
GW中。やっと自分の時間ができる。GWを学ぶ時間にあてている。さらに空いた時間を仕事に費やしている。その合間にブログを書いている。
「自分の施設を地域一に!」「自分の施設を世界一に!」というフレーズを聞くことがある。
今の医療の世界は、もともと狭い。どんな世界でも、ジャンル分けすれば世界は狭くなる。
「自分の施設だけがよくなればいい」という発想は、ずれている、と思う。
自分の施設「だけ」ではなく、自分が所属している世界「全体」がよくなっていく道を探すべきだ、と思う。
「自分の施設だけよくあればいい。とにかく業界1位を目指せばそれでいいのだ。」
「全体をよくしたい。だからその手始めとして自分の施設をよくしよう。あくまでも、それは目的ではなくて手段。最終的には自分が所属する全体をこそ、よくしたい。」
この二つは、表面的に似ていても、実質はかなり違う。
自分の施設だけ、会社だけ・・という発想は、自分のことしか考えていないから、馴染めない。子供のころから、この発想には、馴染めない。
なぜなら、自分が今の施設にいるのは本当にたまたまであって、あちらの施設にも、別の施設にも、自分がいた可能性はあったはずだから。
可能性は、常に開かれていたものだし、常に開かれているものだ。
「自分の施設だけ」という発想は、最終的に自分の首を絞めると思う。自分で自分の世界を狭くしている。自らが、自分が所属する世界の可能性を閉じている。
閉じて閉鎖的にすることで、自分の支配領域が増えたと勘違いしてしまう性を、人間の自我は潜在的に持っている。ただ、それは自分が分母の数を意図的に操作して少なくしただけ。見た目の分母が小さくなると、数そのものは大きくなったように見えるけれど、それは単なる自作自演の錯覚だろう。
全体がよくなる道を探し、その中で自分の施設「も」よくなる道を探すべきじゃなかろうか、と思っている。
これは医療だけではなく、他のジャンルにも言えることだろう。
最初の方向性が逆向きに進めば、どんなに努力しても、その努力はすべて逆方向へとつながることがある。「自分も頑張っているのだ、努力しているのだ」と逆切れしても、それはあまりしょうがない。認めたくないことも、認めなくてはいけない。
・・・・
そういうことを考えつつも、自分は自分ができる範囲の仕事を地道にしている。
ただ、どんなに小さい仕事でも、常に全体のことを考えている。
医療世界全体のこと。人類の健康、幸福、未来全体のこと。地球、宇宙環境のこと。全部のこと。全体のこと。
些細な部分的な仕事であっても、どういう思いで仕事をするか、というのは大事だと思う。
どういうキャンパスの全体像を描くか。いくら他人から誇大妄想と思われようと、それは関係がない。
イマジネーションとは、もともと誇大なものだ。
頭の中で広がるイマジネーションは、素粒子から宇宙の果てまで考えても、それは自由。制限は自分しか作る権利がない。
自分の「思い」は、その仕事に何かしらの形で転写されていると思う。分かる人には分かるし、伝わる人には伝わると思う。
「自分の施設を地域一に!」「自分の施設を世界一に!」というフレーズを聞くことがある。
今の医療の世界は、もともと狭い。どんな世界でも、ジャンル分けすれば世界は狭くなる。
「自分の施設だけがよくなればいい」という発想は、ずれている、と思う。
自分の施設「だけ」ではなく、自分が所属している世界「全体」がよくなっていく道を探すべきだ、と思う。
「自分の施設だけよくあればいい。とにかく業界1位を目指せばそれでいいのだ。」
「全体をよくしたい。だからその手始めとして自分の施設をよくしよう。あくまでも、それは目的ではなくて手段。最終的には自分が所属する全体をこそ、よくしたい。」
この二つは、表面的に似ていても、実質はかなり違う。
自分の施設だけ、会社だけ・・という発想は、自分のことしか考えていないから、馴染めない。子供のころから、この発想には、馴染めない。
なぜなら、自分が今の施設にいるのは本当にたまたまであって、あちらの施設にも、別の施設にも、自分がいた可能性はあったはずだから。
可能性は、常に開かれていたものだし、常に開かれているものだ。
「自分の施設だけ」という発想は、最終的に自分の首を絞めると思う。自分で自分の世界を狭くしている。自らが、自分が所属する世界の可能性を閉じている。
閉じて閉鎖的にすることで、自分の支配領域が増えたと勘違いしてしまう性を、人間の自我は潜在的に持っている。ただ、それは自分が分母の数を意図的に操作して少なくしただけ。見た目の分母が小さくなると、数そのものは大きくなったように見えるけれど、それは単なる自作自演の錯覚だろう。
全体がよくなる道を探し、その中で自分の施設「も」よくなる道を探すべきじゃなかろうか、と思っている。
これは医療だけではなく、他のジャンルにも言えることだろう。
最初の方向性が逆向きに進めば、どんなに努力しても、その努力はすべて逆方向へとつながることがある。「自分も頑張っているのだ、努力しているのだ」と逆切れしても、それはあまりしょうがない。認めたくないことも、認めなくてはいけない。
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そういうことを考えつつも、自分は自分ができる範囲の仕事を地道にしている。
ただ、どんなに小さい仕事でも、常に全体のことを考えている。
医療世界全体のこと。人類の健康、幸福、未来全体のこと。地球、宇宙環境のこと。全部のこと。全体のこと。
些細な部分的な仕事であっても、どういう思いで仕事をするか、というのは大事だと思う。
どういうキャンパスの全体像を描くか。いくら他人から誇大妄想と思われようと、それは関係がない。
イマジネーションとは、もともと誇大なものだ。
頭の中で広がるイマジネーションは、素粒子から宇宙の果てまで考えても、それは自由。制限は自分しか作る権利がない。
自分の「思い」は、その仕事に何かしらの形で転写されていると思う。分かる人には分かるし、伝わる人には伝わると思う。