日常

右と左とねじれ

2010-01-18 22:06:17 | 考え
ヒラメの眼は、発生の最初では、普通の魚類と同じで左右両側で左右対称に作られる。

成長して変態期になると、右眼が正中線を通り越して体の左側に向かって移動してしまう。

「左ヒラメ」と言われるように、両眼が左側に並んだ左右非対称な体に「変態」するのだ。
カレイは似て非なる「右カレイ」であり左目が右側へ移動する。


そもそも、右・左自体が、自分の視点と境界線で自由に行き来する不思議な概念。
自分の「右」側であったところは、自分が「右」を向くことで「正中」を過ぎて、「左」側へと変化する。一周回るとまた「右」側になってるし。・・・不思議だー。



そういう「左ヒラメ右カレイ」という右と左の非対称性が、脳のねじれから始まるとの報告を見かけた。

右目と左脳、左目と右脳という風に、何故か視神経は交差している。
その交差点での脳のわずかな歪みが最初に起きる。それが脳全体への「ねじれ」へと波紋のように広がり、その最果てに目の位置も片方に大きくずれていくらしい。


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そもそも、人間の脳神経と手足の運動が、延髄あたりで左右で交差していること自体が不思議だ。

左側の脳が損傷を受けると(病気で言えば左脳梗塞)、なぜか右半身が動かなくなる。
左の脳が左側の運動機能を支配していれば素直なのに、なぜ延髄で交差するのだろうか。謎だ。
同じ側を脳が支配していると、人体を二つに割ってしまおうと言う奇特な人が出てくるからか。


脳は左右が脳稜でつながっている。  

そういえば、プリンストン大学心理学のジュリアン・ジェインズは、「神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡」(紀伊國屋書店:2005)という本で「Bicameral Mind(二分心)」の仮説を書いている。

紀元前1万年近くのヒトには、左脳と右脳の機能が統合できていない「double mind」の時期があったらしい。
そこに「声」・「言葉」のような「言語」が発生したことで、紀元前9000-2000年の間にはヒトの脳が「Bicameral Mind(二分心)」(=「古代脳」)という脳の状態になった。
右脳は「神々の声」を聞き、その「神々の声」に左脳の「人間の応接」が応じる関係性だったと。「神々の声」の神も、そう難しい概念ではなくて、「内なる声」のようなものをイメージしているみたい。

そんな「Bicameral Mind(二分心)」の崩壊後に、「意識」が誕生したという形で、この本は意識の起源を考察した本。
僕らヒトは、「言葉」をきっかけにして「意識」が生まれ、それはつい最近の紀元前2000年くらいだと書いている。


ギリシア神話を題材にしたホメロスの『イーリアス』という叙事詩も、「幻聴」はまさしく「Bicameral Mind(二分心)」の証拠として引用されていて、現代では統合失調症として「病気」とされたところにもその痕跡があり、「比喩力(メタファー)」・「物語力」という能力も、その痕跡であると。


圧倒的な量の文献を証拠として推論している。

詩人は直観で本質をつかむ。
詩人の才能も持った科学者は、その直観を信じて、圧倒的な証拠で緻密に論証していく気がする。

ジュリアン・ジェインズ仮説の真偽のほどは、僕の能力では到底分からず、単に学ぶだけですが、ジュリアン・ジェインズの意識誕生仮説は、なんかロマンを感じて好きだー。
(昔、松岡正剛さんの千夜千冊でも紹介されたことがある。→1290夜:2009年3月20日


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そんなこんなで、右と左は面白い。
量が多すぎて途中までしか読んでない、「非対称の起源」C. マクマナス(講談社:2006)もいつか読まなきゃー。



自分の領域に引き寄せると、心臓から出ている大動脈も、発生の途中でなぜか右側が消え去って、左側だけ残ります。戻ってくる大静脈は右側だけ(内臓の位置決定遺伝子は「pitx2」で、仕組みは少しずつ分かってきているけど、何故かというのはなかなかわからない)。
この右と左問題は、大学院時代にでもコソコソと隠れ仕事にして勉強してみよう。


そもそも。なぜ脳からの神経が、延髄で交差して手足につながっているのか。不思議。
そんな素直じゃない神経回路の人体デザインは不思議。


自分も含め、人間の性格がひねくれているのは、人体がひねくれているからかもしれない。