旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

旅の小窓

2015-03-31 05:29:09 | 日記
 「旅の窓」は、書きためたものをブログ用に再編集して投稿しています。
 それに対して「旅の小窓シリーズ」は、撮りためた写真を中心に投稿しています。

 3月に入り多少仕事も忙しくなり、月末は週4回と送別会がピーク。

 先日は「一人二次会」をしました。
 十和田市にある「グラスワーク 恋々」です。


 静かに落ち着けるお店です。
 仕事に疲れたときなど、ここで「一人二次会」はお勧めです。

 と言うわけで、最近ブログの更新が進んでいませんが、数日後には「旅の小窓~三陸2013鉄道の旅7」を投稿する予定です。

旅の小窓~三陸2013 鉄道の旅 6

2015-03-21 06:03:27 | 旅の小窓
 気仙沼から前谷地までの気仙沼線は、気仙沼駅と柳津駅が不通のため、BRTを乗り継ぎます。


 14分の待ち合わせで、10時55分発柳津行に乗りました。


 気仙沼駅を発車した間もなく一般道から、本来線路が敷かれているはずの所からレールを取り外し、舗装された専用道に入りました。


 踏切では信号が付いていて、鉄道とは逆に専用道の側に遮断桿が設置されていました。


 全線専用道ではないため、途中で一般道に入ったり入ったりの繰り返しです。


 岩松駅陸前階上駅間では、地盤のかさ上げ工事が進められていました。


 陸前階上駅。跨線橋がそのまま残され、駅だったことが分かります。


 鉄道トンネルだったところもそのまま活用されています。


 本吉駅。鉄道の駅がまだそのままで、手つかずでした。


 防潮堤のかさ上げ工事の真っ最中。


 歌津駅そのものは高いところにあり被害を受けていないようでしたが、駅前は御覧の通りの被害。



 路盤ごと流された清水浜駅付近。


 コンクリート製の橋桁も、御覧の通りでした。


 本来の気仙沼線にはないこの駅は、高台にあり南三陸町の仮の中心地で、南三陸町役場仮庁舎や南三陸診療所がある、南三陸町総合体育館「ベイサイドアリーナ」付近に設置されています。


 ベイサイドアリーナの向かい側にある、WFPと書かれたテントは、災害ボランティアセンターです。

 
 南三陸町の中でも被害が大きかった志津川地区に入りました。
 防災対策庁舎です。


 志津川駅があった所です。


 BRTの志津川駅は、内陸に入ったところにあります。


 テレビなどでよく紹介される「南三陸さんさん商店街」はここにあります。


 志津川河口にある水門の壊れたままでした。


 歩いて渡ることのできる荒島周辺に見える筏は、わかめの養殖でしょうか。


 高台にあるといっても2階まで被害に遭いながらも、180日間にわたって600人の被災者を受け入れたことで有名な「ホテル観洋」。


 陸前戸倉駅付近では、 BRT専用道にするための工事が行われていました。


 ここから内陸に入ります。
 陸前横山駅付近です。ごく普通の景色に変わりました。


 12時54分、柳津駅到着。


 ここから、13時25分の本来の気仙沼線で前谷地駅に向かいます。


 乗客は他に誰もいません。


 前谷地駅には13時25分に到着して、今度は石巻線に乗り換えて女川駅を目指します。


 石巻線は、女川駅付近は壊滅状態なので、手前の浦宿駅まで列車で行き代行バスに乗り換えることになります。
 小牛田からの、13時51分発浦宿行がやってきました。「石巻線マンガッタンライナー」の車輌です。



 車輌の中にも、石巻にゆかりのある石ノ森章太郎氏のマンガキャラクターが描かれていました。


 だんだん雨脚が速くなってきました。


 14時36分に浦宿駅に到着しました。


 この駅も海岸沿いにあるため津波の被害を受けたところです。


 14時41分の代行バスで女川駅に向かいます。


 一時小降りになった雨の、女川に向かうほど再び強くなりました。外の景色などの写真はここまでとなりました。


 
 「きぼうのかね」商店街へ。
 「きぼうのかね」とは、震災後、瓦礫の中からひとつだけ発見されたJR女川駅前にあったからくり時計の鐘ことで、女川高校のグラウンドにオープンした仮設商店街の一角に飾られえいました。


 この商店街には、食料品や衣料品、中華料理、焼肉、カフェなどの飲食店や電気屋、本屋、クリーニング屋、自転車屋、タクシーなどなどいろいろな店が集まっている、被災地最大級規模の仮設商店街だそうですが、買い物客はほとんどいませんでした。


 いくつかの商品を買いましたが、「きぼうのかね商店街」のシールが貼られていました。


 再び「石巻線マンガッタンライナー」浦宿駅16時39分発小牛田行にのって、石巻へ向かいます。 


 石巻駅には17時2分の到着。
石巻駅にも石ノ森作品がたくさんありました。



 ポストの上にも。


 駅前には、津波の浸水位置を示す表示がありました。


 石巻からは、仙台に向かいます。
 震災前は、仙石線の電車が直通していましたが、現在一部区間が不通になっているため、列車と代行バスの乗り継ぎで向かう方法が一般的ですが、1日1往復だけ小牛田を経由する、どこの駅にも停まらない直通快速があります。
 その18時17分発の直通快速に乗り、仙台には19時38分に到着しました。

 つづく

 ※投稿した今日、平成27年3月21日は、石巻線が女川まで全線開通する日です。

旅の小窓~三陸2013 鉄道の旅 5

2015-03-19 05:24:34 | 旅の小窓
 3日目。宿泊した大船渡プラザホテルから大船渡港方面の様子。ほとんどの建物がなくなっています。




 ホテルの朝食。


 地盤沈下で道路からの雨水を防ぐための土嚢が、道路沿いの並べられていました。


 BRT大船渡駅。ここを気仙沼線が通っていたと思えないほど、様子が一変していました。


わずかに、ホームの痕跡がありました。


8時5分発気仙沼行に乗って陸前高田を目指します。


 天気が良ければ、左手に大船渡湾を見ながら進むのですが、いつ雨が降ってもおかしくない天気です。



 細浦駅周辺も、ここに駅があった知は想像できません。


本来の大船渡線は、小友を過ぎると広田湾に沿って陸前高田へ進むのですが、バスは山側の道路を進みます。
 山間には、至る所に仮設住宅がありました。


 木を伐採して、宅地を造成しているところも数多くありました。



 8時50分。陸前高田駅に到着。本来の駅の位置から直線で1km以上離れた高台にある、仮設の市役所の隣に移転していました。



 ここで約1時間あるので、奇跡の1本松へタクシーで向かいました。
 10時41分発の気仙沼行に乗ることを伝えると、それに間に合うように市内を案内してくれることになりました。


 旧市街地は、がれきも片付けられ何もありません。


 長年タクシーの運転をしていても、夜になると街灯も信号も、目印になる建物も何もないため、迷うこともあるとのことでした。


陸前高田駅舎があったところから、駅前方面の様子。


 草ボウボウですが、ホームの姿が残っていました。


 米沢商店のビル。悲劇を2度と繰り返してはいけないと、その教訓を伝えようと、被災したビルに、津波が到達した高さが分かるよう煙突に看板が設置されていました。


 「道の駅 高田松原」。震災遺構として保存が検討されているそうです。


 内部は、御覧の状態でした。


 道の駅の目の前には、追悼施設が建てられていました。


 「奇跡の一本松」と旧「陸前高田ユースホステル」
 長期休業中だったユースホステルの建物が、1本の松を守ったかのようにも見えます。この建物も震災遺構として残すことが検討されているそうです。


 広田湾に注ぐ気仙川河口近くに建つ気仙中学校。3階の校舎が津波に飲み込まれ全壊しましたが、全員高台に避難し人的被害がなかったことから、ここも震災遺構となるそうです。


 山から土地のかさ上げ用の土を運搬する作業が行われていました。


 流れ着いた廃材を組み「幸せがくるように」と、映画好きの土地の持ち主が自宅跡にハンカチを掲げたそうです。この話を聞いた「幸せの黄色いハンカチ」の山田洋次監督が、その隣に映画と同じ丸太を立てることを提案して寄贈された物だそうです。


 10時8分。大船渡行で終点まで行きます。


 鹿折唐桑駅前には、港から700m以上流された第18共徳丸が道路脇に倒れないように支えがされていました。 


 気仙沼湾が見えてくると、間もなく終点。


 10時41分、気仙沼駅到着。


つづく

旅の小窓~三陸2013 鉄道の旅 4

2015-03-17 05:06:33 | 旅の小窓
 30分ほどで吉浜駅に着きました。
 吉浜駅は、国鉄時代の盛線の終点駅でしたが、三陸鉄道に移管されると同時に釜石駅まで延伸され、現在の南リアス線になりました。
 現在は無人駅で、「きっぴんセンター」が併設されていました。
 駅舎は、復旧にあわせてネスレ日本の協賛で、「キット、ずっとプロジェクト」にちなんで、壁いっぱいに桜の花が描かれていました。


 またこのプロジェクトのセレモニーが、吉浜駅で行われたことから志村けんさんが名誉駅長になっていました。



 次の列車まで約2時間。駅周辺を散策しました。
 今では珍しい、アルコール類の自動販売機。


 明治7年開局の旧吉浜郵便局。郵便マークはついていますが、現在は使われていません。


 そばには、現在の郵便局がありました。


 大船渡市農業協同組合吉浜支店。


 地域ぐるみでジョギングをしているのでしょうか…


 正寿院は、陸前高田市を発祥とする優れた技術を持つ大工さんの集団、気仙大工によって建てられたものです。


 この辺は、シカ猟が行われているようで、注意を呼びかける看板。


 新山神社


 今回の震災で、この吉浜地区は、漁業施設や海岸に近い田畑が被害を受けたほかは、行方不明者が一人と、田の地区に比べて奇跡的に被害が少ないところです。
 その理由が、この新山神社が昭和8年の昭和三陸大津波で被害を受けた教訓から、浸水したところには二度と家を建てないことを、先祖代々守ってきたからだそうです。
 その教訓が、「津波の追憶」という日に刻まれていました。



 この碑のそばには、石川啄木の歌碑もありました。偶然にも、野辺地の愛宕公園にある歌碑と同じ歌でした。



 ここから先は、低地の田畑を通って海岸に道が延びていました。被害の爪痕がまだ残っています。



 折り返して再び、駅に向かいます。
 スーパーでおやつ、酒屋で復興支援のため地酒「酔仙」を買いました。



 駅に戻って、最初は気づかなかった気球が待合室にありました。
 三陸大気球観測所があったことを記憶に残すためのもののようです。




 「銀河連邦」? 宮沢賢治の世界かと思ったら、JAXAの施設がある五市町で組織した友好団体だそうで、三陸大気球観測所が廃止された今でも交流しているそうです。


 「吉浜元気組」。地元の若手漁師さんを中心にした地域興しの団体のようです。動物(しか?)が手に、「きっぴんアワビ」をもっていました。


 折り返し、17時9分発盛行となる盛からの列車がきました。



 車両は、クウェートの支援で購入した新造車両です。
 そのため、アラビア語・英語・日本語で、感謝の言葉


 吉浜駅から乗車したのは私たちだけ。やはり全線開通しなければ…。


 吉浜駅三陸駅間は、新しく盛り土されていました。



 三陸駅では、数分の停車。


 ホームからみる現在の三陸駅前。


 運転士さんが見せてくれた、震災前の三陸駅前の写真。


 復旧工事中の舘崎漁港。


 小石浜駅として開業した駅ですが、地元のホタテブランド「恋し浜」にちなんで、駅名を改称したところです。


 駅待合室には、ホタテ貝を絵馬にしてつるしてありました。


 ホームにはバラ・星・天使の透かし彫りの案内板に、「幸せの鐘」がありました。


 陸前赤崎駅まで来ると、前方に大船渡の市街地が見えてきます。


 大船渡市民体育館。窓ガラスなどまだ壊れたままです。


 右に大きくカーブすると、間もなく盛駅。4分ほど遅れて、17時54分に到着しました。


 沿線の案内などしてくれた今日の運転士さんは、佐々木光一さんでした。


 盛駅から先気仙沼駅までの大船渡線は、震災被害のため不通で、BRTシステムで、バスによる運行をしています。
 そのため、三陸鉄道が着いた3番線には線路が、2番線にはバスが通るアスファルト道路があり、今までに見たことのない光景です。


 18時発の陸前矢作行で、隣の大船渡駅へ向かいます。


18時5分。大船渡駅到着。
ここに駅があったことが想像できないほど、何も残っていませんでした。



 つづく

旅の小窓~三陸2013 鉄道の旅 3

2015-03-15 05:22:26 | 旅の小窓
 2日目は、一度宮古駅前に戻り浄土ヶ浜へ。
 駅前のポストの上には、浄土ヶ浜のフィギアが。



8時20分発のバスに乗り、宮古市役所前を通り宮古湾に沿って、遊覧船乗り場のある浄土ヶ浜ビジターセンターへ。


 海岸近くの宅地は、津波で家屋が流され、草ボウボウ。




 13分ほどで、ビジターセンターに到着。


 昨日のテレビニュースで紹介された、完成したての遊歩道を通って、遊覧船乗り場へ。


 第16陸中丸は、東北大震災の地震発生時に桟橋に係留中で、船長の判断で船を出し、引き波に乗って沖へ向かい、約42時間沖合いで待機し、3隻の中で唯一残った船です。


 40分かけて宮古湾を一周する「浄土ヶ浜遊覧コース」に乗船。

(浄土ヶ浜)



(ローソク岩)



(夫婦岩)



(潮吹き穴は写真で我慢)



(姉ヶ崎)



(日出島)


 津波で壊れた防波堤を撤去する作業が今も行われていました。


 絶景ポイントの案内だけでなく、震災の様子も写真を準備していて教えてくれました。


 今回のガイドさん始め、船長・機関長は、JR大人の休日クラブのポスターに登場していました。


 浄土ヶ浜ビジターセンター9時34分発のバスで、宮古駅に戻ります。
 左に見える、防潮堤を越えて津波がおそいました。


 宮古駅前では、「カラス」ではなく「トンビ」がソフトクリームを狙っているそうです。


 宮古駅から盛駅まではJR山田線ですが、震災により不通となっているため、10時10分発の岩手県北バス船越駅前行に乗って、「道の駅やまだ」まで行き、そこで乗り継いでいきます。


 天気も良く、宮古湾は穏やかでしたが、震災の被害の跡が至るともろにありました。


 駐車場らしきものがみられるので、この周辺に建物があったことが想像されます。


 崩れたままになっている堰堤。


 駅舎が板で覆われている津軽石駅。


 石峠付近の仮設住宅。


 仮設の、県立山田病院。


 国道45号を下って、山田湾に出ました。
 一面野原になっていましたが、かつては住宅が建っていたところです。


 山田町の中心街。



 2階部分を直して営業している店もありました。


 折笠付近。壊滅状態のままです。


 牡蠣の養殖筏でしょうか、真新しい筏が山田湾に浮かんでいました。


 「道の駅やまだ」に11時10分到着。


 ここからは、11時20分の岩手県交通のバスで釜石を目指します。


 前須賀海水浴場付近の堤防も、被害を受けたままになっています。


 波板観光ホテルは再開に向けて工事中でした。


 「ここから 過去の津波浸水区間」という表示。津波の大きさがわかります。


 吉里吉里付近。


 大槌町の中心街に入りました。


 お寺があったところでしょうか、墓石が倒れたままになっています。


 片岸付近の災害廃棄物の処理施設。


 鵜住居駅付近では、鉄橋だけが残っていました。


 両石湾の復旧工事。


 天神町仮設住宅。釜石市内に入りました。


 12時8分。釜石駅前に到着。


 ホームには、釜石線のポケモントレインが停車していました。


 さすが鉄の町。駅前には新日鐵住金釜石製鐵所がありました。


 震災後建てられた碑の一つに「ひょっこりひょうたん島」のものもありました。



 釜石駅前のポストの上には、鮭のフィギア。


 本来であれば、ここで三陸鉄道南リアス線に乗り換えるところですが、現在釜石駅吉浜駅間が不通となっているので、14時26発の岩手県交通のバスで吉浜まで行きます。
 お昼を食べても時間があるので、釜石大観音にいきました。


 大観音の内部は階段になっていて、胸のあたりが展望台になっています。


 午後になって曇ってきて、眺めは今ひとつでした。


 駅からここまで乗ったタクシーの運転手さんも被害に遭われた方で、津波の様子を携帯で撮った写真を見せてくれながら、当時の様子を話してくれました。でもお客さんに当時の話をするようになったのは、最近になってからとのことでした。



 釜石大観音入口のバス停からバスに乗り、南リアス線吉浜駅へ向かいました。

 
 つづく