大橋秀行による世界戦・平成初勝利から30年

 今から30年前の今日90年2月7日に後楽園ホールで行われたWBC
ストロー級タイトルマッチで、挑戦者の大橋秀行は王者の崔 漸煥
を9RでKOしタイトルを奪取すると共に世界挑戦20連敗を止め平成
初の世界王者になった日である。

 過去2度の挑戦は1階級上のJフライ級で張正九に連敗していた大
橋がストロー級に落として満を持しての3度目の挑戦は、当時88年
1月かに神代英明がソット・チタラダに敗れて始まっていた世界挑
戦20連敗のストップをも期待されていた。

 試合は右のカウンターが得意な大橋の強打を警戒した王者が敢え
て距離を詰め打ち合いに持ち込むと、大橋も応戦し一進一退の展開
となりラウンドが進むが徐々にパワーに勝る大橋が打ち勝ち始める。

 迎えた9Rに左ボディでダウンを奪うと辛うじて立ち上がった王者
の脇腹にまたも左ボディがめり込み2度目のダウンを奪い、そのまま
カウントアウトとなり遂に3度目の挑戦でタイトルを奪取したのだ。

 大橋はデビューした頃から優れた右強打のカウンターが最大の武
器だったが強引に打ち合いに持ち込む韓国人選手に手こずり、距離
を詰められ右のカウンターがヒットせずという展開を打破するため
に習得したのが左アッパーによる脇腹打ちで僭越ながら最初にコレ
でKO勝ちした試合を私はホールで生観戦していた。

 だから左アッパーのボディブローで世界タイトルを奪取したとい
うのは、挑戦の連敗を止めるのという事と共に感無量だったのを昨
日のように思い出す。

 大橋がタイトルを奪取して約半年後にレパード玉熊がタイトルを
奪取すると畑中清嗣と続き、辰吉丈一郎や鬼塚勝也ら平成ジェネレ
ーションへと引き継がれるのだから隆盛へのきっかけを作ったと言
っていいだろう。

 残念ながら大橋は2度目の防衛戦でリカルド・ロペスに敗れタイ
トルを失い、92年10月にWBAタイトルを奪取するものの目の疾患
の影響もあって初防衛に失敗し引退するなど短命王者に終わった。

 しかし張正九やリカルド・ロペスにチャナ・ポーパオインという
長期防衛をした選手とグローブを交える姿は常に強い者と戦う’とい
うヨネクラ・イズムを体現しているし、引退後は川嶋勝重や八重樫
東に‘モンスター’と呼ばれる井上尚弥を育成してもその姿勢は継承
されている。

 

 

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