当直中の時間あるときにブログを書く習慣がついてしまった。
昨日、雨上がり決死隊の「アメトーク」3時間SPを見た。
あの番組は、バラエティの中でダントツに面白い。数年前の黎明期から毎週欠かさず、録画して見ている。
まあ当然のように大笑いしながら見たわけですが、その中で「俺達のゴールデンプロレス」という、プロレスのコーナーもあった。
わしは、実は大のプロレス好きなのです。
プロレスに多くのことを教わりました。
(と言っても、最近はあまり見ていない。)
あのコーナーの中で、ZERO-ONEという団体の大谷晋二郎の話があった。
彼は、地方にプロレス巡業をして、地元の小学校の校庭でプロレスを見せたりしている。
そのとき、必ず地元の小学校で講演をして、小学生の家に実際に泊まり(リアル田舎に泊まろう)、一日じっくり共に過ごす。
そして、翌日に校庭でプロレスをする。
そんな熱き男。
僕が、プロレスを見ながら学んだものをふと思い出した。
それは、「受けの美学」と「倒れても倒れても起き上がること」の二つ。
今の総合格闘技は、単に勝つことだけが目的化しているので、あまり面白くない。単なる喧嘩に見える。
プロレスには、「受けの美学」というものがあり、王者たるものは、相手の技を全て受け続ける。そして、相手の技を全て受けきった上で、自分の技で倒す。
そういう「受けの美学」がある。
自意識過剰に自分の技だけを出しまくって、数分でボコボコにするという、そんな野蛮なものではない。
もっと高級なコミュニケーションを感じるのです。
会話も含めて、コミュニケーション全般に言えると思うけど、自己主張ばかりでは単なる一方通行で面白くない。
受けがあるから攻めが引き立つ。そういう双方向性だからこそ、面白い。
「受けの美学」と共に存在するのが、プロレスの「倒れても倒れても起き上がること」。
プロレスでは、相手の得意技を受け続け、何度倒れても起き上がる。
その光景を見て、プロレスを知らない人は八百長だとか、ショーだとか言うけれど、プロレスはそんな表面的なものではない。
プロレスは、大人としての生き様を、裸一環で見せ付けているものに見える。
小橋健太と三沢光晴の試合、ハンセンと鶴田の試合、猪木と藤波の試合、橋本と武藤の試合・・・何度胸を熱くさせられたか分からない。
自分の肉体ひとつだけを使って、打たれても打たれても起き上がる姿に、何度感動したことか。
プロレスは、単なる勝ったとか負けたとか、お金儲けとか、そんな表層的なものではないんです。
大谷晋二郎も、小学生に自分が打たれても打たれても起き上がるプロレスを、生で見せる。
肉体と肉体がぶつかり合うとき、ものすごい音が出る。
これは、実際のプロレスや格闘技を見た人しか分からないけれど、テレビでは絶対に分からない、異常なリアリティーを伴う物凄い音がするのです。
骨と骨との音というか。
プロレスの試合後、大谷晋二郎は小学生に言っていた。
「自分は人に説教たれるほど偉い人間ではないけれど、倒れても倒れても起き上がる姿。大人の自分が無様な姿で、裸一貫で必死に生きていること。そういうことを君たちに見せたいんだ。」
と吠えながら言っていた。
プロレスのリングのところには、「いじめ撲滅キャンペーン」という幕がかかっていて、その活動の一環として無料で小学生にプロレスを見せていた。
ああ、この人は本当の人だ、本物の人だ。と思ってしまいました。
自分が小中学生のとき、必死で食い入るように見ていたプロレス。
大人が裸一貫で伝えようとしていた熱き魂を、ふと思い出してしまいました。
アメトークは他のお笑いの部分も最高に面白かったけど、「俺達のゴールデンプロレス」は、プロレス大好き芸人の、熱い愛情溢れるいい番組だったなー。
昨日、雨上がり決死隊の「アメトーク」3時間SPを見た。
あの番組は、バラエティの中でダントツに面白い。数年前の黎明期から毎週欠かさず、録画して見ている。
まあ当然のように大笑いしながら見たわけですが、その中で「俺達のゴールデンプロレス」という、プロレスのコーナーもあった。
わしは、実は大のプロレス好きなのです。
プロレスに多くのことを教わりました。
(と言っても、最近はあまり見ていない。)
あのコーナーの中で、ZERO-ONEという団体の大谷晋二郎の話があった。
彼は、地方にプロレス巡業をして、地元の小学校の校庭でプロレスを見せたりしている。
そのとき、必ず地元の小学校で講演をして、小学生の家に実際に泊まり(リアル田舎に泊まろう)、一日じっくり共に過ごす。
そして、翌日に校庭でプロレスをする。
そんな熱き男。
僕が、プロレスを見ながら学んだものをふと思い出した。
それは、「受けの美学」と「倒れても倒れても起き上がること」の二つ。
今の総合格闘技は、単に勝つことだけが目的化しているので、あまり面白くない。単なる喧嘩に見える。
プロレスには、「受けの美学」というものがあり、王者たるものは、相手の技を全て受け続ける。そして、相手の技を全て受けきった上で、自分の技で倒す。
そういう「受けの美学」がある。
自意識過剰に自分の技だけを出しまくって、数分でボコボコにするという、そんな野蛮なものではない。
もっと高級なコミュニケーションを感じるのです。
会話も含めて、コミュニケーション全般に言えると思うけど、自己主張ばかりでは単なる一方通行で面白くない。
受けがあるから攻めが引き立つ。そういう双方向性だからこそ、面白い。
「受けの美学」と共に存在するのが、プロレスの「倒れても倒れても起き上がること」。
プロレスでは、相手の得意技を受け続け、何度倒れても起き上がる。
その光景を見て、プロレスを知らない人は八百長だとか、ショーだとか言うけれど、プロレスはそんな表面的なものではない。
プロレスは、大人としての生き様を、裸一環で見せ付けているものに見える。
小橋健太と三沢光晴の試合、ハンセンと鶴田の試合、猪木と藤波の試合、橋本と武藤の試合・・・何度胸を熱くさせられたか分からない。
自分の肉体ひとつだけを使って、打たれても打たれても起き上がる姿に、何度感動したことか。
プロレスは、単なる勝ったとか負けたとか、お金儲けとか、そんな表層的なものではないんです。
大谷晋二郎も、小学生に自分が打たれても打たれても起き上がるプロレスを、生で見せる。
肉体と肉体がぶつかり合うとき、ものすごい音が出る。
これは、実際のプロレスや格闘技を見た人しか分からないけれど、テレビでは絶対に分からない、異常なリアリティーを伴う物凄い音がするのです。
骨と骨との音というか。
プロレスの試合後、大谷晋二郎は小学生に言っていた。
「自分は人に説教たれるほど偉い人間ではないけれど、倒れても倒れても起き上がる姿。大人の自分が無様な姿で、裸一貫で必死に生きていること。そういうことを君たちに見せたいんだ。」
と吠えながら言っていた。
プロレスのリングのところには、「いじめ撲滅キャンペーン」という幕がかかっていて、その活動の一環として無料で小学生にプロレスを見せていた。
ああ、この人は本当の人だ、本物の人だ。と思ってしまいました。
自分が小中学生のとき、必死で食い入るように見ていたプロレス。
大人が裸一貫で伝えようとしていた熱き魂を、ふと思い出してしまいました。
アメトークは他のお笑いの部分も最高に面白かったけど、「俺達のゴールデンプロレス」は、プロレス大好き芸人の、熱い愛情溢れるいい番組だったなー。
前にいなばさんが、
マンガとプロレスで俺は出来ている的なことを言ってのを思い出しました。
そっか、プロレスは、コミュニケーション論と、人生論として見られるのか~。
ぼくは、あまりプロレスって接点なかったけど。あの演技がかってるのがダメだったけど、あれが、いいわけなのかー。この年で見るとまた違うのかもね。
また、教えてほしいな。
追伸:
…余談ですが、僕は、今、夫婦関係から「受けの美学」をOJTで学んでいます。(笑)
この番組もいなばさんの記事もそうですが,大好きなものを「大好きだ!」と言って語られる,人は自然と興味をそそられるものなんですね。そうやって少しずつ影響されて,ふと今までと違った目線で見ることができるようになる気がします。
ちなみにアメトーークは私も好きで,フランスにいながらにして毎週チェックしています!じゃない方,ガヤ芸人,人見知り,町工場芸人等々,焦点のあて方に愛があって大好きです。
昨日は誕生日祝ってくれてありがとー!
大切に使います!今日も職場に、もらった箸をもって来てますよ。
そうそう。中高生までは、文学も哲学も全然興味なくて、マンガかテレビかプロレスか絵に、特に興味があったのです。
当時は、「全て大切なものは漫画とプロレスから学んだ」って思ってたし、今でも自分の根底には息づいていると思いますね。
プロレスも、漫画と同じでものすごいバリエーションがあるのよね。
アメリカプロレスは、確かにショーに近い。あれは本当に筋書きを書いている脚本家がいるからね。
逆に言えば、アメリカ社会を体現しているとも言えるのかもしれん。
裏の大きい権力を持った人が筋書きを書いて、ショーのように世界を展開していくってとことかね。
そういう意味では、日本プロレス、特に昭和プロレスと言われるもの(猪木とか長州とか・・)は、日本の大きい物語のようなとこあるんですよね。
倒れても倒れても・・・っていう辛抱・忍耐・努力の世界は、日本人の美徳かもしれない。
>>>>>>MY様
確かに、MYさんのように可憐で美しい人がプロレス会場にいると驚くかもー。こんな人がプロレスを!って感じで。
でも、最近は比較的女性ファンも増えたなぁって気はしますよ。
あれはテレビでのK-1とか、マサトとか、PRIDEとか、その辺の総合格闘技のおかげってのもあると思う。
アメトーーク、パリにいる人もそんなリアルタイムで見ているとは!!驚きー。
それってYoutubeとかなのかなぁ。
いやはや、時代は本当にドンドン変わってるよね。もう驚きです。
それにしても、Myさんもかなりアメトーク見とるねー。笑
ガヤ芸人とか町工場芸人とか、ああいうマイノリティーに光を当てるのは素晴らしい番組だと思う。
そして、それを変なヒューマニズムとかお涙頂戴の文脈に安易に乗せるんじゃなくて、お笑いという形でね。
僕は、あの番組に新しい未来を見るなー。
芸人も、個人個人が自意識過剰にって言うより、全員のチームプレイだもんね!