初めての本格的な(?)ストプレを観劇。去年の5月、「箱根強羅ホテル」を観にいったんですけど、ドラマ・ウィズ・ミュージックだったので、普段はもっぱらミュー通いのじいにも違和感なく受け入れられたし、何といってもじいの
な内野さん出演だったわけで
今回はダンスこそあったものの音楽はBGM以上の役割はなかったし、演技とか演出とか戸惑うことばかり。ま、それは後ほど書くとして……ではでは早速
(注!ネタバレになってますので御了承ください
)
この演目のベースになった実話、以前ドキュメンタリー
で見て知ってました。最後に映像で流れたのがまさにその番組だったんですけど……壮絶な話ですよね~~シベリア抑留で帰国できなくなった男性、それを支えたロシア人妻、50年以上待ち続けた日本人妻……戦争さえなければこんなことは起きなかったわけですけど、この劇、そんな戦争の無意味や残酷さをよく表していたと思います。淡々と蜂谷弥三郎さんの人生を辿っていて派手な演出があるわけじゃないけど、戦争中あるいは社会主義国家内での監視社会の中にあって「人間として正しいこと」を貫くのがいかに難しいか、一人の人生を狂わせる戦争や国がいかに愚かなのか等など、じっくり静か~~に重~~く伝わってきました。最後は会場のあちこちですすり泣きが……
主演の佐々木蔵之介さん、じいはテレビドラマでおなじみ~って感じだったんですけど、注目はしてたんですよね。以前「Mの悲劇」最終回で、いままで恨んでいた主人公の心の奥を知って泣き崩れるシーンを見た時、すっごい衝撃を受けたんですよ。この心に響く泣き方、表情は何なの~~~って
今回も、心に響いてくる喋り方、醸し出す雰囲気が素晴らしかった
久子さんと出会うシーンは明るくて心ときめく感じだったし、ソ連に抑留されてスパイ容疑をかけられどん底の生活を強いられるところは怒りや諦め、苦悩が伝わってきて……いつのまにか自分の方に引きつけてしまう素敵な役者さんです
ただ、一つひとつのシーンでの表現はいいんですけど、全体の流れからみると??なところも……役の感情は伝わってくるんだけど長続きしないというか、シーンごとに気持ちの流れが途切れてしまうのがちょっと
クラウディア役の斎藤由貴さん、意外に(失礼
)良かったんですよ。っていうのが、やっぱり彼女もテレビや映画ではおなじみだったんですけど、実はちょいと苦手なタイプだったもので
斎藤由貴さんが演じられたクラウディア、ドキュメンタリーで本物のクラウディアさんを知ってたじいのイメージにぴったり
明るくて楽しくて優しくて、でもとっても芯の強い大きな女性……「他人の不幸の上に自分の幸せは築けない」と弥三郎さんを日本で待ち続けた妻の元に帰すなんて……単に惚れたとか愛してるとか、そういった次元じゃないですよね~~まるで聖母のような大きな大きな愛情
戦後もスパイ容疑で自宅に警察が踏み込むシーンがあるんですけど、「彼は私の家族です」と言うところ、まさにそんな愛情を象徴してるんじゃないかなぁ~
「他人の不幸の上に……」というセリフが一番有名というか、キーワードになってますけど、じいが泣いたのは別の言葉。二人が結婚する時に「(日本に帰るという)あなたの夢が叶うまで、妻でいさせてください」、日本に旅立つ弥三郎さんを見送るシーンで「あなたの長寿を願うことをお許しください」と書いた手紙です。クラウディアのあまりに深い愛情に感動しちゃいました
控えめな女性じゃないんですよ、彼女は
真に強くて大きい人なんだなぁ……
で、ここからはちょいと
な内容なんですけど……
えっとですねぇ……じい的にどうも苦手なところがありまして
まず、パントマイムっぽい振りや前衛的(?)なダンスで子供が生まれたり時代考証の説明をしている人たち、じいの頭には大きなクエスチョンマークが
面白い表現だとは思うんですけど、こういうリアリティのない抽象的な表現はちょっと……しかも、最後のシーンで、ミュージカルでいうアンサンブルの人たちが一斉に呼びかけをするところやメインキャストの人たちが客席に向かって「~なんですよ」って感じで宣誓するように喋るところ、演劇ではよくあることだと思うんですけど、まさに私はこういうのが苦手……
次に気になったのが最後の映像。これは止めてほしい
舞台だと表現方法や大道具その他のセッティング等など、いろんな制約があるのは分かるんですけど……あそこだけ実写を見せられると、それまでの舞台上で繰り広げられているストーリー、演技が浮いてしまうし、どうも説教くさくなるというか……何か映像で済ませるお手軽さとか、100%見せてしまって観る者が考えたり想像したりする余地を許さないみたいなことを感じます。ま、劇団四季の昭和三部作でも実写が使われてて
なことがありましたけど、映像と舞台の融合って難しいですね~~
映像で実際の弥三郎さん、クラウディアさん、久子さんを見て思ったのが、舞台上の出演者が年を取らないってこと。劇中、日本への帰国を迷う弥三郎にクラウディアが「ちゃんと未来を生きないから年を取らないのよ」って言うんですけど、そういう意味では役者さんたちに年を取った演技を求める必要はないのかもしれないけど、な~~んか、不思議というか不自然というか、そんなことを考えてしまいました
音楽畑を歩いてきたじい、ストプレよりもミューの方が生理的に合ってる
最初の静かな始まりとか場面転換の時の沈黙、な~~んか居心地悪くて
でも、バリバリの重厚なストプレ、内野さんが演じられるのを観たいなぁ……実は音楽抜きの舞台での内野さん、みたことないんですよね