日常

日日是好日

2011-12-04 21:09:24 | 考え
最近、スリランカ仏教のスマナサーラさんの本にはまっている。
仏教を簡潔に、それでいて深く説明していると思う。

読めば読むほど、そうだよなー。と、うなずこと多し。
自分が日本人だからこんなに仏教的な考えがしっくりくるのだろうか。
解剖学者の養老先生も、心理学の河合先生も、深く考えると結局それが仏教に書いてあった。といろんな著作で書いてあったし。

ブッダは慈悲と智慧の教えですね。
ちなみに、キリストは愛と赦しの教え。



古本屋で見つけて、ベストセラーになっていた、アルボムッレ スマナサーラさんの「怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉」サンガ新書(2006/7/18)という本もいまさら読みましたけど、すごくよかった。

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・ブッダ<泥棒が面白半分に自分をノコギリで切ろうとしても、わずかでも怒ってはならない>。
・正しい怒り、というものは存在しない。
・怒りが幸福を壊す。
・<自分が正しい>と思うことから怒りが生まれる。
・<今の瞬間の自分>に気づく。<怒りの感情だ>と否定も肯定もせずに観察する。
・<全ての生命が幸せでありますように>と思うこと。
・笑う余裕をもつ。知恵で対処する。
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けっきょく、「怒り」っていう感情はすべて自分の問題なんですよね。
相手に対して「怒る」のは、自分の中の正体不明の負の感情を「怒り」として別の人に投影しているだけ。これは、ほんとそう思う。昔は未熟だった。反省。
人間に悪い人も善い人もいない。
そのときそのときに、悪い状態があったり、善い状態があったり、振り子のように動くだけ。
そして、それを自分の感情をごちゃ混ぜに相手に投げつける。反省なしに。


「怒り」を自分の問題としてひきつければ、相手を「怒る」というのはどうにも情けなく恥ずかしい話。
そんなことより自分ができるベストのことをしなくちゃ、と思えます。
そこをすべて包む込みような感情がブッダのいう慈悲なんだろう、と。その慈悲が分かるには智慧が必要だろう、と。
そんな感じでもやもやと考えてみる。


自分が大好きな丸善の丸の内本店にフラリと立ち寄ったら、ちょうど12月9日(金)に「アルボムッレ・スマナサーラ長老×宮崎哲弥氏 講演会」がある宣伝をしていた。奇遇すぎる。こういうのが東京のいいとこだなぁ。なんとか仕事を早く切り上げて行ってみよう。本も大事だけど、その人を直接見て会って、言語以外のレベルで受けとるものもとても大事なものだ。



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過去を追いゆくことなく また未来を願いゆくことなし
過去はすでに過ぎ去りしもの 未来はまだ来ぬものゆえに

現に存在している現象を その場その場で観察し
揺らぐことなく動じることなく 知者はそを修するがよい

今日こそ努め励むべきなり 誰が明日の死を知ろう
されば死の大群に 我ら煩うことなし

昼夜怠ることなく かように住み、励む
こはまさに「日日是好日」と 寂静者なる牟尼(むに)は説く

中部経典(Majjhima-nikaya)より
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