久しぶりに「検事・鬼島平八郎」という連続ドラマを見ている。
普通に面白い。
ダウンタウン浜田雅功が主演なのだけど、浜田が出ているドラマはいつも面白い。
古くは、「パパとなっちゃん」「ADブギ」「もしも願いが叶うなら」・・・とか、ほんと名作だった。
■トリックスター
「検事・鬼島平八郎」を見てて思うのは、トリックスターのこと。
トリックスター (trickster) とは、神話や物語の中で、物語を引っかき回すいたずらものとして描かれる人物のこと。
神話では、古事記のスサノオ、ギリシア神話のオデュッセウス、北欧神話のロキとか。
日本の民話だと、きっちょむさんとか。
漫画には数限りなく出てくる。
トリックスターは、(意識的にも無意識的にも)結果的に秩序を壊す。
壊してものごとをかき混ぜて、混沌として、そこに動きを与える働きがある。
■「あるべきようは(阿留辺畿夜宇和)」
鎌倉時代の華厳宗のお坊さんで、「明恵(みょうえ)」という人がいる。
40年もの間、自分の夢を「夢記」として記録し続けている。
「明恵(みょうえ)」に関しては、河合隼雄「明恵 夢を生きる」(講談社プラスアルファ文庫)、水木しげるの漫画「神秘家列伝」(角川ソフィア文庫)で知ったのです。
岩波文庫の「明恵上人集」とか、白洲正子さんの「明恵上人」(講談社文芸文庫)もあるみたい。(こちらは読んだ事ないけど)
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【岩波文庫「明恵上人集」の解説】
明恵(1173-1232)は,生涯釈尊を敬慕し続け,数度にわたってインド渡航を企てたが,病に倒れるなどして,遂に目的を果せなかった.
のち栂尾高山寺に拠って,華厳・密教兼修の新しい教団の樹立につとめ,上下貴賤の信望を集めた.
本文庫には,19歳から記録しつづけた「夢記」のほか,和歌,遺訓に弟子の手に成る「伝記」を収める.
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明恵は
「あるべきようは(阿留辺畿夜宇和)」
という言葉を座右の銘にしていた。
意識から自由になった「無意識の夢の世界」を観察し続けて、ものごとの「あるべき姿」「あるべき状態」というものを大切にしていた。そして、観念論だけじゃなくて、実際に実践して生きた人。
■均衡(バランス)、調和(ハーモニー)
「調和」(2010-09-21)に書いたことと一部重なるけれど、ものごとは「あるべきすがた」に向けてバランスを取ろうとする働きがあるんだと思う。
ひとりの人間でも、社会という複数の人間でも、生命という抽象的なものであっても。
調和と均衡のとれた状態から、何かがゆがむと、バランスの取れない不均衡の状態になる。
それは、「あるべき」場所ではないからこそ、すごくバランスが悪い。
そこで、バランスのとれた均衡へと戻るには、フッと一息を吹く人が必要になる。
それが、たとえばトリックスターとか道化師とされている人が自然に果たしている役目だと思う。
時が満ちると、ほんの些細な力で、歪んだ秩序は壊れ、混沌となり、「あるべき状態」へ自然にバランスがとれていく。
それは、善も悪も、いろんな事柄においてそうなんだと思う。
「あるべきようは」というコトバの中には、そんな均衡(バランス)や調和(ハーモニー)への願いや祈りのようなものを感じる。
トリックスターも道化師も、意識の力に引きずられず、「無意識の力」に身を委ねている。
だからこそ、均衡や調和へと向かう「あるべきよう」がよくわかるのだろう。
ものごとは、固定化してしまうと、動きがなくなり、中から腐ってくるんだと思う。
だから、腐って取り返しがつかなくなる直前で、時が満ちた絶妙なバランスを逃さずにフッと一息をかけてバランスをとる。
そこでは、運や偶然すらも味方にひきいれ、ほんの一息をふきかけるだけで、何かを創造する。
■
絶妙なタイミングで最後の一息を吹く人は、無意識界の住人だから、日常世界では馬鹿にされたりするだろう。
でも、そんな人こそが深い知恵と絶妙なバランス感覚を持っている。
目立たないけど、すごく大事な存在。
表舞台にあがらないそんな偉大な人を、自分も身近に数多く知っている。
そんな注目されない偉大な人は、昨日も、今日も、きっと明日も、この世界全体をニコニコと笑顔でながめているのだろう。
明恵
『人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字をたもつべきなり。
僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。
乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。
このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』
普通に面白い。
ダウンタウン浜田雅功が主演なのだけど、浜田が出ているドラマはいつも面白い。
古くは、「パパとなっちゃん」「ADブギ」「もしも願いが叶うなら」・・・とか、ほんと名作だった。
■トリックスター
「検事・鬼島平八郎」を見てて思うのは、トリックスターのこと。
トリックスター (trickster) とは、神話や物語の中で、物語を引っかき回すいたずらものとして描かれる人物のこと。
神話では、古事記のスサノオ、ギリシア神話のオデュッセウス、北欧神話のロキとか。
日本の民話だと、きっちょむさんとか。
漫画には数限りなく出てくる。
トリックスターは、(意識的にも無意識的にも)結果的に秩序を壊す。
壊してものごとをかき混ぜて、混沌として、そこに動きを与える働きがある。
■「あるべきようは(阿留辺畿夜宇和)」
鎌倉時代の華厳宗のお坊さんで、「明恵(みょうえ)」という人がいる。
40年もの間、自分の夢を「夢記」として記録し続けている。
「明恵(みょうえ)」に関しては、河合隼雄「明恵 夢を生きる」(講談社プラスアルファ文庫)、水木しげるの漫画「神秘家列伝」(角川ソフィア文庫)で知ったのです。
岩波文庫の「明恵上人集」とか、白洲正子さんの「明恵上人」(講談社文芸文庫)もあるみたい。(こちらは読んだ事ないけど)
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【岩波文庫「明恵上人集」の解説】
明恵(1173-1232)は,生涯釈尊を敬慕し続け,数度にわたってインド渡航を企てたが,病に倒れるなどして,遂に目的を果せなかった.
のち栂尾高山寺に拠って,華厳・密教兼修の新しい教団の樹立につとめ,上下貴賤の信望を集めた.
本文庫には,19歳から記録しつづけた「夢記」のほか,和歌,遺訓に弟子の手に成る「伝記」を収める.
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明恵は
「あるべきようは(阿留辺畿夜宇和)」
という言葉を座右の銘にしていた。
意識から自由になった「無意識の夢の世界」を観察し続けて、ものごとの「あるべき姿」「あるべき状態」というものを大切にしていた。そして、観念論だけじゃなくて、実際に実践して生きた人。
■均衡(バランス)、調和(ハーモニー)
「調和」(2010-09-21)に書いたことと一部重なるけれど、ものごとは「あるべきすがた」に向けてバランスを取ろうとする働きがあるんだと思う。
ひとりの人間でも、社会という複数の人間でも、生命という抽象的なものであっても。
調和と均衡のとれた状態から、何かがゆがむと、バランスの取れない不均衡の状態になる。
それは、「あるべき」場所ではないからこそ、すごくバランスが悪い。
そこで、バランスのとれた均衡へと戻るには、フッと一息を吹く人が必要になる。
それが、たとえばトリックスターとか道化師とされている人が自然に果たしている役目だと思う。
時が満ちると、ほんの些細な力で、歪んだ秩序は壊れ、混沌となり、「あるべき状態」へ自然にバランスがとれていく。
それは、善も悪も、いろんな事柄においてそうなんだと思う。
「あるべきようは」というコトバの中には、そんな均衡(バランス)や調和(ハーモニー)への願いや祈りのようなものを感じる。
トリックスターも道化師も、意識の力に引きずられず、「無意識の力」に身を委ねている。
だからこそ、均衡や調和へと向かう「あるべきよう」がよくわかるのだろう。
ものごとは、固定化してしまうと、動きがなくなり、中から腐ってくるんだと思う。
だから、腐って取り返しがつかなくなる直前で、時が満ちた絶妙なバランスを逃さずにフッと一息をかけてバランスをとる。
そこでは、運や偶然すらも味方にひきいれ、ほんの一息をふきかけるだけで、何かを創造する。
■
絶妙なタイミングで最後の一息を吹く人は、無意識界の住人だから、日常世界では馬鹿にされたりするだろう。
でも、そんな人こそが深い知恵と絶妙なバランス感覚を持っている。
目立たないけど、すごく大事な存在。
表舞台にあがらないそんな偉大な人を、自分も身近に数多く知っている。
そんな注目されない偉大な人は、昨日も、今日も、きっと明日も、この世界全体をニコニコと笑顔でながめているのだろう。
明恵
『人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字をたもつべきなり。
僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。
乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。
このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』