ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
平成の三四郎・悲願の金!
今から16年前の今日、92年7月31日はバルセロナ五輪で平成の
三四郎と言われた古賀稔彦が膝の靭帯を損傷しながら金メダルを
獲得し屈辱のソウルから4年目にしてリベンジを果たした日である。
古賀は得意の背負い投げを引っさげて早くから将来を嘱望されて
いたが、87年の世界選手権では3位。
ソウルでは、まさかの3回戦敗退となった。
ここまで芸術的とも言える背負い投げで相手を投げ飛ばして
勝ってきた反面、背負い投げを封じられると何もできないという
タイプ。
エッセン世界選手権とソウル五輪で勝てなかったのは、背負い
投げを封じられたからである。
‘背負い投げだけでは世界で勝てない’と実感した古賀は、巴投げ
や足技など背負い投げを封じられた時の対策を考え出した。
その結果89ベオグラード、91バルセロナ世界選手権で連続優勝し
92バルセロナ五輪では71㌔級の優勝候補筆頭となっていた。
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オリンピックが夏のイベントになった日
今から24年前の今日・84年7月29日はロス五輪が開幕した
日である。
それまでの五輪の開会式は東京が10月10日、メキシコが
10月12日。
その後ミュンヘンは8月26日、モントリオールは7月17日、
モスクワは7月19日とミュンヘン以降は寒冷地域という事で
7月や8月開幕だった。
ところがロス以降は欧米ではバルセロナは7月25日でアト
ランタは7月19日、アテネは8月13日と夏場。
特にロスを含むアトランタやバルセロナ、アテネは温暖な
都市だ。
ソウルとシドニー以外は、むしろ暑過ぎる時期に開催して
いるのが分かる。
これはどういう事か?
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岩崎恭子・奇跡の金と、小川直也・まさかの銀
16年前の今日92年7月27日はバルセロナ五輪が始まって
3日目。
この日は女子200m平泳ぎで14歳の岩崎恭子が予選で長崎
宏子の日本記録を破り決勝進出、好調を伝えられていたの
で‘ひょっとしてメダルに届くかも!’と思っていた。
一方の柔道は、この日からスタートし初日に95㌔超級が
行われ日本のエース小川直也が登場。
1回戦から快調に勝ち進み、Sファイナルではアトランタ
&シドニーで連続金を取るフランスのドゥイエにも快勝して
いた。
当時の私はライブ観戦に拘っていたので、夜中にも関わら
ずTVの前に座って観戦していた。 . . . 本文を読む
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今日は夏越際
今日は地元の神社の夏越際。
毎年7月の第4土曜日に行われるので、この日は早めに
掃除を終わらせて女房&子供達を連れて行く。
虫除けのスキンガードをしっかり塗って19:30前に家を
出る。
大祓いの大祭は18:00、19:00、20:00から行われるので
20:00開始の大祓いに間に合うように行かないといけない。
今年は子供会から、お楽しみ券が回って来ていた。
金魚すくい・綿菓子・カキ氷・飲み物・輪投げ・ヨーヨーの
6種類あるが、金魚すくいは家に金魚鉢がないので断念。
最初に輪投げをしようと思ったが、人が多く順番を待って
いたら20:00近くになったので先に大祓いをするため拝殿に
上がる。
息子達はともかく娘が おとなしくしていたので助かったし
神主さんの拍手に合わせて手を叩いたりしていた。
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今日で次男は4歳
今日7月25日は次男4歳の誕生日である。
昨年は3歳になった直後に父が間違えて‘2歳’と、お客
さんに行ったところ‘オレは、もう3歳ぞ’と言っていた。
やはり1つでも年を取るのは嬉しいのだろう、私的には
そういう時代はとっくの昔に終わっているのだが・・・・・
子供達の誕生日には、夕食をリクエストしたメニューに
するのだが今回聞いたら‘ステーキが食べたい’との事。
私の誕生日はステーキだったので、次男にしてみれば
その時に食べて美味しかったのだろう。
ただ‘ナイフとフォークを使って食べるのが楽しみなの
だろう’と考えていたので最終的にハンバーグにした。
ハンバーグも一応‘ハンバーグステーキ’である。
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祝!飯塚 甲子園初出場
今日行われた90回全国高校野球選手権の福岡県予選で、飯塚が
沖学園に6-1で勝ち甲子園初出場を決めた。
筑豊勢としては28年前に我々のライバルだった田川が出場して
以来の快挙である。
飯塚は高校受験のときに‘滑り止め’で受験して合格していたし、
数人の同級生が野球をしていたので馴染みのあるチームだ。
私がプレーしていた当時も弱くはなかったが、ベスト16以降で
争われる県大会に出るようなチームではなかった。
それが柳川OBの吉田監督を迎えてから力を付け始めていたのだ。
吉田監督は現役時代の73年に甲子園出場し‘怪物’江川卓を擁
して優勝候補筆頭と言われていた作新学院と対戦、江川の予選
からの無失点記録をバントの構えから打つ‘プッシュ打法’で
止めている。
結局延長15回の死闘の末に1-2でサヨナラ負けしたものの、この
試合で柳川は全国区になったのだ。
その時に1番で江川から2安打を放っている。
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浜田剛史の戴冠から22年!
今から22年前の今日・86年7月24日はKOキングと言われた浜田剛史がWBC世界Jウエルター級王者のレネ・アルレドントを1RにKOして見事に世界を獲った日である。 サウスポーの強打者・浜田は持ち前の強打でKOの山を築いていたが、それゆえ自らの拳を骨折するハメになり4度骨折を繰り返して2年ものブランクを作ってしまう。 復帰後に9連勝を飾り遂に強打の王者レネに挑戦。 会場はジムの大先輩・大場政夫が全世界戦を戦った、かつての日大講堂の両国国技館。 立ち上がりから猛然とプレッシャーをかけ、接近してパンチを打ち込み残り10秒で右フックがヒットしグラついた所に連打を叩き込み3分9秒でKO。 やはり左拳の骨折に泣いたサウスポーの強打者・海老原博幸の初戴冠同様1RでKO勝ちし、ファイティング原田が初戴冠した時同様に座布団が舞った。 . . . 本文を読む
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