライトアッを見ることが出来ました。
いよいよ明日は、今回の目的である世界ジオーパークに認められた、洞爺湖有珠山へ。



 つづく