
桜がキレイですね。東京も少しずつ桜が咲いてきました。
いろはうたを何となく噛みしめてしまいます。
【いろはうた(10世紀末~11世紀)】
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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
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色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
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<訳>
桜の花の色は美しく照り映えるけれど、すぐに散ってしまう。
我々人間の世も、だれがいつも変わらずにいようか。
いや、いつも移り変わりいく。無常である。
無常の世のような奥山を、今日超えて行くような人生。
浅い夢を見るように惑わされず、酔いしれないようにしたいものだ。
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→【竹内整一『「はかなさ」と日本人』(2009-02-17)】参照。
■内村鑑三「代表的日本人」岩波文庫(1950)
先日、西郷隆盛の『南洲翁遺訓』(2009-03-28)を薦められて、読んだ。
そのときに、その西郷さんを「代表的日本人」として紹介している内村鑑三をふと思い出した。そして、すかさず読んでみました。
内村鑑三(1861~1930)は、武士の子として生まれキリスト教に帰依した人ですが、渡米した当時の堕落したキリスト教会(拝金主義、人種差別など)に激しく失望した挫折の人でもある。
武士道の精神とキリスト教徒としての精神。
そんないろんな矛盾のはざまの中で、西洋と東洋、そして日本。そういうのを強く意識せざるをえなかったのでしょう。
日本は、明治維新で怒涛のように西洋化へ突き進みます。
そんな日本を目にしながら、日本とは果たして何ぞや、という疑問に大きくぶちあたった。
そこで内省した結果生まれおちたのがこの本です。
もともとは海外に日本を紹介するため、すべて英語で書かれていて、それを逆に日本語に直している。
この本では、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人という5人を紹介しながら、日本の道徳や倫理を語っています。
故ケネディ大統領が、「政治家として最も尊敬する人は上杉鷹山」と語ったのは、確かこの本が由来だったと思います。
当時、英語で発表された日本文化の本では、新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と並んで有名な本だったと聞いたことがあります。
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それぞれ、すごくいい話だった。
最後の日蓮上人は、迫害されながらも自分の信じていることを貫き通す自分自身の境遇を託して書いているようにも思えて、少し流れが違うな、と思いましたが。
西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹の4人で共通するのは、
「本人が自分自身の人格の修練を行い、その上で真心を持って他者と接すれば、おのずから人や天地はついていくるものだ」
という人生観なのではないかと思いました。
実際の偉人の具体的な例を挙げられると、確かに信憑性があり、説得力が違います。
実際、時代を経てもいろんな人がその哲学を尊敬し、愛し、継承しているのも事実です。
単に歴史に名が残っている偉人と違うと感じたのは、自分の見栄や外聞や贅沢をすべて捨てて、人格も磨き続けて高邁な理想に燃えた偉人は、時代を超えても人々の心の中に深く深く根付くということ。特に辛い境遇において、その人の人生は大きな心の支えになるということ。です。
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儒教的な「徳」は、道徳的に優れていることを表しています。
具体的には、『仁・義・礼・智・信』の五徳や『孝・悌・忠』の実践のことを言います。
徳治主義では、とにかくすぐれた徳を自分が治めれば、秩序の安定は自然にもたらされるものだ。だから、人のことはともかく、とにかく自分の徳を治めなさいと説いている。
秩序の安定をもたらすために徳を治める、という目的志向の考えというよりも、とにかく一心不乱に自分の徳を治め、高め続ける、そんな高潔な人格に触発され、周りも呼応して影響を受ける。という感覚に近いように思います。
無目的で無邪気で一心不乱に自分を磨くプロセスだからこそ、その純粋でひたむきな姿勢に周りが自然と呼応し、影響を受けてしまうのだと思います。
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それぞれの人のエピソードで色々学びがある。
ケネディが尊敬した上杉鷹山も確かにすごい政治家だと思った。
若干15歳!で破産寸前の米沢藩の再建を任され、そこから、行政改革、産業改革、社会・道徳の改革を抜本的に行った人。
本で具体例を読むとその偉大さが具体的にわかります。
「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」
と言うフレーズは、上杉鷹山が『書経』を出典として言った言葉らしく、そんな豆知識も得ました。
■中江藤樹
個人的には中江藤樹に感化されました。
中江藤樹は、近江国(滋賀県)出身の江戸初期の陽明学者・教育者です。
その高潔な人格から、近江聖人と呼ばれたお方。
内村鑑三が中江藤樹を語っている部分で、
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教師のことを、先に生まれたことを意味する「センセイ」と呼んだ。
この世に先に生まれた時点で先であるのみならず、真理を先に了解した点で、先に生まれたことになるからである
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たしかに、「先生」とは「先に生まれた人」と書きますね。
そうすれば、分より先に生まれた年長者すべてを先生と思って接していけばいいと思います。
これはなかなかいい考えだと思ってしまった。
自分より先に生まれた人は、それだけで既に尊い。すでに先生であると。そうして年長者を敬う。
(もちろん、後輩でも先生のような偉大な人は星の数ほどいます!)
中江藤樹がよく言った言葉で、
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『天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある。』
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これもなかなかグサッとくる言葉ですね。(笑)
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暗くともただ一向にすすみ行け
心の月のはれやせんもし
志つよく引き立てむかふべし
石に立つ矢のためし聞くにも
上もなくまた外もなき道のために
身をすつるこそ身を思ふなれ
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こんな熱い歌も詠んでいます。
頭は冷静だけど、心は熱いっていうのは理想的ですね。かっこいい。目指したい。
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徳を持つことを望むなら、毎日善をしなければいけない。
一善をすると一悪が去る。
日々善をなせば、日々悪は去る。
昼が長くなれば夜が短くなるように、善をつとめるならばすべての悪は消え去る。
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小学校の先生に言われると、ただの説教に聞こえるけど、実践して生きたお方から言われると重みが違う。何故か素直に聞けます。(笑)
一日一善の出典もこの辺から来てるのかなぁ。
やっぱり、発言者自体をこちらが無意識に値ぶみしちゃうから、心に届く場合と届かない場合があるんでしょうね。
言うは易く、行うは難し。
本当に実践している人から聞くと、その言霊が心に届きます。
最後に、内村鑑三が中江藤樹を語りながら読者に言っているところも強烈!
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現代の私どもは、「感化」を他に及ぼそうとして、太鼓を叩き、新聞広告を用いるなど大騒ぎをしますが、真の感化とはなんであるか、この人物に学ぶがよろしいでしょう。
バラの花が、自分の香を知らぬと同じく、藤樹も自分の影響を知りませんでした。
その藤樹と同じように静かな生活ができないならば、私どもは一生、文を書いたり、説教をしたり、身振り手振りを用いたりしたところで、それぞれ「タタミ一枚ほどの墓場」のほか、なにも残らないでしょう
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「タタミ一枚ほどの墓場」って!(笑)
厳しいなー。でも、確かにそうかもしれない。
謙虚に受け取ります。
中江藤樹本人ももこう語っています。
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谷の窪にも山あいにも、この国のいたるところに聖賢はいる。
ただ、その人々は自分を現さないから、世に知られない。
それが真の聖賢であって、世に名の知り渡った人々は取るに足りない。
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自分が生きていると、『この人はすごい!尊敬できる!会えてうれしい!おもわずありがとう!』という人と出会うことがありますよね。
そういう素敵な人ととの出会いに、その人が有名か無名かなんて本当にどうでもいいことです。
そんな風に、自分が出会った人へ敬意を持って。
他者との関係性を編み物のように織りなしながら生きていきたいものです。
編み物の網目のように他者との関係性は縁で張りめぐされててつながっているのだと思います。
そういう他者との出会いによってできた、立体的な編み物それ自体が、自分の人生の形になるのだろうと思います。
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西洋を無条件に受け入れ、主体性なく溶けていく日本を見ながら、内村鑑三が感じたこと。
そして、異国へと、日本へと伝えたかったこと。
それは具体的な人を通して、具体的な人生や生き様を通して、何かを僕らに伝えたかったんだと思います。
30歳となったこの時期に読むと、心に深く突き刺さるものがあります。