goo blog サービス終了のお知らせ 

田川高校が甲子園初出場を決めて40年

 今から40年前の今日80年8月2日に北九州市民球場で行われた
夏の甲子園福岡県予選決勝で、ライバル校だった田川が嘉穂に
3-2で勝って初夏通じて甲子園初出場を決めた。

 筑豊勢同士の決勝となった一戦は1回に嘉穂が3番・花村信明
のタイムリーで先制するが3回に田川2アウト1・3塁のチャンス
に4番・小松良人の2ベースで逆転すると更に5番・村田康昭のタ
イムリーで3点目を挙げ、嘉穂の反撃を6回の花村のタイムリーに
よる1点に抑え逃げ切ったのだ。

 田川とは前年秋に1-5で敗れ6月には延長10回1-1で引き分け
ていたし、ベスト16で前年秋と春に九州大会連覇した柳川と対戦
するため甲子園など厳しいだろうと考えていたのだが何と柳川が
福岡に敗れたため‘ひょっとして’という気になっていた。

 そして福岡に7ー3で勝った後にベスト8では明善に10回0-1で
2アウト1・2塁から1番・水上順一の2ベースで逆転サヨナラ勝ち
した試合は練習休みの日だったので生観戦していたのだが、勝っ
た瞬間一緒に観戦していた友人達と躍り上がって喜んだのを覚え
ている。

 同じ地域でNo1の進学校だけに野球だけは負けるわけにはいか
ないという思いで闘志を燃やして挑戦していた相手だから、本来
なら倒すべき相手ではあるものの勝ち進んで行くと頑張って欲し
いと思うのだから不思議だ。

 ベスト8観戦は田川の対戦相手が決まる第2試合迄見たのだが前
年代表で甲子園メンバーが3人ほど残っていた八幡大付(現・九国
大付)を5-0と圧倒した翌年の代表校・福大大濠が九州工と対戦
したのだが、田川は前年秋の九州大会予選で八幡大付にコールド負
けしており大濠が勝ち上がると厳しいと思っていたら何と九州工が
サヨナラHRで勝ったのだから決勝に行けるかもと思ったものだ。

 そして決勝の相手が嘉穂に決まった時点で‘甲子園に行けるので
は’に変わっていた。

 確かに嘉穂は2年連続の決勝進出で九産大九州産業や久留米商ら
強豪に勝っているものの、田川とは相性が悪く3戦して勝ってなか
ったと思うので相性的にという要素と田川が3年計画の3年目だっ
たのに対し嘉穂はバッテリーとショートに1番など2年が多く翌年
に期待的な感じだったのだ。

 決勝当日の我々は当然ながら練習日で練習していたのだがライ
ト後方にある弓道場では弓道部の連中がラジオで試合を聴いてお
り、ライトの守備位置にいた私は逐一経過を弓道部員から聞く事
ができたし3-2で終盤を迎えた時点で勝てるのではと確信した。

 それから間もなく放送部から‘お知らせします、ただ今田川高校
が甲子園初出場を決めました’と校内放送があり田川の勝利を知っ
たのだった。

 この年の田川は先述したように先発9人中8人が3年という3年計
画の最終年で、エースの村田が5番を打ちベスト4では全打点を挙
げるなど村田中心の典型的な地方公立校のスタイルだった。

 とはいえ70年代まではこういったスタイルのチームが甲子園に
出場が可能だったし勝ち進むケースも多々あったのだが、翌81年
に福大大濠が出場したあたりから私立校の全盛となり公立普通校
で出場できたのは87年夏&96年夏&17夏の東筑ぐらい。

 それを考えると田川の甲子園行きは最初で最後のチャンスを
見事に生かしたという事になるのだから、本当に凄いと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« やはりウルト... キックベース... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。