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‘炎の男’輪島功一のラストファイトから40年

 今から40年前の今日77年6月7日に日本武道館で行われたのが
WBA:Jミドル級タイトルマッチで、元王者の輪島功一が3度目の
返り咲きを目指して王者のエディ・ガソに挑戦した。

 1年4ヶ月前の76年2月17日に当時としては現役最古参の32歳
で柳済斗を最終ラウンドにKOし2度目の返り咲きに成功した輪島の
姿を覚えていただけでなく、王者のガソの評価が低く‘二流王者’と
言われていたので34歳の輪島3度目の返り咲きに期待がかかったの
だが・・・・

 さして速くも強くもないガソのパンチを立ち上がりから浴び続け、
全くいいところなくラウンドを重ねた挙句11Rにセコンドがタオル
投入のKO負けで試合は終わった。

 試合中 輪島のあまりの酷さに野次っていた男と、それを咎める男
が始めたケンカに注目が集まるというシーンまであったわけだから
いかに悲惨な試合だったか分かるだろう。

 この試合の事を沢木耕太郎氏が‘コッホネス=肝っ玉'の中で柳済
斗相手に王座返り咲きを果たした試合に続き書いていたのだが、考
えて見ると輪島が負けた試合には必ずエクスキューズがあった。

 例えばオスカー・ショットガン・アルバラードに敗れた時はオー
バーワーク、柳済斗の時には5R終了時のゴング後のパンチという
理由があったわけだが再戦で勝つ事によって‘○○さえなければ’を
証明していたのだ。

 柳済斗に勝った後60日以内に1位のミゲール・カステリーニとの
指名試合を義務付けられていた輪島だったが、カステリーニが交通事
故で来日不可能になっていたため5月まで期日は延びたものの急遽挑
戦者が変更になった事が敗因だと輪島は分析したようで‘じっくりと
休養を取れば大丈夫’と思って再起を表明したとの事。

 前年の同じ時期にタイトルを失ったガッツ石松が再起し4月に1階
級上のセンサク・ムアンスリンに挑戦した時には‘センサクが強いの
で無理だろう’という予想だったのに対し、輪島が挑戦するガソは‘こ
れでよくカステリーニに勝てたな'と思えるほどの王者だったので‘返
り咲きは十分可能’という予想だった。

 ところが体重が70㌔台までは好調だったのが70㌔を切った途端に
体が動かなくなったとの事だが体の脂肪が若い頃の倍は動かないと
燃焼しないし、そうなるとオーバーワークが怖いので結果的に食べ
ずに落とすしかなかったようだ。

 つまり限界だったという事が証明されたわけで納得した輪島は試合
後に引退を表明したのだった。

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