リカルド・ロペスを初めて見てから30年

 今から30年前の今日90年10月25日に後楽園ホールで行われた
WBCストロー級タイトルマッチで、王者の大橋秀行は4位のリカ
ルド・ロペスを相手に2度目の防衛戦を行ったのだが5RでTKO負
けしタイトルを失った。

 試合は1R終了間際と2Rに大橋の右がヒットしてロペスをグラ
つかせるシーンがあったものの、3R以降は一方的に打たれて4R
と5Rに計3度のダウンを奪われTKO負けする完敗だった。

 大橋は2月に崔漸煥を9RでKOしてタイトルを奪取すると、6月
に前王者ナパ・キャットワンチャイからダウンを奪い判定勝ちで
初防衛に成功し迎えた2度目の防衛戦。

 当初は1位の李敬渕相手の指名試合が予想されていたのだが、
ナパと李は共にライバルだった井岡弘樹との対戦経験があると
いう事で最強の挑戦者をという大橋の希望から4位ではあるもの
の26戦全勝19KOというロペスを選んだのだ。

 こういった全勝という選手は噛ませ犬系の選手相手にKOを量産
しての者もいるので、当時は勝てる相手を連れてきたものと思い
きや日本での公開練習での好調さを見ると一気に‘大橋危うし’の声
が高まってきた。

 それでも150年に1人の天才といわれる大橋だしガンガン突進し
て距離を詰めてくる韓国人相手と違い、動き回る相手を追い詰め
てカウンターで倒すのが得意という事から‘何とかなるのでは’とい
う声があったのも事実。

 しかし試合が始まるとロペスの動きは素晴らしく先述したように
1Rの終了間際に右が入ってグラつかせたものの、3Rからは一気に
手数が減ったのは下手に打ち込むとカウンターが飛んでくる事を察
知してのものだったようだ。

 こうしてタイトルを失った大橋だが後輩の川島郭志はヨネクラ
ジムで練習するロペスを生きた手本として後にアンタッチャブル
と呼ばれるディフェンステクニックを習得したのをはじめ、いろ
んな好影響があったようでジムにとっては損をして得を取った形
になったらしい。

 たしかに強い相手と戦うと敗戦のリスクは高いものの負けて覚
える相撲かなという言葉があるように張正九やロペスと臆せずに
戦った大橋だけでなく先輩にあたる柴田国明はビセンテ・サルデ
ィバルやベン・ビラフロア、ガッツ石松はイスマエル・ラグナや
ロベルト・デュランらの強豪と敵地に乗り込んで戦うというのは
ヨネクラジムの伝統というべきだろう。

 そしてその伝統は無敵と言われたローマン・ゴンサレスの挑戦
を受けた八重樫東や、今や日本のエースになった井上尚弥ら大橋
ジムに受け継がれている。

 

 

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