旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

最北端 稚内への普通列車の旅13(完) 

2015-01-23 05:34:57 | 最北端 稚内への普通列車の旅
 次の列車は、長万部発13時24分発砂原線回り函館行き普通列車のため、ここで2時間12分の待ち合わせです。
 昨年の「世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅」で2回途中下車している町ですが、駅周辺に何もなかった記憶から、出発前に長万部観光協会のホームページをを見たところ、手作りピザの店があると紹介されていたので、ちょうど昼時なので、その店に行くことにしたのですが…。場所も店の名前も記憶していなかった。

 1時間ほど駅周辺を歩いても、それらしい店を見つけることができませんでした。

(長万部の海岸沿いまで探したのですが…。)

 結局は駅前にあるかにめし本舗かなやの直営店、お食事処かなやでの昼食となりました。



 長万部からのルートは、昨年の「世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅」と同じルート。以降、詳細は省略します。
 定刻の13時24分にキハ40型1両に12人乗せて発車しました。


 長万部からも、駒ヶ岳がくっきり見えました。


 渡島砂原付近では、昨年見ることができなかった海も見えました。


 駒ヶ岳も、裾野から頂上まで全容を表していました。

 
 相変わらず、流山温泉の新幹線は、無残な姿です。


 仁山の手前で、函館山も遠くに見えてきました。


 「夢へ出発 北海道新幹線 いよいよ実現へ」の看板。
 用地は確保されているものの工事はまだのようです。


 函館16時12分、定刻の到着。
 駅コンコースには、東北新幹線新青森駅開業カウントダウンのボードがあり、新幹線に寄せる期待の大きさが感じられました。


 新青森を控える我が青森県の取組が心配になりました。
 函館からは、16時51分発八戸行き特別急行列車「白鳥32号」。昨年のような混雑もなく乗車。青森には、18時40分の到着。


 私たちの持っている「北海道&東日本パス」は普通列車限定の切符。特例で特急に乗れるのは函館・青森間だけ。
 そこで、18時51分発東北本線普通電車八戸行きに乗り換え、19時34分に野辺地駅に到着し、今回の旅も無事終了しました。


 今日の乗車実時間8時間26分。移動距離470.3㎞

 全行程の乗車実時間39時間29分。移動距離1,854㎞

 おしまい

最北端 稚内への普通列車の旅12 帰路 長万部まで (2)

2015-01-22 05:42:09 | 最北端 稚内への普通列車の旅
 次の比羅夫までは、尻別川の渓谷や羊蹄山、ニセコアンヌプリなどの山々が見え、景色を楽しむことができる区間でした。




 比羅夫の地名は、日本書紀に阿倍比羅夫がここにに郡領を置いたという伝説によるそうです。一時期は羊蹄山などの登山基地として賑わっていましたが駅も無人化され、駅舎は民宿も担っていて、ホーム横には離れのコテージがありました。



 比羅夫の次は、カタカナ表記のニセコ。開業当時は真狩駅。しかし真狩は隣村の名前なので本来の町の名をとって狩太駅にに改称。その後、町名が狩太町からニセコ町に改称したのに合わせて駅名も改められました。ただし、この町名変更は、ニセコの入り口にある駅の名前を「ニセコ」にしたいと言ったことに、当時の国鉄が難色を示したために、それならと、町名をニセコに変えることによって、変えさせたという説もあります。


 ニセコにも、倶知安と同じく「むかい鐘」のレプリカがありました。


 引き続き羊蹄山やニセコの山々を見ながら、昆布を目指します。


 海辺でもないのに地名が「昆布」。その由来には諸説ありますが、一説には近くの山「昆布岳」に由来し、この山はかつてアイヌ語でトコンポ・ヌプリ(小さなこぶ山の意味。ヌプリは「山」)と呼ばれており、これが転じて「昆布岳」となり、ここから地名「昆布」が生まれたと言われています。


 もう一説は、この地域は尻別川、昆布川の合流点にあり、古くから農産物の産地でした。また、日本海に面する磯谷にも近く、そこでは海産物が豊富に取れました。昔、アイヌの人たちは昆布などの海産物を持ってこの昆布地区にきて農産物との物々交換をしたといいます。当時は道もなかったので目印として立ち木に昆布をしばりつけ、それを目当てに歩いたと言われ、そこから「昆布」となったとも言われています。
 なお、昆布はアイヌ語からの外来語と言われています。
 昆布の次は、蘭越。
 駅舎の壁に掲げられた「蘭越駅」の大きな駅名標が印象的でした。ホームからは、ニセコの山々も見えました。



 蘭越は尻別村から分村して南尻別村となりましたが、町制施行にあたって役場所在地が蘭越にあることから町名を蘭越町と改称したそうです。蘭越とは、アイヌ語の「ランコ・ウシ」が訛ったもので、桂の木の多い所という意味だそうです。
 ちなみに、町の花木は「こぶし」だそうです。
 駅の横には、花いっぱいの町だけあって、公園などが整備されていました。


10分停車の後、目名を目指します。
 ここまで、「山線」と言われるように、20‰の勾配で小樽・塩谷間の於多萌峠、銀山・小沢間の稲穂峠、小沢・倶知安間の倶知安峠と大きな山越えをしてきて、再び20‰の勾配で標高を上げ、車窓には針葉樹の保安林が途切れ途切れに続きます。
 目名駅はログハウスの駅舎でした。


 ここには、平成12年の有珠山噴火で室蘭本線が一時不通になり、特急列車が函館線を迂回したとき、輸送力を上げるため、一度廃止された交換設備の復活工事をした跡が残っていました。しかし、完成と同時に迂回運転も終わったので実際に使用されることはなかったとのことです。
 列車は更に列車は高度を上げます。


 長いスノーシェルターを抜け、カーブを切ると短いスノーシェルターが。ここが最後のサミット。


 ここからS字にカーブしながら、第二、第一白井川トンネルを越え下っていくと、勾配もなだらかになってくると熱郛です。




 アイヌ語のクンネ・ネッ・ペッ(黒い漂木のある川)が由来なのですが、この熱郛駅、開業当初は熱郛駅、その1年後に歌棄(うたすつ)駅に改称。そしてその1年後に再び熱郛駅に改称し、現在に至っています。
 そもそも、歌棄とは日本海に面した寿都湾にある寿都町の集落の地名だそうです。たった1年の改称の理由は定かではありません。
 駅舎は「熱郛ホール」となっていました。


 次の黒松内までは、函館本線で15.5㎞の最長駅間。
 黒松内は、黒松が生い茂るところが地名の由来かと思ったら、ここは北海道。アイヌ語のクル・マッ・ナイ(大和民族の女がいる沢)由来とのこと。江戸時代、北海道に渡来していた和人・大和民族は大抵が男で、女性が大変に珍しかったのでついた地名とのこと。
 なぜ、ここに女性がいたかと言えば、漁師である夫を慕って蝦夷地に渡ろうとした妻の船が難破し、やむなくここにとどまったという言い伝えがあるそうです。
 次の蕨岱は、名の通りかつてはワラビが群生していたことからついた地名。駅舎は「山線」では珍しい車掌車を改造した駅舎でした。駅名を50音順に並べると最後に出てくる駅名でもあります。


 終点長万部の一つ手前が、二股。内浦湾に注ぐ長万部川をさかのぼってくると、ここで知来川と二股川に分かれることからついた地名。ここは貨車駅でした。


 二股を出て、道央自動車道をくぐり大きく右へカーブすると、かつては鉄道の要衝であったことわかる長万部駅の広い構内が見えてきます。


 長万部には定刻の11時13分に到着しました。
 普通列車の旅の場合、長万部では必ず乗り換えをしなくてはなりません。


 つづく

最北端 稚内への普通列車の旅11 帰路 長万部まで (1)

2015-01-21 05:42:51 | 最北端 稚内への普通列車の旅
 小樽駅の駅舎は、上野駅に似ていていました。



 小樽には、石原裕次郎が3歳から9歳まで過ごした縁で、映画「黒部の太陽」のセットの再現、映画「栄光への5000キロ」で使用した自動車の展示、ハワイの別荘・成城の裕次郎邸の再現などのある、「石原裕次郎記念館」がありますが、小樽駅の中にも、石原裕次郎にちなんだものがあります。 
 4番線ホームは「裕次郎ホーム」と愛称がついています。かつてNHKの番組のロケで訪れた際に、このホームに降り立ったのが由来だそうです。ホームには等身大パネルが設置されています。また、ホームの番号表示灯の数字の「4」がヨットに見立てたデザインになっています。



 小樽からは、函館本線長万部行き普通列車に乗ります。
○小樽    08:07発
・塩谷    08:17着 08:17発
・蘭島    08:24  08:25
・余市    08:30  08:31
・仁木    08:36  08:36
・然別    08:41  08:42
・銀山    08:54  08:55
・小沢    09:05  09:06
・倶知安   09:19  09:28
・比羅夫   09:35  09:36
・ニセコ   09:44  09:45
・昆布    09:56  09:57
・蘭越    10:06  10:16
・目名    10:25  10:25
・熱郛    10:42  10:42
・黒松内   10:50  10:51
・蕨岱    10:57  10:58
・二股    11:04  11:05
○長万部   11:13着

 函館本線とは、函館から長万部・小樽・札幌を通って旭川までを言います。 
 長らく基幹路線で特急列車も走っていましたが、小樽駅までが単線な上、急勾配・急曲線が連続する地形なのに対し、長万部から室蘭本線・千歳線を経て札幌方面に向かう区間は、距離的に若干遠回りですが、地形的に時間短縮できるうえに、比較的沿線の人口も多く、徐々に函館・札幌間のメインルートとしての役割が室蘭本線・千歳線経由になり、現在、特急列車・貨物列車は長万部駅から先札幌までは区間は室蘭本線・千歳線経由となっています。そのため、長万部・小樽駅間は古くから開通しているのですがローカル線化しています。
 長万部駅から室蘭本線・千歳線を経て札幌方面に向かう区間を通称「海線」と言い、函館本線のこの区間を「山線」と言い、今日はこの「山線」を通ります。
 小樽発の列車はキハ150+キハ40の2両編成。



 キハ150系はエンジンの出力を高め、冬の排雪性を向上させ1両での運転を可能にするとともに、北海道の一般型気動車では初めて冷房がつき、合わせて固定窓となっている車両です。
 キハ40系は国鉄時代からよく見る車両で、車体の大きさの割にはエンジン出力が弱く、除雪性能が弱く、冬は1両での運転が出来ないと言われています。
 平日は1両ですが、休日は2両ということで、それぞれ半分ぐらいの乗車で、定刻発車しました。
 小樽を出て峠越えをすると塩谷。
 塩谷では、ワンマン運転のため運賃の精算に時間がかかったのか、4分遅れての発車となりました。
 塩谷を出て、更に下って蘭島に向かう途中余市湾が見えます。


 蘭島から更に下って、国道5号線と平行して日本海が見えてくると、まもなく余市。
余市町出身の有名人は、どういう理由か空を飛ぶことに関係があります。
 余市と言えば、札幌冬季オリンピックのジャンプ金メダリストの笠谷幸生選手は余市高校出身。長野冬季オリンピックのジャンプで活躍した舟木・斉藤も余市出身。また、宇宙飛行士の毛利さんも余市町出身。
しかし、「余市」と言えばなんと言っても駅前にある、「ニッカウヰスキ-北海道原酒工場」。


 ホームにも「歓迎 ようこそ!果実・ウイスキーの里 よいちへ」と、ウィスキーの樽が飾られていました。


 仁木までは、水田の他にリンゴやブドウの木があちらこちらに見えます。
 仁木の手前で、「北海道貿易会社仁木営業所」の古びた建物を見ました。


 仁木は、かつては果物狩りで賑わったところだそうですが、港があるわけでもなく、どのような事業をしていたのか知りたいところです。
 仁木でも4分の遅れのまま発車しました。次は然別です。
 然別とは、アイヌ語のシカリ・ペツ(曲流する川)が語源だそうで、そばを流れる余市川の姿からこの地名になったようです。観光地として有名な然別湖・然別温泉・然別川は、大雪山系の麓、十勝地方にあります。
 然別を過ぎると、両側に針葉樹の防雪林が続き「山線」らしくなってきました。


 銀山の名はかつて銀鉱石が採れたところから付いた名前だそうです。
 函館本線では函館駅に次いで標高の低い駅余市から銀山までは20分。気がつけば、かなりの高さまで登ってきましたが、この登りで4分の遅れを取り戻しました。キハ150系をつないでいる関係で、登りでもスピードが出るようです。

(銀山駅から望む山々)

 銀山を過ぎると、難所と言われる稲穂峠をトンネルで越えると小沢まではセトセ川の谷に沿って下っていきます。小沢駅
 小沢では、何人かの人が降りていきました。ここは、昭和60年に廃止された、積丹半島の付け根にある岩内までの岩内線の分岐駅だったところです。駅は小さくなりましが、現在でも岩内方面へのバスが出ており,列車とバスを乗り継いで利用する人も少なくないとのことです。
 小沢から再び登って、倶知安トンネルをくぐり下ると、倶知安に着きました。


 倶知安の由来は、倶知安は「クッチャン」にあてた漢字で、クッチャンはアイヌ語の「クッシャニ」から名付けられたそうです。


 クッシャニは尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名で、クッシャニは「クッ・シャン・イ」で「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意味だそうで、このクッ・シャン・イがクッシャニとなり、さらにクドサニと変わって倶登山川となったそうです。
 同じクッシャニがクッチャンとなって、倶知安という漢字を当てて地名したそうです。
 ニセコアンヌプリ山麓にはたくさんのスキー場があり、近年は外国から訪れる人も多いというのをニュースで知っていましたが、そのせいかこの普通列車の案内放送は、小樽を出て以来英語と2カ国語の案内です。


 倶知安はかつては伊達紋別とを結ぶ胆振線の分岐駅でした。
 倶知安では9分の停車。ここで、小樽で見つけた「おおなごの蒲焼き弁当」を開きました。



 オオナゴとは、標準名をイカナゴといい日本各地で水揚げがある魚で、利尻産と銘打っているとおり、稚内市が、水揚げ量日本一ですが、その90%以上が養殖ハマチなどの餌として本州に出荷されており、地元の反応も「ハマチの餌だべや。」、「うちの父ちゃん、オオナゴ漁師だけど食べたことねえよ。」といった具合だったそうです。
 そこで、オオナゴの価値を見直すべく、地元有志が立ち上がり、「稚内オオナゴ研究会」が発足し、地元で、オオナゴ料理の試食会などを積極的に実施した結果、「稚内地域食材付加価値向上協議会」が発足。「稚内おおなごブランド化」の取組がなされるようになったそうです。
 現在では、札幌の「きたキッチン」で取り扱われたり、全道の学校給食に採用されようになったそうです。
 なお、オオナゴは稚内での呼び名で、稚内以外ではコオナゴ、メロウド、カナギなどと呼ばれていて、見た目は、サンマに似ています。

 つづく

最北端 稚内への普通列車の旅10 帰路 小樽まで

2015-01-20 05:07:44 | 最北端 稚内への普通列車の旅
 旭川発16時9分発岩見沢行き普通電車。2日目と同じルートを、逆戻りするので、時刻表は省略します。

 旭川駅の特徴の一つ、改札口を出ると、ガラス戸の仕切りがあります。 冬の寒さが厳しいからでしょうか。これも駅が新しくなるとなくなる運命。


 乗る電車は、小樽から旭川まで乗ってきたのと同じ711系の赤い電車。


ホームで電車を待っていたら隣のホームに、16時5分発札幌行き「特急旭山動物園号」が入ってきました。


 旭山動物園の元飼育員さんで現在は有名な絵本作家である、あべ弘士さんデザインのこの列車、1号車ホッキョクグマ、2号車オオカミ、3号車ライオン、4号車チンパンジー、5号車ペンギン、と絵が描かれています。中には、それぞれの動物のハグハグチェアーなどがあり子どもに大人気の電車です。



 さて、旭川を定刻に発車したものの、天気はあいにくの曇天。
 来たときと同じように、車窓の景色を楽しむまでとはいきませんでした。
 伊能・納内間から見る神居山。山頂のラジオや防衛庁の中継施設も雲の中。


 気がつけば、711系の中でもこの電車は冷房車。

 電車は3両編成でしたが、ほとんど乗客はいませんでした。


 車内広告には、「京浜急行」の広告が。現在は普通電車としてしか使われていないものの、函館本線の小樽- 札幌- 旭川間の他、千歳線・室蘭本線の札幌-苫小牧-東室蘭-室蘭間でも使われているため、新千歳空港利用者をターゲットとした広告でしょう。
 それにしてもJRの電車の中に、私鉄の広告が。


 岩見沢には17時52分の到着。13分の待ち合わせで、今度は手稲行き「区間快速いしかりライナー」に乗り換えです。
 「いしかりライナー」に使われている電車は721系といわれるもので、岩見沢まで乗ってきた711系の後継車です。もちろん冷房付き。


 「いしかりライナー」の他に、「エアポート」として、千歳線・室蘭本線の札幌-苫小牧・新千歳空港間で使われています。


 岩見沢18時5分の発車なのですが、「臨時特急フラノラベンダーエクスプレス4号」が先行しました。


 4号に使われていた列車は「ノースレインボーエクスプレス」というJR北海道6番目のリゾート車両で、5両すべてがハイデッカー、さらに3号車は2階建てになっているものです。


 「ねぶたエクスプレス」(函館・青森駅間)、「さくらエクスプレス」(函館駅・弘前駅間)として青函トンネルを通って来たこともありました。
 岩見沢を定刻に発車して、区間快速というものの札幌まで途中11駅ある中で、高砂・森林公園・厚別・苗穂の4駅だけを通過し、札幌に18時42分に到着しました。
 この電車は手稲行きなので、その先にある小樽に行くために、札幌発18時54分発小樽行き「区間快速いしかりライナー」に乗り換えることにしました。


 札幌を定刻に発車しました。乗った電車は、札幌まで乗ったものと同じ721系。車内の扉にはスズランのイラストが描かれてあります。


 札幌を過ぎたら天気も回復に向かっているのか、青空が見えてきました。
稲穂19時8分。まだ、明るさがありました。


 これもまた、区間快速というものの、小樽まで13駅あるうち通過すする駅は、桑園・発寒中央・発寒・稲積公園の4駅のみ。
 19時35分、小樽駅4番線に定刻に到着しました。
 隣の5番線には、お座敷列車「くつろぎ」(キハ400-500番台)が停まっていました。のぞいてみると、室内はカーペット敷きの掘り炬燵となっていました。



 今日の乗車実時間7時間24分。移動距離170.6㎞。

 この日小樽は、「おたる潮まつり」の2日目でした。「おたる潮まつり」というのは、それまで実施されてきた「港まつり」「競争花火大会」などを統合して開催されるようになったお祭りとのことで、「潮ねりこみ」といって、「おたる潮音頭」「潮おどり唄」を踊りながら練り歩いている最中でした。


 つづく

最北端 稚内への普通列車の旅9 帰路 旭川まで

2015-01-19 19:14:44 | 最北端 稚内への普通列車の旅
 稚内14時12分発の旭川まで直通の普通列車に乗り、昨日来たところを戻りますから、時刻表は省略します。
 まずは、今夜泊まる旭川をめざします。青空も見え、景色を楽しむことが出来ました。 稚内駅の改札案内表示は、今では珍しい木札。


 旭川行きは、宗谷北線運輸営業所シンボルマークをつけたキハ54。


 抜海付近、かすかに利尻の島影が見えます。


 兜沼を過ぎ、なんとか利尻富士(利尻山)の頂上が見えました。


 旭川到着が20時15分。途中駅弁を売っている駅がないので、夕食の駅弁は稚内駅で購入。





 最後の最後、幌延・上幌延間で利尻富士が姿を表しました。


 宗谷北線運輸営業所所属のキハ54には、沿線市町村のパンフレットを入れる棚が付いていましたが…


 安牛・雄信内間

 雄信内・糠南間。距離を示す標識の高さから積雪量の多さが想像できます。


今日の乗車実時間7時間24分。移動距離319.4㎞。

<途中下車の旅~旭山動物園> 
4日目の午前中は、旭山動物園に行きました。










 今日の宿泊地は小樽です。
 2日目と同じルートを、逆戻りします。

 つづく