日常

人体と金融 入り口と出口

2008-11-11 00:53:53 | 考え
■当直で一休み中

今日は当直中。
最近は重症の患者さんを担当していて、一日中つきっきりの日々なのです。
その患者さんは、他の病院で半年近く入院して治療したものの、もうどうしようもできないので何とかしてください。という形で送られてきた患者さん。
その病院も循環器では一流の病院だし、プライドもあったでしょう。
でも、そのプライドをかなぐり捨てて、患者さんの事を思ってこちらに紹介された先生には敬意を表します。そういうことって、なかなか妙なプライドが邪魔してできないものなのです。その意味でのプライドって、肥大した自我を意味するプライドで、本当の誇りではないと思うのです。


そういう患者さんなので、まあそんな簡単に良くなるはずもなく、一進一退を繰り返しながら、想定外のことが起きながら奮闘している日々。
それが日常。


■人体 回路

人体とは大きな血液の海に浮かぶ回路のようなものです。

人体には脳、心臓、腎臓、消化管、肝臓、脾臓・・・などの臓器があり、その臓器は細胞で出来ている。その臓器を結ぶ道路は血管であり、血管の中でモノを運ぶ媒体になっているのは血液。血液は白血球や赤血球・・いろんなものが入っていますが、基本的には水に色々なものが混ざったものです。
循環器(心臓と全身の循環)を専門にしている自分からすれば、血液と水は同じようなもの。

心臓はポンプの働きをしていて、全身の血液をグルグルといろんな臓器に循環させる役目を担っている。

人間は体外から食事や水分を摂取することで生きている状態を保ちます。ものを摂取するだけではサイクルは完結しない。体内とは有限な容積を持つ入れ物のようなものですから、体外に出さなければいけない。それは水分を尿として排出したり、糞便として消化管から排出する行為。つまりは、そういう出口が必要。

入口と出口。


■心臓と循環 部分と全体 科学と芸術

全身の循環の歯車となる心臓という局所臓器の部分と、グルグル物質がめぐりめぐる循環の場としての全体。この部分と全体の二つの観点で常に人体をとらえるようにしている。

つまり、『人体とは有限な入れ物であり、そこには入り口があり出口がある。そして、その人体は心臓をはじめとする局所的な臓器と、それにやって成り立ち、かつ局所自体も成り立たせている全体的な循環の場との相補的な関係性から出来ている。』というような感じでしょうか。これは医学であり、サイエンス・科学。

そして、そこから人間の情や思いや愛や優しさなど、叙情的なものが派生してきますが、そこから先は少しサイエンスを離れるところで、芸術とか文学とか。
もちろん、そのサイエンスが扱っているところと、芸術とか文学とか、そこには淡い境界があるのかもしれないし、ないのかもしれないけれども、ある程度追求していくと、その辺の境界はドンドン淡くなって線引きは難しくなるんでしょうね。

ただ、あまり非科学的なものを、実際の医療行為の表に出すと、インチキ医学との境界も難しくなってくる。だから、わしはサイエンス・科学に敬意を持っているからこそ、徹底的にサイエンスで人体を見ている。

ただ、そこから派生する患者さんとのやり取りや、家族とのやり取り。そこはサイエンスではないと思っている。そこは情とかの世界だと思う。

もちろん、そこの境界は難しい。でも、そのバランスをとるのは自分しかない。そして、そのバランスを取るのは、科学への愛情と、同じ程度の文学や芸術の愛情。そのバランスに依存するのだと思うのです。


ということで、当初書こうと思っていたことから少し脱線気味になってきたんですが、そんなことを考えながら医療行為をやっている。
極限的に全身管理が難しい患者さんを扱って悪戦苦闘していると、ふと休憩するときにそういうことが頭をよぎる。

人間が人体を管理するのは非常におこがましいということは分かっています。

ただ、サイエンスで扱える範囲の極限というものもあるはずで、とんでもなく心臓や全身状態が悪い人に、サイエンスの限りを尽くして、自分の知識と体力を総動員して、なんとかしたいとそう思うのも事実。それが現実に直面したときに初めて立ち上がる思い。机上の空論ではない思い。


丁度今日の朝まで、絶望的に難しい状況の中で日々悪戦苦闘していましたが、いろんなことが功を奏してきたのか、今こうやってブログを書く時間もとれるくらいに安定して良くなってきた(悪い中でも良くなってきたという意味ですね)。


そして、ふと一休みできる!と思って、ふと当直中につけたテレビで村上龍の『カンブリア宮殿』をやっていて、すごく刺激をうけたのです。


村上龍の『カンブリア宮殿』

今回のゲストは、渡部賢一氏(野村ホールディングス社長)、北尾吉孝氏(SBIホールディングスCEO)、竹中平蔵氏(慶応大学教授)、永守重信氏(日本電産社長)という面々。
野村ホールディングスの渡部賢一さんは自分の勉強不足で初めて見た方だったが、他の方々はこういう経済や経営や金融などの話でよくみる一流の方々。話にも含蓄があった。

村上龍も含め、自分が刺激を受けた発言としては、
*********
・貨幣は信用で取引している。ただの紙切れだが信用を媒介している。
・投資会社はリスクをとっていた。アメリカの投資会社が全部つぶれたのは、リスクをとる会社が減ったことで世界全体としては損失。リスクをとることの重要性。
・大きな津波がきたとき、世界とか外に目を向けることの重要性
・風を起こすこと。今までは風が勝手に吹いていて凧はあがった。今は風が止んだが、自分で風を起こさないといけない。
・買収して買った会社は、ヘッジファンドと違って売る気はない。未来永劫面倒見るつもりだ。
・格差問題とはつまり貧困問題。
*********
個人的には色々示唆に富んでいるように感じとった。


■リスクをとること

医療行為もリスクです。あえてやらないといけない。あえて人体に針を指して、数mmの針穴から血管を通して心臓や人体を治療する。それが自分の専門としている医療行為です。
人体内部で完結している世界に、体外から針を指して異物を入れていく行為は非常なリスクを伴う。でも、やらないといかん時がある。

僕らがやっていることは、リスクを引き受けないと何も始まらない。神秘の世界である人体に介入するっていうのは、やはりある一線を越えた行為だから。

そういう意味で、金融の世界の人がいうところの、『リスクをとる』という発言は素直にうなずけた。ある程度いい仕事をしたいとか、人のためになりたいとか、よりよい世界を作るお手伝いとしたいとか、やや傲慢な考えを実現するには、高みの見物を決め込んで、その世界のプレイヤーに石を投げて批判するだけではだめで、ある程度のリスクを自分自身で背負わないといけない。
リスクを引き受ける覚悟。

表現でもそうでしょう。文学、絵画、彫刻、舞踊、演劇、映画、漫画・・・言語以外の表現っていうのもたくさんあるわけですが、何かを表現するとき、自分自身を完全否定されるかもしれない、ある一定のリスクを引き受けなければいけない。
でも、その物事に真剣に一途に立ち向かって表現したとき、その良さを感じ入ってくれる理解者はきっとあらわれるはずだと思う。実際そうだと思うのです。
そういう意味では表現は孤独なものだけど、決して絶対的な孤独ではないと思う。そして、リスクを取るという意味では、表現行為も同じだと思うのです。自由な表現とはそれなりのリスクを負う、でも、それだけのリスクを負っても、表現しなければいけないことがある。表現しないといけない時がある。


■『信用』というもの

貨幣は信用を媒介するという話もうなずける。
1万円で買えるものはたくさんある。美味しい有機野菜の料理、コムデギャルソンの服、無印良品の家具、技術の結晶である電子機器、歌舞伎や演劇のチケット・・・その同じ1万円を使って、海外で買春する人もいれば麻薬を購入する人も殺人兵器を購入する人もいるのがこの世界。
この世のかなりのものは、貨幣(円でもドルでもユーロでも)に還元できるようになってきた。
そこにはあるルールが必要で、これを何円にしましょうね。っていう共通認識が必要で、それは信用を根っこにしていると思う。

サブプライムローンもバブルも、お金の価値がドンドン上がっていくっていう共同幻想の中で成立していたんでしょうけど、もちろん無限にあがり続けるわけないはずで、どこかでその成長や上昇気流は止まる。
そこもお互いの信用というか、お互いで「まだもう少し値段って価値って上がり続けますよね」っていう感覚がないと成立しえなかったんでしょうね。もちろん、そこには巧みな心理戦(騙し騙されも含めて)も入り込む余地もあると思います。

金融の根っこに、信用とか信頼みたいなものがあるってすごく面白いと思った。そりゃあ、見ず知らずの他人と何かを媒介にして交換したりするわけだから、昔昔の米と白菜みたいな物々交換の時代でも同じだっただろうし。

その信用とか信頼を媒介にするっていうのは医療も同じです。
患者さんや家族からの信頼や信用を受け、自分たちはそれに恥じない努力や勉強や献身をして、日常の会話をしたり冗談を言い合ったりするわけですからね。その上でサイエンスとしての医学は成り立っているから。サイエンスありきではない。信用ありきの、サイエンスとしての医学。


■風を起こすこと

『風』って、いい例えだと思った。
風って普段目に見えないけど、絶対に大事なもの。僕らは目に見えないけど、鳥も風や気流で飛んでいる。煙とかが立ち上ったりするときだけ、偶然に気流って視覚で感知できる。

日々、そういう風のような、気流のような、目に見えない流れっていうのが体の回りすべてを包んでいて、実はその中で行動している。そしてその風とか気流って言うのは刻々と変化して実体もなくて、何の目的もないようにすべてから自由な感じで存在していて、でもそんな不規則でランダムな風や気流によって、台風とか雨とか・・・色んな自然現象も起きてたりして、そういう目に見えない世界を包む雰囲気というものに、実は行動も無意識に方向づけられてるのかもしれん。
それならば、いい風の中で生活していると、きっと知らぬ間にいい方向に向かって無意識に飛んでいるんではないのだろうか。そんなことをふと考えてしまった。


今、患者さんの様態は少しずつ良くなってきている。人体を巡り巡る小さいサザナミが、人体という広大な海に徐徐に大きい波となって変化を起こし、いい風がいい風を引き起こし、部分だけではなく、全体としてヨッコイショという形で一段高くいい塩梅に落ち着いてくる。
そういう小さな風が大きな変化となって人体に影響して、それが患者さんが喜んだり家族が喜んだり、そういう思いとか感情とか、文学や芸術が扱うような範囲にまで伝播していく。そしてそれは巡り巡り循環して、自分や医療スタッフなど、周囲にも伝播してくる。そして、それはまた自分自身の新しい風を起こす。

そういう感覚がありますね。
色んなものを感じた入り口があるとすれば、ココに書いたものはその出口として機能しているんだと思います。
入り口と出口。

長くなりました。
とにかく、重症の患者さんが少しずつ良くなってきていて、それはやはり患者さんも家族も自分も医療スタッフも、みんな嬉しいよ。って、そういうことが言いたかっただけの文章だったはずなんですよ笑

6 コメント

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バランスが大切やね。 (Is)
2008-11-11 02:42:02
…細部はぐっと、我慢して、総論。

にしても、当たり前だけど、
いなばさんはお医者さんなのですよね。
単純な疑問なんだけど、
周りにいる他のお医者さんたちって、
どういう人が多いんだろう?
…なんて思ってしまう。
みんなサイエンスとアートのバランスとってるのだろうか?
死や金融や表現やリスク/責任をとることに意識的なのだろうか?
(だとすれば、なんだか、
体が弱っていくことが不安じゃないなーとか。
…幸運にもぼくはこれまで
ザ・健康に生かしてもらってますが)
…なんて、ふと思った夜でした。

《前回とかの感想》
『風の旅人』あれだけ「参考」にされてたら、買うっきゃないでしょ。Vol.28-31ゲッツです。

松っちゃんLive、行きましょう!行きましょう!
…そういえば、影響受けた人って、なんだかんだいっても、何回かは生でお見受けする機会あるんだけど(見田、宮台、糸井、…伊集院光)、松本人志は未だなんだよなー。Liveやってほしいねー。
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他の世界の人とね (いなば)
2008-11-11 22:47:04
>>>>Is
わしの普段の仕事は普通の医者なんですよー。なんかブログにあんまりその辺書かないけど笑

ていうのも、なんか自分の専門の話って少しこっぱずかしい気がしちゃってねー。
でも、人並み以上に医療に対しては熱いので、それなりに色んなテーマで言いたいことあるんですよ。
でも、まあ専門名だけにいい加減なこといえないし、そういう意味で軽いノリではあんまり言わないようにしてるんです(別に他のことを軽いノリで言ってるっていう意味ぢゃないんだけどね)。


周りにいる他のお医者さんたちって普通の人多いですよ。仕事自体ダラダラとした拘束時間が長いので、あんまり外に出ない人の方が多いかも。途中で病院に呼び出されたりすることもあるし、そういうのを理解してくれる医者同士で会ったりしがち。
でも、わしは逆に仕事では医療関係の人としか話さないんで、プライベートくらいは全然違う生活してる人と話したいんですよねー。

まあIs氏と話したりするのもその一環。かなり刺激受けるんだよねー。それは意識的にも無意識的にも、ものすごく刺激や栄養をもらっていると思うのです。


『風の旅人』、HPのバックナンバー売り場のとこを見ればわかるけど
http://kazetabi.shop-pro.jp/

国内送料・コンビニ振込手数料も会社負担だし、『風の旅人』2号~23号は 2冊1200円!!っていうお買い得価格だし、ほんとお金とか度返ししてやっている素晴らしい雑誌です!
きっと他のバックナンバーもほしくなるはず!
文章も写真も素晴らしいんだよね。何度も読み応えあるし。

松本人志、もし生で何かやるときあれば一緒に行きましょうね。それこそ東京の醍醐味だしね!
松本人志はガキの使いの収録を新宿に見に行ったときくらいだねー。あれはうれしかったなぁー。
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ぜひぜひ (Is)
2008-11-11 23:12:00
松本人志、どうやら、休業宣言もただのグチだったようだし、
大晦日も、またガキの特番あるみたいだし、
依然として、ぼくらのこころをとらえてやまないですね。

ちなみに、長期にわたり…といえば、
オールナイトニッポン、
ナインティナインは、14年突破!で過去最長を更新中。
福山が数ヶ月で追随中。
松っちゃんの放送室も7年!
(…ぼくが大学の最初の頃に、電車の中で公告見たの記憶している。)
長くやるって、ホント価値だな~としみじみと。
さっき、クローズアップ現代録画を見てたら
村上隆特集で、
村上が、今後のアートで考えてることが、
百歳寿命時代のアートなんですって!
(…ちなみに、ぼくも長生きが小さな目標です。
123歳まで生きると、ドラえもんの世紀に生きられる。
…ちなみのちなみに、この村上隆特集、得るところ多かったので、またどこかで書きます。)

おまけのおまけに(そんなのばかりだ)
福山が再来年、大河で龍馬なんですね!
これは、楽しみだな-。
龍馬も福山も大好きだから、
この相乗効果、プレッシャーも高いだろうけど、
やりとげたら、ついにキムタク抜く時かもね!
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ヤマザキVSモリマン (いなば)
2008-11-12 21:06:20
大晦日楽しみだねー。ヤマザキVSモリマンってほんと名勝負っていうか、山崎邦正という芸人が、何故ああもダウンタウンに好かれてずーっとガキの使いのレギュラーしてるのか分かる気がしますね。あのときの山ちゃんはほんと輝いてる!


オールナイトニッポン、高校生のときはナイナイと福山の毎週聞いてたよー。今は聞かなくなっちゃったけど、ああいうラジオって、車で運転してるときとかに偶然流れてくると最高に嬉しいと思う。
今もやり続けてるってすごい!なかなか最近の生活ではラジオに接する機会ないんだけど、テレビ以上に自由な表現できるよねー。
Misiaを始めてラジオで聞いたときもすごいギャルみたいなキャワイイ話し言葉でびびったし、中島みゆきもラジオでは滅茶苦茶饒舌でびびったし。ラジオが一番素に近いんでしょうな。
そういう意味で、松本人志ってテレビもラジオも同じようなテンションで話してるしすごいよねー。テレビって、やっぱり表現としては相当制限されちゃう場だし。それだけ影響力がでかいし、間違って伝播したときの悪影響も大きいってことなんだろうけど。



長くやるって、価値ですね!
職人さんが、「この道一筋40年。これ以外何もできません。」って言ってるのはほんとカッコイイな~って思うもの。農業とか漁業とかも人生かけて継続してる人ってかっこいいと思う。


村上隆は賛否両論あるかもしれんけど、一つのたたき台つくった人なのは間違いないからね。認めるべきところは絶対認めないとイカンと思う、そういう存在です。その番組見たかったなぁー。

福山が龍馬やるんだー。あの人も写真やったり下ネタはなしたり、芸の幅広いよね。

俺も実は初期の福山の曲って好きなんで、「追憶の雨の中」「風をさがしてる」「good night」「約束の丘」とかカラオケで歌えるよ!寧ろ、最近の曲は桜坂くらいまでしか知らん。ていうか、初期の福山の曲なんて知ってる人いないから何年も歌ってないけど。福山って音域狭いから歌いやすいのよね。ミスチルの櫻井さんなんて音域広すぎて激ムズだけど。
これは脱線。

とにかく、福山もキムタクもとんでもなくかっこいいもんねー。雑誌が抱かれたいとか好きなタレントとかやると。常に上位にランクインするし、しかもそれがここ10年くらいずっとランクインしとる気がする。そういう息の長さが一番スゴイ。年をとっても魅力を増すってことなんでしょうな。
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福山 (Is)
2008-11-13 02:33:24
そうなのよー。
僕も福山に心酔してたのは中高で、
good nightと、あとGirl、恋人とか、バラード系が好き。

僕は、実は、これは分からんってのは、
SMAPで、実は、意外とSMAP評価が低い
…ってほどじゃないにしても、
そんなに、国民的な理由が実は分かってない。
中居君とかって、松っちゃんも結構評価してるんだけど、
実は、分からんのですよ-。
これは、知りたいですね。
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中居くんと二宮和也は相当に演技うまい (いなば)
2008-11-13 10:06:11
あ、同じ時期なんだね。
わしも高校時代オールナイトニッポン聞いてたときが、福山の音楽をよく聴いてた。ラジオでも実際流れてたしね。
ダイドーブレンドコーヒーのCMで、福山が{コーヒー}って低音で言う真似とか、我が家ではやったのを思い出しました。曲はSory Babyね。


SMAPは俺もそこまで熱狂したことないのでよくわかりません。キムタクもドラマで感動したとか言うより、工藤静香と結婚したって事とか、あの美意識高いとこが好きですからね。ちなみに、工藤静香って二科展に絵を出品してたりして、そういう芸術的素養がある人なのです。

ただ、わしはSMAPの中で群を抜いて好きなのはそれこそ中居くんなのです!
というのも、彼の『白い影』っていうTBSで2001年にやってたドラマの演技がまあよかった!! 直江庸介なんだけど、主題歌も竹内まりや「真夜中のナイチンゲール」 でめちゃくちゃあってた。無愛想な医者役。すごく謎めいている役ね。かっこよかったよー。なんかいつも悲しい目をしてるんだよね。その悲しい目とか切ない目とか、めちゃくちゃ演技うまかったもの。あれ以降見る目が180度かわってしまった。これ見た人はみんな中居の演技のうまさに驚いたと思うよ。ただのアイドル歌手から抜け出たなって思った。
<白い影>
http://www.tbs.co.jp/shiroikage/sp/top.html

あと、伝説の教師で松本人志と共演したり、松本人志と仲がいいってのも好きなポイントです。


嵐の二宮和也なんかもすごく演技うまいよねー。彼もアイドルの域こえとる。


中居くんの『私は貝になりたい』って映画も、ミスチルの花の匂いが主題歌だし、なんか坊主割引とか行って坊主頭はやすくみれっるらしいし、行ってみようかとおもっとる。仲間由紀恵もでるしね!
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