日常

人体、書くこと

2010-02-17 10:04:25 | 考え
この前、高校時代にお世話になった先生と話した。
いやー、かわっとらん!しかも熊本弁が懐かしか!

熊本に住んどる人は、普段から熊本弁だけん、やっぱ流暢に熊本弁が出とるとよねー。


その先生は物理の先生。
直接の担任じゃないのに、話が盛り上がるので、高校時代に散々物理の話をした。

いまだに、物理は好き。
数式オンパレードは流石に無理だけど、
新書とかで出る物理の本は買っちゃう。
量子力学とか、物理が行こうとしている世界は、すごく面白い。



ミクロでは素粒子物理、マクロでは宇宙物理。
どちらも肉眼では見えないけど、極小と極大の果て。
自分自体の両端の場所。


ミクロとマクロの考えは、人体でも同じ。
ミクロ世界でのDNAや細胞の世界。
マクロ世界での心臓などの臓器と、身体という世界。

途方もなく違うんだけど、どこかで滑らかにつながっていて、部分が全体を生み、全体が部分を生む。
この巧妙な不思議さ。



自分が専門にしている心臓と言う臓器。

休みなく1秒に1回、80年近く鼓動を打ち続けている。
孤独に、静かに、たゆみなく。

悲しい時、つらい時の心臓のリズム。
楽しい時、嬉しい時、怒っている時の心臓のリズム。
少しずつリズムは変わっている。無意識の世界。


人間の脳の世界が生み出す感情。それは動物性臓器の脳が生み出す。「あたま」。
肋骨の鎧で覆われた植物性臓器の心臓が生み出すリズム。「こころ」。



古代ギリシアで、「汝、自身を知れ!」という言葉がある。

自分は、全然自分を知らない!
人体は、謎多し。

でも、その不可思議な草やぶを、一歩ずつ手でかき分けていくと、
ときどき広大な原っぱに出たり、見晴らしのいい場所に出ることがあって、
そのときに見える風景は美しいし、身体で感じる風は心地よい。


・・・・・・・・・
こうして、とりとめもないオチがない話になってくるわけです。

書くこと。
書くこと自体が、また新たな未知のものをどんどん生んでくる。


自分の中にある「何か」が、こうして書くことで後ろから背中を押されて、
どんどん書き言葉として外に出てくる。


木は、木なんだけど、
彫刻で掘り出すと、時に仏像になり、時には人体像になり、時には意味不明な物体になる。


書くこと、表現すること、不思議だなー。
この「書く」営み自体も、すでに「汝、自身を知る」のプロセスな気がします。