一条真也さんの「唯葬論」(後編)です。
<参考>
一条真也「唯葬論」(前編)(2015-08-07)
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<内容紹介>(Amazon)
人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えている。
本書で「唯葬論」というものを提唱したい――。
7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化した。
その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行なった。
つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのである。
終戦から70年を経た現代に横行する「直葬」や「0葬」に異議を唱え、すべての生者・死者のこころにエネルギーを与える、途方もない思想の誕生。
日本の思想史上の系譜、「唯幻論」「唯脳論」は、この「唯葬論」によって極まる!
宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論
……18のキーワードから明らかになる、死と葬儀の真実!
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一条真也「唯葬論」(前編)(2015-08-07)では
宇宙論
人間論
文明論
文化論
神話論
哲学論
芸術論
宗教論
他界論
まで、だったので、
後編では、
臨死論
怪談論
幽霊論
死者論
先祖論
供養論
交霊論
悲嘆論
葬儀論
の章から、以下に、自分が多く学んだことをご紹介。
後半からは、かなり本格的に「唯葬論」の内容に踏み込んでいくと感じました。
一条さんは、本書の中で
問われるべきは「死」そのものではなく「葬」である、と書かれています。
「死」という現象そのものより、その現象に対して我々がどう考え、どういう行動をとるのか、
そのことにこそ本質があるのだ、ということでしょう。自分も同感です。
一条さんが
「死を、<不幸なことが起きました>などと表現するのはおかしい。
そうなると、誰もが最終的には<不幸になるではないか>」
とよくおっしゃられます。
自分たちが、「死」という「生」のひとつのピリオドをどのように捉えるのか。
そのことは、まさに「生」そのものの事でもあります。
何のためにいきるのか、なぜ生まれてきたのか・・・、
遥か遠くを見据えた目指すべき目標が、その人にとって確かなものでありさえすれば、
生きる過程で起きる様々なことも、なんとか乗り越えて行けるはずです。
「生」を考えることは「死」を考える事。同時に「死」を考えることは「生」を考える事。
一人称の死、二人称の死、三人称の死、、、、それぞれが自分にとって大きく違う意味を持ちます。
抽象的になりやすい「死」を、具体的な行為に落とし込んだものこそが「葬」なのでしょう。
以下では、生と死のボーダーラインに関する様々な事例があらゆる角度から論じられていきます。
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臨死論
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臨死体験は、実際の臨床現場ではよく聞きます。
ただ、なかなか学術的なテーブルには乗せることが難しい世界でもありました。
なぜなら、その深い体験を言語や絵画で表現するのが極めて難しく、あくまでも「主観的」にしか表現できない世界だからです。
科学は「客観」をこそ重視し、「主観」を軽視する傾向にあります。
ただ、それは宇宙飛行士が宇宙に行き、火星や金星に降り立ち、その世界をどう地球の人に表現するのか、ということと極めて似ていると思います。
見たことも聞いたことも行ったこともないイメージも出来ない場所を、どう紹介するのか。
僕らは地球上のすべての土地に行くことはできず、宇宙もまた同様です。
その世界をなんとか客観的に伝えたいと思った人たちの流れの中で、写真やビデオカメラが生まれました。
これらの媒体は、風景そのものを「客観的に」記録できるため、
写真や映像を見ただけで、まるで自分も行ったことがあるような錯覚さえ造り出します。
写真やビデオカメラがない時代では、異国や異界の体験は、語りや絵画でしか表現できなかったはずです。
遣唐使も、ジョン万次郎も、天正遣欧少年使節も同じでしょう。
日本にいる人たちに、見たことも聞いたこともない異世界を誤解なくありのまま伝えることに、極めて苦労したことだと思います。
その究極の異世界探訪が、「臨死体験」の世界になると思います。
「臨死体験」に関しては、ジャーナリスト立花隆さんの素晴らしい著作があります。
自分は何度も何度も読みました。高校生くらいの時です。
そこで語られている「臨死体験」で探訪した世界は、聞き手へ圧倒的で強いRealityを感じさせてくれる生々しい世界だと思います。
それは、まるで遺言のように受け手側に強く響いきます。
「なんとかこの思いを伝えたい」という、「死」から「生」への最後のメッセージのようなものとして。
この本は1994年の著作で、高校生の時に自分は夢中に読みました。
この本の刊行後(1994年)にも、多数の臨死体験本が出ています。
自分が特に面白いと思ったのは、この2冊。
●アニータ・ムアジャーニ「喜びから人生を生きる! ―臨死体験が教えてくれたこと」ナチュラルスピリット (2013/6/18)
●エベン アレグザンダー「プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界」早川書房 (2013/10/10)
<関連本>
●エベン・アレグザンダー,レイモンド・ムーディ DVD「プルーフ・オブ・ヘヴン」を超えた対話
●エベン アレグザンダー,トレミー トンプキンズ「マップ・オブ・ヘヴン――あなたのなかに眠る「天国」の記憶」早川書房 (2015/7/8)
一条さんの「唯葬論」でも、エベン アレグザンダー医師の本からの引用がありました。
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エベン アレグザンダー(Eben Alexander),白川貴子(訳)
『プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界』
「そこで体験したもっとも深いレベルの意識を説明する時に、私はよく鶏の卵をたとえにしている。
コアの世界では、光のオーブや永遠の中にある高次元の宇宙とひとつになる体験をした。
神とも融和していると感じられた。
だがそれにもかかわらず、神の創造的な本源(原動力)の側面は、その外側にあると強く感じられた。
その場所を卵の中身とすれば、神は卵の殻だった。
神は全体の隅々に密接にかかわっていながら(そもそも意識とは、神の外延なのだ)、創造物の意識と完全に一致することはなく、つねにそれを超えたところにあるように感じられた。
私の意識は永遠の宇宙のすべてと一つになっていたにもかかわらず、万物を創造し森羅万象を動かす根源とは、完全な合一はかなわないように思われた。
これ以上はないほどの一体化を体験していても、中核にはなお二元性があると感じられたのだ。
それともそれは、そうした認識をこちらの世界へ持ち帰ってきたことによるものであるかもしれないが。」
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脳外科医であるエベン アレグザンダー医師は、大腸菌による細菌性髄膜炎となり昏睡状態に陥り、7日の昏睡状態の後、彼は奇跡的に蘇生します。しかも脳への後遺症がないという奇跡的な状態で。
このような例は極めて稀ですが、それだけではありません。
昏睡状態の間に体験した濃厚な世界は、生や死を考える上で極めて話しなのです。
『プルーフ・オブ・ヘヴン』は極めて理性的な語り口で記載されているので、
「臨死体験なんて眉唾だ」と思っている人にも読みやすい本だと思います。
出来る限り理性的に記そう、としているのが好感が持てます。
科学的な態度とは、実証可能なもの、再現性のあるものを語る態度だけの狭いものではなく、
「出来る限り理性的であろう」とする態度そのもののことを指すのではないかと思っています。
「臨死体験」の本質は、あの世があるか・ないか、という二元論ではないと思います。
化石の新種の発見などもすべてそうですが、「ある」と証明するにはその物体ひとつを見つければいいのですが、「ない」ことを証明するのは極めて大変なことなのです。
ですから、あるかないか、は未来にゆだねるとして、「臨死体験」で語られる世界を、「生」や「死」を考える人類の共通財産として、大切にすればいいのだと思います。
<人の話を聞く>
というのは大切なことです。
医療の奥義はすべてそこに詰まっているとさえ言えると思います。
それは、ミヒャエルエンデが童話「モモ」のなかで繰り返し語るメッセージでもあります。
さらに「本当に話を聞くと言う事は、極めて難しいことだ」とも。
●エンデ「モモ」(2012-11-18)
一条さんは、このように述べます。
「生は平等ではないが、死は最大の平等である。」
と。
生のあり方や体験はみんな違う。
死は、誰もが全員いづれ体験する。
だからこそ、生の異なる体験を、みんなで分かち合い、共有する必要があるのだと思います。
その上で、生と死がひとつになったような生の極限のあり方にも、僕らは偏見なく耳を傾け、すべてを包含するような生命哲学を人類が構築していくことが望まれていると思わざるを得ません。
一条真也さんの「唯葬論」は、まさにそういう野心的な試みでもあるのです。
●映画『天国は、ほんとうにある』(2014-10-24)
の感想を書いた時にも書いたのですが、
エベン・アレグザンダー医師の「プルーフ・オブ・ヘヴン」を読んで自分が一番心に残ったものは、
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・あなたは永遠に深く愛されています
・この世に怖れることなど何もありません
・あなたのすることにただ一つの間違いもありません
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という部分です。
この事に強い確信があれば、自分の唯一のこの人生に、きっと集中して生きていけるでしょう。
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怪談論
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スティーブン・キング『死の舞踏』
「恐怖小説やホラー映画は、
誰もがいづれも直面することになる「死」へのリハーサルなのだ。」
東雅夫
「仏教における回向の考え方と同様に、死者を忘れないこと、覚えていること
‐これこそが、怪談が死者に手向ける慰霊と鎮魂の営為であるということの要諦なのだろう。」
泉鏡花『予の態度』
「お化けは私の感情の具体化だ。」
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本書で紹介されている「怪談」に関わる人たちの発言です。
「怪談」の本質は、単に驚かせることだけではありません。
「驚く」「背筋が凍る」というのは自然な体の反応だとすれば、
なぜそういう風に体が反応したのか、そのことを体と対話して真意を聞いてみる必要があるでしょう。
からだは、常に素直に何かを表現しているのです。
「怪談」の中では、様々な死者の思いや、死のあり方が語られます。
人の人生がすべて異なるように、死へのプロセスもすべて異なります。
そういう意味で、「怪談」には色々な人の人生の在り方が詰まっているとも言えます。
それは美談ばかりではなく、喜劇ばかりではありません。受け入れがたい話も悲劇もあるでしょう。
ただ、それは「死」から「生」へと渡されたバトンのようなもの。
とにかく、受け取ることが大切なのだと思います。
一条さんはこのように語られます。
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一条真也『唯葬論』
「怪談とは、物語の力で死者の霊を慰め、死別の悲しみを癒すこと。
ならば葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づく。
人間の心にとって、「物語」は大きな力を持っている。
わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合う。
そのとき、物語の力を借りて、自分の心の形に合わせて現実を転換しているのかもしれない。
つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度安定するものなのである。」
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人生とは、「受け入れがたいもの」を「受け入れていく」プロセスの連続だと思います。
そして、それは当事者にしか分かりえないものもたくさんあります。
墓場まで自分だけの中で永遠に持ち込んでいくものもたくさんあります。
そういう共感と共に人の人生を見つめることができるように、「怪談」は保存されて、バトンとして渡され続けているのかもしれません。
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幽霊論
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日本の妖怪で最も古い用例は、奈良時代の続日本紀にみられるとのことです。
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『続日本紀』(宝亀八年(七七七年)二月)
「大祓。宮中にしきりに妖怪あるためなり。」
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幽霊という言葉は、それより三世紀ほど遅れて、平安時代の藤原宗忠の日記である『中右記』に初めて出てきます。
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藤原宗忠『中右記』(寛治三年(一〇八九年)一二月四日)
「毎年、今日念誦すべし。これ本願、幽霊成道のためなり。」
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日本では、
妖怪は異常現象、
幽霊は死者の霊魂
という意味で用いられていたようです。
本書では、元和光大学教授の安永寿延(1929-1995年)による優れた「幽霊論」が紹介されています。
自分も、うなりました。
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安永寿延『幽霊、出現の意味と構造』(一九七四年 国文学の日本の幽霊特集)
「人間は死ぬことができる存在である。
それはとりもなおさず、人が希望だけではなく絶望をも享受しうるように、生を享受するだけでなく死をも享受しうることを意味している。
だが、生を享受できないものは死をも享受できない。
人はしばしば死で持って生を飾ろうとする。だが、生で死を飾れなかったものが、死で生を飾れるはずがない。
死を享受できないものには、死を了解することなどできない。
つまりは、死んでも死にきれないのだ。
だからこそ、宗教は葬送の儀礼を、人が“第二の生”を生きるための通過儀礼とみなし、“第一の生”の不遇と“第二の生”の豊かさとが交換可能だと説いた。
こうして死者がみずからその死の意味を解読し、了解可能として受け入れるなら、そこではじめて死者は死の世界を獲得し、そこに安息を見出す。」
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「死者が一方で不本意に生を奪われ、蘇る可能性絶たれながら、
しかも死者の世界にも定住の場を持ち得ないままに、彼岸と此岸の境界を無重力的にさまようとき、死者は幽霊となる。
幽霊という名は幽界の霊という意味であるが、じつは幽霊は幽・明両界の境界的存在なのである。
それは単に生を奪われ、生きることを断念させられた存在であるだけでなく、死からも疎外された存在なのである。
その出現そのものが、したがって生と死の二つの世界に対する呪いの表明なのである。
幽霊は自分を受け入れない死の世界に対しても同時に抗議しているのだ。」
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「幽霊は死に魅せられながら生にあこがれ、生に魅せられながら死にあこがれる。
幽霊は幽・明両界に二重国籍を持っているのではなく、厳密に言うなら生者でも死者でもない『無国籍者』なのだ。
幽・明の境界は死者にとってけっして居心地のいいところではない。無国籍者の悲しみは国籍を持っているものには容易に理解しがたいものである。」
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小松和彦
「ここで安永が説いているのは、幽霊は自分の意志で出現してくるかのように語られるが、
じつはその逆であって、生者の側の心が幽霊を生み出し、招きよせ、そしてそれに恐怖し、それを祀り上げることで、その心を鎮めることができるのだ、ということである。」
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安永寿延さんの幽霊論は鋭いです。
・死を享受できないものには、死を了解することなどできない。
・生からも死からも疎外された存在
・幽・明両界の二重国籍ではなく、生者でも死者でもない『無国籍者』なのだ
と言うところなど、幽霊の本質をついていると思います。
そういう不安定で不明確な存在様式にこそ、
何かの恐怖を本能的に感じてしまうのかもしれません。
どこかにいる、のではなく、どこにもいない、ということへの恐れを。
幽霊のメッセージは、「おそれ」を伝えることそのものにはないのだと思います。
むしろ、そこにある隠された本質的なメッセージをこそ、受け取る必要があるのでしょう。
そのことを、一条さんは
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一条真也
「怪談も幽霊も葬儀も、すべては生者と死者とのコミュニケーションの問題としてトータルに考えることができる。」
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とまとめておられます。
自分も、「コミュニケーション」「ダイアログ(対話)」ということが非常に重要なことだと思います。
一方的な袋小路の通路ではなく、双方向の回路が通じてこそ、そこを行き来して交流が起きる。
医療の本質には「からだやこころとの対話」というものが包含されていると、日々感じていますが、
死という謎の世界を理解するには、そういう異なる世界からのメタファーを読み解く必要があるのでしょう。
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死者論
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この死者論では、オーストリア生れの思想家・哲学家であるルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861-1925年)の思想が多く紹介されています。
シュタイナーは「神秘学を学ぶ意味は、死者との結びつきを持つためだ」と語っています。
なぜなら、死者たちから恩恵を受けないで生活している人はいないため、
死者からの恩恵を受けていることに気づき、あの世(霊界)に生きている死者たちに自分の方から何ができるのかをも考えることが、われわれの人生での大事な務めになる。と述べているのです。
●シュタイナー「死について」(2014-09-05)
●シュタイナー「魂について」(2012-04-05)
●子安美知子『「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として』(2012-11-26)
●ワタリウム美術館「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(2014-05-12)
『唯葬論』のなかでは、以下のようなシュタイナーの思想が紹介されていました。
シュタイナーは、死者をイメージすることを非常に大切にしていました。
われわれが地上のことだけではなく霊的なこと(ヒエラルキア(人間の意識の住む空間(次元)のこと)、意識の進化の過程、霊的体験の諸相・・・)などについて認識を深めていくと、死者もそれを学ぶことができる。とされます。
死者に対する生者からの働き掛けは、眠っている時にも生じるようです。
夜眠ると、肉体とエーテル体だけがベッドに横たわり、アストラル体と自我はそこから離れます。
そのアストラル体において、生者は死者と同じ世界に入るようなのです。
だから、眠りの中に、死者に対する供養になるようなイメージを持ち込むことができます。
死者への問いかけへの答えは、翌日思いがけない形で出てくることになるのです。
自分の心の奥底から、素晴らしい思いつきが生じたとすれば、それは死者からのメッセージだと。
自分の存在の一番核心の部分(アートマン)から聞こえてくるものが、死者の声だというのです。
死者に対する愛情をもって眠ると、死者はそれをまるで美しい音楽のように聞き取ることができるといいます。
グリム兄弟の弟ウィルヘルム・グリムによれば、
「最古の時代までさかのぼる信仰が超感覚的事物の具象化として言い表されたものの残存がメルヘンの基調。
そこでは象徴と現実、此岸と彼岸とが融合していて、不可能なことが可能になると考えられるのだ。」
と述べています。
いま生きている人より、過去に亡くなった方の方が圧倒的に多いわけです。
そのことがまさに人類の歴史の全体像。
だからこそ、亡くなった故人の思いを受け取り、過去を未来へと受け継いでいく。
それこそが<現在>という地平にいる、いま生きている人たちが、果たすべきことなのでしょう。
シュタイナーは、そういうことを手を変え品を変え、表現しているように思えます。
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先祖論
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古来の日本人は、人はなくなると「先祖(祖霊)」となり、私たちを見守ってくれていると考えていました。
その感覚は、祭りや伝統や風習の中に色濃く刻印されていて、誰かに教えられなくても直感的に感じるものだと思います。
孔子・儒教でも、先祖とつながっていく、ということが大切にされています。
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柄谷行人『遊動論』
「柳田がいう固有信仰の核心は、祖霊と生者の相互的信頼にある。
それは互酬的な関係ではなく、いわば愛に基づく関係である。
柳田が特に重視したのは、祖霊がどこにでも行けるにもかかわらず、生者のいる所から離れないということである。
このような先祖崇拝は日本固有のものだ、と彼は考えた。」
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先祖は、あえてこの国土に留まり、生きて頑張っている人たちを太陽のように優しく見守っている。
そういうおおらかな感性で、生と死はつながっているようです。
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供養論
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一条さんは供養の本質をこう述べます。
「供養の本質とは、死者に「死者であること」を自覚させ、よりよき世界へと送ることにある。」
そのために、色々な儀式があるようなのです。
生きている人には生きている人の世界があり、
死んでいる人には死んでている人の世界がある。
死者に「死者であること」を自覚させるという行為は、
我々生きている人にも、「自分たちは生きているんだぞ!」と、目を覚まさせることと同じようなものかもしれません。
与えられた生を受け取る、ということが、生きている人たちの使命なのでしょう。
レヴィ・ストロース『サンタクロースの秘密』では、
神話学者のレヴィ・ストロースが<サンタクロースの神話的な意味>に関する考察が紹介されています。
もともと、真冬のクリスマスは死者の祭りでした。
というのも、キリスト教前のローマ帝国では、太陽崇拝のミトラス教の主祭日が冬至に当る十二月二十五日。
冬至の時に、太陽はもっとも力を弱め、世界はバランスを失う。
そのときに生者と死者の力関係のバランスが崩れます。
そのことを利用して、生者の世界には、おびただしい死者の霊が出現することになる。と考えられていました。
死者の霊の代理を、生者の世界で務めたのが<子ども>でした。
なぜなら、<子ども>は極めてあの世に近い存在だから。
そして、大人たちは<子ども>を通して死者への贈り物をした。
大人が子どもにプレゼントを贈ると、子どもは大人に幸福な感情を贈る。
死者の祭りの慣習を引き継いだ現代のクリスマスにおいて、
生者と死者の霊の間には、贈り物を通して霊的なコミュニケーションが発生している。
日本のお盆に似て、クリスマスは死者をもてなす祭りだったようです。
神話学者のレヴィ・ストロースは、冬至の死者の祭りが、サンタクロースを介して子どもに贈り物をやり取りさせる儀式に変化していった経緯を書いています。
この世界には色々な儀式や文化が残っています。
その中には、表面からは過去のあり方が想像できないものも多く残っていることでしょう。
ただ、表面に何層ものコーティングがされていても、土砂崩れで地面の地層が垣間見えることがあるように、何かの拍子に、その歴史の古層が顕在化してくることがあります。そのとき、僕らは歴史性や時というものを思い出すわけです。
人類や地球の歴史は、そういう風に層状に重なっていて、見ようと思う人にはその古層が見えてくるような仕掛けになっているのでしょう。
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交霊論
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一条真也さんは、大の読書家で、読書人としてまず大尊敬しています。
一方、蔵書家とは、本を購入して次の世代に渡すために大切に保存している人たちのことを指しますが、一条さんは読書家の面だけではなく、蔵書家の面もあり、作家でもある、ということが極めてすごいことです。
しかも、本職は冠婚葬祭の社長という肩書を持ちながら同時並行にされているわけです。
そういう意味で、一条さんの生き様やブログにはいつも大いに励まされています。
自分も頑張れー、と。叱咤激励を。
「唯葬論」もそうですが、一条さんが書かれている本は、常に密度が濃いです。
それでいて、作家ブログ(一条真也)とは別に社長ブログ(佐久間庸和さん)も並列して書き進めているという、超人なのです。
◆佐久間庸和の天下布礼日記
◆一条真也オフィシャルサイト
◆一条真也の新ハートフル・ブログ
●一条真也さん(2014-06-12)
●一条真也「法則の法則」(2012-04-29)
●一条真也「世界をつくった八大聖人」(2011-07-12)
本に関してあらゆる面で達人の一条さん読書論。
●一条真也「あらゆる本が面白く読める方法」三五館 (2009/9/18)
という名著でも真髄が余すところなく表現されていましたが、この「唯葬論」でも書かれています。
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一条真也『唯葬論』
「読書での読者は、著者の霊魂と共鳴している。
死について書かれた本を読み、あえて意識的に死を考えることで、死は主観から客観へとシフトし、自らの死を距離を置いて見ることができるのである。」
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自分も、読書という行為を、書き手との対話、と考えています。
ですから、ゲーテを読むときはゲーテ先生が目の前にいて一対一の講義を受けているように、
老子を読むときは老子先生が目の前にいて一対一の講義を受けているように、・・・・
こういう思いで読書をしています。
そうしていると、何かその偉大な先人たちから、直接大切なものを渡されたような気がするのです。
それはまさに、【著者の霊魂と共鳴している】状態なのかもしれません。
読書は、そういう意味で時間と空間を超えたコミュニケーションをするための優れた媒体なのだと日々感じています。
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悲嘆論
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一条真也さんの『愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙』現代書林 (2007/7/4)というグリーフケアの名著があります。
この本は、自分も周りの人に何冊も配りました。
この本の中でも、Earl A. Grollman(アール・A・グロルマン)(アメリカ グリーフ・カウンセラー)の言葉が紹介されています。
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一条真也『愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙』より
「親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。」
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Earl A. Grollman(アール・A・グロルマン)は1925年生まれ。ユダヤ教の聖職者として36年間働き、死別の悲しみを癒すグリーフ・ケアと「死の準備教育」(Death Education)の活動で知られている方です。
Earl A. Grollman『愛する人を亡くしたとき』春秋社;新装版 (2003/10)の中に、以下のような文章があり、それを一条さんが分かりやすく紹介されているのです。
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Earl A. Grollman『愛する人を亡くしたとき』
「愛児を失うと親は人生の希望を奪われる。
配偶者が亡くなると、共に生きていくべき現在を失う。
友人が亡くなると、人は自分の一部を失う。
親が亡くなると、人は過去を失う」
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自分は、よくこの言葉を思い出します。
そして、失ったものを取り戻すことはできませんし、悲しいものは何をどうやっても悲しいものです。
言葉をかけることもできずに呆然とすることがほとんどです。
ただ、人は悲しむべき時にただ悲しむ。ということは大事なことだと思います。
喪には、時間が必要です。
そして、時しか悲しみを解決できないのだと思います。
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西田幾多郎(『無の自覚的限定』内)『場所の自己限定としての意識作用』
「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。
哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。」
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村上春樹『ノルウェイの森』
「どのような真理をもってしても愛する人を亡くしてしまった哀しみを癒すことはできないのだ。
どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。
われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学び取ることしかできないし、
そしてその学び取った何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。」
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葬儀論
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この壮大な本も、最後は「葬儀論」で幕を閉じます。
一条さんは、
・「かたち」には「ちから」がある。
・儀式の本質は魂のコントロール術
と述べられています。
そして、葬儀をあげる意味として、
・死者がこの世から離れていくことをくっきりとした「ドラマ」にして見せる事で、動揺している人間の心に安定を与える。
・ドラマによって「かたち」が与えられると、「こころ」はその形に収まっていき、どんな悲しいことでも乗り越えていける。
・葬儀には、儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、もう一度新しい時間と空間を創造して生きていくという意味もある。
ここに、まさに葬儀の本質が凝縮されていると思います。
心が乱れる時、人は思いもかけない行動を取ることがあります。
そうして頭を制御できない時、何も考えることができなくなったとき、
頭が何も考えずとも、「からだ」が「かたち」をとるだけで、「かたち」や所作そのものの力で心は安定していく。
そして、受け入れがたいものを受け入れることができるようになる。
周りは何もできない。ただ、見守ることしかできない。時には乱暴な言葉を吐かれたり、周りの方がより深く傷つくこともある。
そういうときこそ、儀式や所作をなぞることで、何かこころのプロセスが動き始め、安定していくのでしょう。
それは、コマが回転しながら止まっているように見えるものかもしれません。
動いていることと動いていないこととが、矛盾せず同居できるようになる。
だからこそ、日本の伝統芸能も「型」というものが重視されるのでしょう。
もちろん、儀式も型も、その本質にある深い意味を失わないようにする必要もあるのだと思います。
・・・・・・・・・・・・
ということで。
一条さんの「唯葬論」は、あまりに壮大なので、前編と後編に分けざるを得ませんでした。
ほんとうに深くてためになり勉強になる本です!
読み継がれていく本だと思いますので、是非ご一読をお勧めします!!
ほぼ同時に刊行された、一条真也さんの「永遠葬」現代書林(2015/7/22)も影に隠れてしまっていますが、これもいい本です。大いに学び考えさせられました。またいつかご紹介します。
・・・・・・・・・・・・・
この本を読んで、改めて死や生というものの根本を深く考えさせられました。
この世に生まれてきて生きるってことは、「何か」を確かに受け取った、ということ。
昨日も今日も明日も「何か」を受け取り続けている、と気づくことだと思います。
それは、「いのち」と言ってもいいかもしれませんし、小川未明さんの表現を借りれば「金の輪」と言ってもいいのかもしれません。
自分も、たくさんの<いのち(金の輪)>を受け取りました。
だから、そう簡単に死ぬことはできません。
小川未明さんの『金の輪』は短文ですが本当に素晴らしいお話しです。
最後がなんとも言えない余韻が残りますが、それも含めていのちの本質をついていると思います。
この文章を読むたびに、遠いところから、金の輪が触れ合う音楽が聞こえてくるような不思議な気がします。
小川未明さんの『金の輪』をふと思い出したのも、この文章を8月6日から8月14日にかけて書いているからかも、しれません。
「唯葬論」の中で取り上げられていたわけではありませんが、根底で何か共鳴する者を感じましたので、最後に小川未明『金の輪』全文(青空文庫より)を紹介させてください。
小川未明 金の輪
金の輪
一
太郎は長いあいだ、病気でふしていましたが、ようやく床(とこ)からはなれて出られるようになりました。けれどまだ三月の末で、朝と晩には寒いことがありました。
だから、日のあたっているときには、外へ出てもさしつかえなかったけれど、晩がたになると早く家へはいるように、おかあさんからいいきかされていました。
まだ、さくらの花も、ももの花も咲くには早うございましたけれど、うめだけが、かきねのきわに咲いていました。そして、雪もたいてい消えてしまって、ただ大きな寺のうらや、畑のすみのところなどに、いくぶんか消えずにのこっているくらいのものでありました。
太郎は、外に出ましたけれど、往来にはちょうど、だれも友だちが遊んでいませんでした。みんな天気がよいので、遠くの方まで遊びに行ったものとみえます。もし、この近所であったら、自分も行ってみようと思って、耳をすましてみましたけれど、それらしい声などはきこえなかったのであります。
ひとりしょんぼりとして、太郎は家のまえに立っていましたが、畑には去年とりのこした野菜などが、新しくみどり色の芽をふきましたので、それを見ながら細い道を歩いていました。
すると、よい金の輪のふれあう音がして、ちょうどすずを鳴らすようにきこえてきました。
かなたを見ますと、往来の上をひとりの少年が、輪をまわしながら、走ってきました。そして、その輪は金色に光っていました。太郎は目を見はりました。かつてこんなに美しく光る輪を見なかったからであります。しかも、少年のまわしてくる金の輪は二つで、それがたがいにふれあって、よい音色ねいろをたてるのであります。太郎はかつてこんなに手ぎわよく輪をまわす少年を見たことがありません。いったいだれだろうと思って、かなたの往来を走って行く少年の顔をながめましたが、まったく見おぼえのない少年でありました。
この知らぬ少年は、その往来をすぎるときに、ちょっと太郎の方をむいて微笑しました。ちょうど知った友だちにむかってするように、なつかしげに見えました。
二
輪をまわして行く少年のすがたは、やがて白い道の方に消えてしまいました。けれど、太郎はいつまでも立って、そのゆくえを見まもっていました。
太郎は、「だれだろう。」と、その少年のことを考えました。いつこの村へこしてきたのだろう? それとも遠い町の方から、遊びにきたのだろうかと思いました。
あくる日の午後、太郎はまた畑の中に出てみました。すると、ちょうどきのうとおなじ時刻じこくに輪の鳴る音がきこえてきました。太郎はかなたの往来を見ますと、少年が二つの輪をまわして、走ってきました。その輪は金色にかがやいて見えました。少年はその往来をすぎるときに、こちらをむいて、きのうよりもいっそうなつかしげに、ほおえんだのであります。そして、なにかいいたげなようすをして、ちょっとくびをかしげましたが、ついそのまま行ってしまいました。
太郎は畑の中に立って、しょんぼりとして、少年のゆくえを見おくりました。いつしかそのすがたは、白い道のかなたに消えてしまったのです。けれど、いつまでもその少年の白い顔と、微笑とが太郎の目にのこっていて、とれませんでした。
「いったい、だれだろう。」と、太郎はふしぎに思えてなりませんでした。今まで一ども見たことがない少年だけれど、なんとなくいちばんしたしい友だちのような気がしてならなかったのです。
あしたばかりは、ものをいってお友だちになろうと、いろいろ空想をえがきました。やがて、西の空が赤くなって、日暮れがたになりましたから、太郎は家の中にはいりました。
その晩、太郎は母親にむかって、二日もおなじ時刻に、金の輪をまわして走っている少年のことを語りました。母親は信じませんでした。
太郎は、少年と友だちになって、自分は少年から金の輪を一つわけてもらって、往来の上をふたりでどこまでも走って行く夢ゆめを見ました。そして、いつしかふたりは、赤い夕やけ空の中にはいってしまった夢をみました。
あくる日から、太郎はまた熱が出ました。そして、二三日めに七つでなくなりました。
<参考>
一条真也「唯葬論」(前編)(2015-08-07)
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<内容紹介>(Amazon)
人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えている。
本書で「唯葬論」というものを提唱したい――。
7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化した。
その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行なった。
つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのである。
終戦から70年を経た現代に横行する「直葬」や「0葬」に異議を唱え、すべての生者・死者のこころにエネルギーを与える、途方もない思想の誕生。
日本の思想史上の系譜、「唯幻論」「唯脳論」は、この「唯葬論」によって極まる!
宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論
……18のキーワードから明らかになる、死と葬儀の真実!
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一条真也「唯葬論」(前編)(2015-08-07)では
宇宙論
人間論
文明論
文化論
神話論
哲学論
芸術論
宗教論
他界論
まで、だったので、
後編では、
臨死論
怪談論
幽霊論
死者論
先祖論
供養論
交霊論
悲嘆論
葬儀論
の章から、以下に、自分が多く学んだことをご紹介。
後半からは、かなり本格的に「唯葬論」の内容に踏み込んでいくと感じました。
一条さんは、本書の中で
問われるべきは「死」そのものではなく「葬」である、と書かれています。
「死」という現象そのものより、その現象に対して我々がどう考え、どういう行動をとるのか、
そのことにこそ本質があるのだ、ということでしょう。自分も同感です。
一条さんが
「死を、<不幸なことが起きました>などと表現するのはおかしい。
そうなると、誰もが最終的には<不幸になるではないか>」
とよくおっしゃられます。
自分たちが、「死」という「生」のひとつのピリオドをどのように捉えるのか。
そのことは、まさに「生」そのものの事でもあります。
何のためにいきるのか、なぜ生まれてきたのか・・・、
遥か遠くを見据えた目指すべき目標が、その人にとって確かなものでありさえすれば、
生きる過程で起きる様々なことも、なんとか乗り越えて行けるはずです。
「生」を考えることは「死」を考える事。同時に「死」を考えることは「生」を考える事。
一人称の死、二人称の死、三人称の死、、、、それぞれが自分にとって大きく違う意味を持ちます。
抽象的になりやすい「死」を、具体的な行為に落とし込んだものこそが「葬」なのでしょう。
以下では、生と死のボーダーラインに関する様々な事例があらゆる角度から論じられていきます。
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臨死論
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臨死体験は、実際の臨床現場ではよく聞きます。
ただ、なかなか学術的なテーブルには乗せることが難しい世界でもありました。
なぜなら、その深い体験を言語や絵画で表現するのが極めて難しく、あくまでも「主観的」にしか表現できない世界だからです。
科学は「客観」をこそ重視し、「主観」を軽視する傾向にあります。
ただ、それは宇宙飛行士が宇宙に行き、火星や金星に降り立ち、その世界をどう地球の人に表現するのか、ということと極めて似ていると思います。
見たことも聞いたことも行ったこともないイメージも出来ない場所を、どう紹介するのか。
僕らは地球上のすべての土地に行くことはできず、宇宙もまた同様です。
その世界をなんとか客観的に伝えたいと思った人たちの流れの中で、写真やビデオカメラが生まれました。
これらの媒体は、風景そのものを「客観的に」記録できるため、
写真や映像を見ただけで、まるで自分も行ったことがあるような錯覚さえ造り出します。
写真やビデオカメラがない時代では、異国や異界の体験は、語りや絵画でしか表現できなかったはずです。
遣唐使も、ジョン万次郎も、天正遣欧少年使節も同じでしょう。
日本にいる人たちに、見たことも聞いたこともない異世界を誤解なくありのまま伝えることに、極めて苦労したことだと思います。
その究極の異世界探訪が、「臨死体験」の世界になると思います。
「臨死体験」に関しては、ジャーナリスト立花隆さんの素晴らしい著作があります。
自分は何度も何度も読みました。高校生くらいの時です。
そこで語られている「臨死体験」で探訪した世界は、聞き手へ圧倒的で強いRealityを感じさせてくれる生々しい世界だと思います。
それは、まるで遺言のように受け手側に強く響いきます。
「なんとかこの思いを伝えたい」という、「死」から「生」への最後のメッセージのようなものとして。
この本は1994年の著作で、高校生の時に自分は夢中に読みました。
この本の刊行後(1994年)にも、多数の臨死体験本が出ています。
自分が特に面白いと思ったのは、この2冊。
●アニータ・ムアジャーニ「喜びから人生を生きる! ―臨死体験が教えてくれたこと」ナチュラルスピリット (2013/6/18)
●エベン アレグザンダー「プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界」早川書房 (2013/10/10)
<関連本>
●エベン・アレグザンダー,レイモンド・ムーディ DVD「プルーフ・オブ・ヘヴン」を超えた対話
●エベン アレグザンダー,トレミー トンプキンズ「マップ・オブ・ヘヴン――あなたのなかに眠る「天国」の記憶」早川書房 (2015/7/8)
一条さんの「唯葬論」でも、エベン アレグザンダー医師の本からの引用がありました。
*************
エベン アレグザンダー(Eben Alexander),白川貴子(訳)
『プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界』
「そこで体験したもっとも深いレベルの意識を説明する時に、私はよく鶏の卵をたとえにしている。
コアの世界では、光のオーブや永遠の中にある高次元の宇宙とひとつになる体験をした。
神とも融和していると感じられた。
だがそれにもかかわらず、神の創造的な本源(原動力)の側面は、その外側にあると強く感じられた。
その場所を卵の中身とすれば、神は卵の殻だった。
神は全体の隅々に密接にかかわっていながら(そもそも意識とは、神の外延なのだ)、創造物の意識と完全に一致することはなく、つねにそれを超えたところにあるように感じられた。
私の意識は永遠の宇宙のすべてと一つになっていたにもかかわらず、万物を創造し森羅万象を動かす根源とは、完全な合一はかなわないように思われた。
これ以上はないほどの一体化を体験していても、中核にはなお二元性があると感じられたのだ。
それともそれは、そうした認識をこちらの世界へ持ち帰ってきたことによるものであるかもしれないが。」
*************
脳外科医であるエベン アレグザンダー医師は、大腸菌による細菌性髄膜炎となり昏睡状態に陥り、7日の昏睡状態の後、彼は奇跡的に蘇生します。しかも脳への後遺症がないという奇跡的な状態で。
このような例は極めて稀ですが、それだけではありません。
昏睡状態の間に体験した濃厚な世界は、生や死を考える上で極めて話しなのです。
『プルーフ・オブ・ヘヴン』は極めて理性的な語り口で記載されているので、
「臨死体験なんて眉唾だ」と思っている人にも読みやすい本だと思います。
出来る限り理性的に記そう、としているのが好感が持てます。
科学的な態度とは、実証可能なもの、再現性のあるものを語る態度だけの狭いものではなく、
「出来る限り理性的であろう」とする態度そのもののことを指すのではないかと思っています。
「臨死体験」の本質は、あの世があるか・ないか、という二元論ではないと思います。
化石の新種の発見などもすべてそうですが、「ある」と証明するにはその物体ひとつを見つければいいのですが、「ない」ことを証明するのは極めて大変なことなのです。
ですから、あるかないか、は未来にゆだねるとして、「臨死体験」で語られる世界を、「生」や「死」を考える人類の共通財産として、大切にすればいいのだと思います。
<人の話を聞く>
というのは大切なことです。
医療の奥義はすべてそこに詰まっているとさえ言えると思います。
それは、ミヒャエルエンデが童話「モモ」のなかで繰り返し語るメッセージでもあります。
さらに「本当に話を聞くと言う事は、極めて難しいことだ」とも。
●エンデ「モモ」(2012-11-18)
一条さんは、このように述べます。
「生は平等ではないが、死は最大の平等である。」
と。
生のあり方や体験はみんな違う。
死は、誰もが全員いづれ体験する。
だからこそ、生の異なる体験を、みんなで分かち合い、共有する必要があるのだと思います。
その上で、生と死がひとつになったような生の極限のあり方にも、僕らは偏見なく耳を傾け、すべてを包含するような生命哲学を人類が構築していくことが望まれていると思わざるを得ません。
一条真也さんの「唯葬論」は、まさにそういう野心的な試みでもあるのです。
●映画『天国は、ほんとうにある』(2014-10-24)
の感想を書いた時にも書いたのですが、
エベン・アレグザンダー医師の「プルーフ・オブ・ヘヴン」を読んで自分が一番心に残ったものは、
********************
・あなたは永遠に深く愛されています
・この世に怖れることなど何もありません
・あなたのすることにただ一つの間違いもありません
********************
という部分です。
この事に強い確信があれば、自分の唯一のこの人生に、きっと集中して生きていけるでしょう。
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怪談論
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スティーブン・キング『死の舞踏』
「恐怖小説やホラー映画は、
誰もがいづれも直面することになる「死」へのリハーサルなのだ。」
東雅夫
「仏教における回向の考え方と同様に、死者を忘れないこと、覚えていること
‐これこそが、怪談が死者に手向ける慰霊と鎮魂の営為であるということの要諦なのだろう。」
泉鏡花『予の態度』
「お化けは私の感情の具体化だ。」
*************
本書で紹介されている「怪談」に関わる人たちの発言です。
「怪談」の本質は、単に驚かせることだけではありません。
「驚く」「背筋が凍る」というのは自然な体の反応だとすれば、
なぜそういう風に体が反応したのか、そのことを体と対話して真意を聞いてみる必要があるでしょう。
からだは、常に素直に何かを表現しているのです。
「怪談」の中では、様々な死者の思いや、死のあり方が語られます。
人の人生がすべて異なるように、死へのプロセスもすべて異なります。
そういう意味で、「怪談」には色々な人の人生の在り方が詰まっているとも言えます。
それは美談ばかりではなく、喜劇ばかりではありません。受け入れがたい話も悲劇もあるでしょう。
ただ、それは「死」から「生」へと渡されたバトンのようなもの。
とにかく、受け取ることが大切なのだと思います。
一条さんはこのように語られます。
*************
一条真也『唯葬論』
「怪談とは、物語の力で死者の霊を慰め、死別の悲しみを癒すこと。
ならば葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づく。
人間の心にとって、「物語」は大きな力を持っている。
わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合う。
そのとき、物語の力を借りて、自分の心の形に合わせて現実を転換しているのかもしれない。
つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度安定するものなのである。」
*************
人生とは、「受け入れがたいもの」を「受け入れていく」プロセスの連続だと思います。
そして、それは当事者にしか分かりえないものもたくさんあります。
墓場まで自分だけの中で永遠に持ち込んでいくものもたくさんあります。
そういう共感と共に人の人生を見つめることができるように、「怪談」は保存されて、バトンとして渡され続けているのかもしれません。
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幽霊論
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日本の妖怪で最も古い用例は、奈良時代の続日本紀にみられるとのことです。
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『続日本紀』(宝亀八年(七七七年)二月)
「大祓。宮中にしきりに妖怪あるためなり。」
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幽霊という言葉は、それより三世紀ほど遅れて、平安時代の藤原宗忠の日記である『中右記』に初めて出てきます。
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藤原宗忠『中右記』(寛治三年(一〇八九年)一二月四日)
「毎年、今日念誦すべし。これ本願、幽霊成道のためなり。」
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日本では、
妖怪は異常現象、
幽霊は死者の霊魂
という意味で用いられていたようです。
本書では、元和光大学教授の安永寿延(1929-1995年)による優れた「幽霊論」が紹介されています。
自分も、うなりました。
*************
安永寿延『幽霊、出現の意味と構造』(一九七四年 国文学の日本の幽霊特集)
「人間は死ぬことができる存在である。
それはとりもなおさず、人が希望だけではなく絶望をも享受しうるように、生を享受するだけでなく死をも享受しうることを意味している。
だが、生を享受できないものは死をも享受できない。
人はしばしば死で持って生を飾ろうとする。だが、生で死を飾れなかったものが、死で生を飾れるはずがない。
死を享受できないものには、死を了解することなどできない。
つまりは、死んでも死にきれないのだ。
だからこそ、宗教は葬送の儀礼を、人が“第二の生”を生きるための通過儀礼とみなし、“第一の生”の不遇と“第二の生”の豊かさとが交換可能だと説いた。
こうして死者がみずからその死の意味を解読し、了解可能として受け入れるなら、そこではじめて死者は死の世界を獲得し、そこに安息を見出す。」
*************
「死者が一方で不本意に生を奪われ、蘇る可能性絶たれながら、
しかも死者の世界にも定住の場を持ち得ないままに、彼岸と此岸の境界を無重力的にさまようとき、死者は幽霊となる。
幽霊という名は幽界の霊という意味であるが、じつは幽霊は幽・明両界の境界的存在なのである。
それは単に生を奪われ、生きることを断念させられた存在であるだけでなく、死からも疎外された存在なのである。
その出現そのものが、したがって生と死の二つの世界に対する呪いの表明なのである。
幽霊は自分を受け入れない死の世界に対しても同時に抗議しているのだ。」
*************
「幽霊は死に魅せられながら生にあこがれ、生に魅せられながら死にあこがれる。
幽霊は幽・明両界に二重国籍を持っているのではなく、厳密に言うなら生者でも死者でもない『無国籍者』なのだ。
幽・明の境界は死者にとってけっして居心地のいいところではない。無国籍者の悲しみは国籍を持っているものには容易に理解しがたいものである。」
*************
小松和彦
「ここで安永が説いているのは、幽霊は自分の意志で出現してくるかのように語られるが、
じつはその逆であって、生者の側の心が幽霊を生み出し、招きよせ、そしてそれに恐怖し、それを祀り上げることで、その心を鎮めることができるのだ、ということである。」
*************
安永寿延さんの幽霊論は鋭いです。
・死を享受できないものには、死を了解することなどできない。
・生からも死からも疎外された存在
・幽・明両界の二重国籍ではなく、生者でも死者でもない『無国籍者』なのだ
と言うところなど、幽霊の本質をついていると思います。
そういう不安定で不明確な存在様式にこそ、
何かの恐怖を本能的に感じてしまうのかもしれません。
どこかにいる、のではなく、どこにもいない、ということへの恐れを。
幽霊のメッセージは、「おそれ」を伝えることそのものにはないのだと思います。
むしろ、そこにある隠された本質的なメッセージをこそ、受け取る必要があるのでしょう。
そのことを、一条さんは
*************
一条真也
「怪談も幽霊も葬儀も、すべては生者と死者とのコミュニケーションの問題としてトータルに考えることができる。」
*************
とまとめておられます。
自分も、「コミュニケーション」「ダイアログ(対話)」ということが非常に重要なことだと思います。
一方的な袋小路の通路ではなく、双方向の回路が通じてこそ、そこを行き来して交流が起きる。
医療の本質には「からだやこころとの対話」というものが包含されていると、日々感じていますが、
死という謎の世界を理解するには、そういう異なる世界からのメタファーを読み解く必要があるのでしょう。
■■■
死者論
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この死者論では、オーストリア生れの思想家・哲学家であるルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861-1925年)の思想が多く紹介されています。
シュタイナーは「神秘学を学ぶ意味は、死者との結びつきを持つためだ」と語っています。
なぜなら、死者たちから恩恵を受けないで生活している人はいないため、
死者からの恩恵を受けていることに気づき、あの世(霊界)に生きている死者たちに自分の方から何ができるのかをも考えることが、われわれの人生での大事な務めになる。と述べているのです。
●シュタイナー「死について」(2014-09-05)
●シュタイナー「魂について」(2012-04-05)
●子安美知子『「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として』(2012-11-26)
●ワタリウム美術館「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(2014-05-12)
『唯葬論』のなかでは、以下のようなシュタイナーの思想が紹介されていました。
シュタイナーは、死者をイメージすることを非常に大切にしていました。
われわれが地上のことだけではなく霊的なこと(ヒエラルキア(人間の意識の住む空間(次元)のこと)、意識の進化の過程、霊的体験の諸相・・・)などについて認識を深めていくと、死者もそれを学ぶことができる。とされます。
死者に対する生者からの働き掛けは、眠っている時にも生じるようです。
夜眠ると、肉体とエーテル体だけがベッドに横たわり、アストラル体と自我はそこから離れます。
そのアストラル体において、生者は死者と同じ世界に入るようなのです。
だから、眠りの中に、死者に対する供養になるようなイメージを持ち込むことができます。
死者への問いかけへの答えは、翌日思いがけない形で出てくることになるのです。
自分の心の奥底から、素晴らしい思いつきが生じたとすれば、それは死者からのメッセージだと。
自分の存在の一番核心の部分(アートマン)から聞こえてくるものが、死者の声だというのです。
死者に対する愛情をもって眠ると、死者はそれをまるで美しい音楽のように聞き取ることができるといいます。
グリム兄弟の弟ウィルヘルム・グリムによれば、
「最古の時代までさかのぼる信仰が超感覚的事物の具象化として言い表されたものの残存がメルヘンの基調。
そこでは象徴と現実、此岸と彼岸とが融合していて、不可能なことが可能になると考えられるのだ。」
と述べています。
いま生きている人より、過去に亡くなった方の方が圧倒的に多いわけです。
そのことがまさに人類の歴史の全体像。
だからこそ、亡くなった故人の思いを受け取り、過去を未来へと受け継いでいく。
それこそが<現在>という地平にいる、いま生きている人たちが、果たすべきことなのでしょう。
シュタイナーは、そういうことを手を変え品を変え、表現しているように思えます。
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先祖論
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古来の日本人は、人はなくなると「先祖(祖霊)」となり、私たちを見守ってくれていると考えていました。
その感覚は、祭りや伝統や風習の中に色濃く刻印されていて、誰かに教えられなくても直感的に感じるものだと思います。
孔子・儒教でも、先祖とつながっていく、ということが大切にされています。
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柄谷行人『遊動論』
「柳田がいう固有信仰の核心は、祖霊と生者の相互的信頼にある。
それは互酬的な関係ではなく、いわば愛に基づく関係である。
柳田が特に重視したのは、祖霊がどこにでも行けるにもかかわらず、生者のいる所から離れないということである。
このような先祖崇拝は日本固有のものだ、と彼は考えた。」
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先祖は、あえてこの国土に留まり、生きて頑張っている人たちを太陽のように優しく見守っている。
そういうおおらかな感性で、生と死はつながっているようです。
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供養論
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一条さんは供養の本質をこう述べます。
「供養の本質とは、死者に「死者であること」を自覚させ、よりよき世界へと送ることにある。」
そのために、色々な儀式があるようなのです。
生きている人には生きている人の世界があり、
死んでいる人には死んでている人の世界がある。
死者に「死者であること」を自覚させるという行為は、
我々生きている人にも、「自分たちは生きているんだぞ!」と、目を覚まさせることと同じようなものかもしれません。
与えられた生を受け取る、ということが、生きている人たちの使命なのでしょう。
レヴィ・ストロース『サンタクロースの秘密』では、
神話学者のレヴィ・ストロースが<サンタクロースの神話的な意味>に関する考察が紹介されています。
もともと、真冬のクリスマスは死者の祭りでした。
というのも、キリスト教前のローマ帝国では、太陽崇拝のミトラス教の主祭日が冬至に当る十二月二十五日。
冬至の時に、太陽はもっとも力を弱め、世界はバランスを失う。
そのときに生者と死者の力関係のバランスが崩れます。
そのことを利用して、生者の世界には、おびただしい死者の霊が出現することになる。と考えられていました。
死者の霊の代理を、生者の世界で務めたのが<子ども>でした。
なぜなら、<子ども>は極めてあの世に近い存在だから。
そして、大人たちは<子ども>を通して死者への贈り物をした。
大人が子どもにプレゼントを贈ると、子どもは大人に幸福な感情を贈る。
死者の祭りの慣習を引き継いだ現代のクリスマスにおいて、
生者と死者の霊の間には、贈り物を通して霊的なコミュニケーションが発生している。
日本のお盆に似て、クリスマスは死者をもてなす祭りだったようです。
神話学者のレヴィ・ストロースは、冬至の死者の祭りが、サンタクロースを介して子どもに贈り物をやり取りさせる儀式に変化していった経緯を書いています。
この世界には色々な儀式や文化が残っています。
その中には、表面からは過去のあり方が想像できないものも多く残っていることでしょう。
ただ、表面に何層ものコーティングがされていても、土砂崩れで地面の地層が垣間見えることがあるように、何かの拍子に、その歴史の古層が顕在化してくることがあります。そのとき、僕らは歴史性や時というものを思い出すわけです。
人類や地球の歴史は、そういう風に層状に重なっていて、見ようと思う人にはその古層が見えてくるような仕掛けになっているのでしょう。
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交霊論
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一条真也さんは、大の読書家で、読書人としてまず大尊敬しています。
一方、蔵書家とは、本を購入して次の世代に渡すために大切に保存している人たちのことを指しますが、一条さんは読書家の面だけではなく、蔵書家の面もあり、作家でもある、ということが極めてすごいことです。
しかも、本職は冠婚葬祭の社長という肩書を持ちながら同時並行にされているわけです。
そういう意味で、一条さんの生き様やブログにはいつも大いに励まされています。
自分も頑張れー、と。叱咤激励を。
「唯葬論」もそうですが、一条さんが書かれている本は、常に密度が濃いです。
それでいて、作家ブログ(一条真也)とは別に社長ブログ(佐久間庸和さん)も並列して書き進めているという、超人なのです。
◆佐久間庸和の天下布礼日記
◆一条真也オフィシャルサイト
◆一条真也の新ハートフル・ブログ
●一条真也さん(2014-06-12)
●一条真也「法則の法則」(2012-04-29)
●一条真也「世界をつくった八大聖人」(2011-07-12)
本に関してあらゆる面で達人の一条さん読書論。
●一条真也「あらゆる本が面白く読める方法」三五館 (2009/9/18)
という名著でも真髄が余すところなく表現されていましたが、この「唯葬論」でも書かれています。
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一条真也『唯葬論』
「読書での読者は、著者の霊魂と共鳴している。
死について書かれた本を読み、あえて意識的に死を考えることで、死は主観から客観へとシフトし、自らの死を距離を置いて見ることができるのである。」
*************
自分も、読書という行為を、書き手との対話、と考えています。
ですから、ゲーテを読むときはゲーテ先生が目の前にいて一対一の講義を受けているように、
老子を読むときは老子先生が目の前にいて一対一の講義を受けているように、・・・・
こういう思いで読書をしています。
そうしていると、何かその偉大な先人たちから、直接大切なものを渡されたような気がするのです。
それはまさに、【著者の霊魂と共鳴している】状態なのかもしれません。
読書は、そういう意味で時間と空間を超えたコミュニケーションをするための優れた媒体なのだと日々感じています。
■■■
悲嘆論
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一条真也さんの『愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙』現代書林 (2007/7/4)というグリーフケアの名著があります。
この本は、自分も周りの人に何冊も配りました。
この本の中でも、Earl A. Grollman(アール・A・グロルマン)(アメリカ グリーフ・カウンセラー)の言葉が紹介されています。
==========================
一条真也『愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙』より
「親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。」
==========================
Earl A. Grollman(アール・A・グロルマン)は1925年生まれ。ユダヤ教の聖職者として36年間働き、死別の悲しみを癒すグリーフ・ケアと「死の準備教育」(Death Education)の活動で知られている方です。
Earl A. Grollman『愛する人を亡くしたとき』春秋社;新装版 (2003/10)の中に、以下のような文章があり、それを一条さんが分かりやすく紹介されているのです。
==========================
Earl A. Grollman『愛する人を亡くしたとき』
「愛児を失うと親は人生の希望を奪われる。
配偶者が亡くなると、共に生きていくべき現在を失う。
友人が亡くなると、人は自分の一部を失う。
親が亡くなると、人は過去を失う」
==========================
自分は、よくこの言葉を思い出します。
そして、失ったものを取り戻すことはできませんし、悲しいものは何をどうやっても悲しいものです。
言葉をかけることもできずに呆然とすることがほとんどです。
ただ、人は悲しむべき時にただ悲しむ。ということは大事なことだと思います。
喪には、時間が必要です。
そして、時しか悲しみを解決できないのだと思います。
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西田幾多郎(『無の自覚的限定』内)『場所の自己限定としての意識作用』
「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。
哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。」
*************
村上春樹『ノルウェイの森』
「どのような真理をもってしても愛する人を亡くしてしまった哀しみを癒すことはできないのだ。
どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。
われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学び取ることしかできないし、
そしてその学び取った何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。」
*************
■■■
葬儀論
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この壮大な本も、最後は「葬儀論」で幕を閉じます。
一条さんは、
・「かたち」には「ちから」がある。
・儀式の本質は魂のコントロール術
と述べられています。
そして、葬儀をあげる意味として、
・死者がこの世から離れていくことをくっきりとした「ドラマ」にして見せる事で、動揺している人間の心に安定を与える。
・ドラマによって「かたち」が与えられると、「こころ」はその形に収まっていき、どんな悲しいことでも乗り越えていける。
・葬儀には、儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、もう一度新しい時間と空間を創造して生きていくという意味もある。
ここに、まさに葬儀の本質が凝縮されていると思います。
心が乱れる時、人は思いもかけない行動を取ることがあります。
そうして頭を制御できない時、何も考えることができなくなったとき、
頭が何も考えずとも、「からだ」が「かたち」をとるだけで、「かたち」や所作そのものの力で心は安定していく。
そして、受け入れがたいものを受け入れることができるようになる。
周りは何もできない。ただ、見守ることしかできない。時には乱暴な言葉を吐かれたり、周りの方がより深く傷つくこともある。
そういうときこそ、儀式や所作をなぞることで、何かこころのプロセスが動き始め、安定していくのでしょう。
それは、コマが回転しながら止まっているように見えるものかもしれません。
動いていることと動いていないこととが、矛盾せず同居できるようになる。
だからこそ、日本の伝統芸能も「型」というものが重視されるのでしょう。
もちろん、儀式も型も、その本質にある深い意味を失わないようにする必要もあるのだと思います。
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ということで。
一条さんの「唯葬論」は、あまりに壮大なので、前編と後編に分けざるを得ませんでした。
ほんとうに深くてためになり勉強になる本です!
読み継がれていく本だと思いますので、是非ご一読をお勧めします!!
ほぼ同時に刊行された、一条真也さんの「永遠葬」現代書林(2015/7/22)も影に隠れてしまっていますが、これもいい本です。大いに学び考えさせられました。またいつかご紹介します。
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この本を読んで、改めて死や生というものの根本を深く考えさせられました。
この世に生まれてきて生きるってことは、「何か」を確かに受け取った、ということ。
昨日も今日も明日も「何か」を受け取り続けている、と気づくことだと思います。
それは、「いのち」と言ってもいいかもしれませんし、小川未明さんの表現を借りれば「金の輪」と言ってもいいのかもしれません。
自分も、たくさんの<いのち(金の輪)>を受け取りました。
だから、そう簡単に死ぬことはできません。
小川未明さんの『金の輪』は短文ですが本当に素晴らしいお話しです。
最後がなんとも言えない余韻が残りますが、それも含めていのちの本質をついていると思います。
この文章を読むたびに、遠いところから、金の輪が触れ合う音楽が聞こえてくるような不思議な気がします。
小川未明さんの『金の輪』をふと思い出したのも、この文章を8月6日から8月14日にかけて書いているからかも、しれません。
「唯葬論」の中で取り上げられていたわけではありませんが、根底で何か共鳴する者を感じましたので、最後に小川未明『金の輪』全文(青空文庫より)を紹介させてください。
小川未明 金の輪
金の輪
一
太郎は長いあいだ、病気でふしていましたが、ようやく床(とこ)からはなれて出られるようになりました。けれどまだ三月の末で、朝と晩には寒いことがありました。
だから、日のあたっているときには、外へ出てもさしつかえなかったけれど、晩がたになると早く家へはいるように、おかあさんからいいきかされていました。
まだ、さくらの花も、ももの花も咲くには早うございましたけれど、うめだけが、かきねのきわに咲いていました。そして、雪もたいてい消えてしまって、ただ大きな寺のうらや、畑のすみのところなどに、いくぶんか消えずにのこっているくらいのものでありました。
太郎は、外に出ましたけれど、往来にはちょうど、だれも友だちが遊んでいませんでした。みんな天気がよいので、遠くの方まで遊びに行ったものとみえます。もし、この近所であったら、自分も行ってみようと思って、耳をすましてみましたけれど、それらしい声などはきこえなかったのであります。
ひとりしょんぼりとして、太郎は家のまえに立っていましたが、畑には去年とりのこした野菜などが、新しくみどり色の芽をふきましたので、それを見ながら細い道を歩いていました。
すると、よい金の輪のふれあう音がして、ちょうどすずを鳴らすようにきこえてきました。
かなたを見ますと、往来の上をひとりの少年が、輪をまわしながら、走ってきました。そして、その輪は金色に光っていました。太郎は目を見はりました。かつてこんなに美しく光る輪を見なかったからであります。しかも、少年のまわしてくる金の輪は二つで、それがたがいにふれあって、よい音色ねいろをたてるのであります。太郎はかつてこんなに手ぎわよく輪をまわす少年を見たことがありません。いったいだれだろうと思って、かなたの往来を走って行く少年の顔をながめましたが、まったく見おぼえのない少年でありました。
この知らぬ少年は、その往来をすぎるときに、ちょっと太郎の方をむいて微笑しました。ちょうど知った友だちにむかってするように、なつかしげに見えました。
二
輪をまわして行く少年のすがたは、やがて白い道の方に消えてしまいました。けれど、太郎はいつまでも立って、そのゆくえを見まもっていました。
太郎は、「だれだろう。」と、その少年のことを考えました。いつこの村へこしてきたのだろう? それとも遠い町の方から、遊びにきたのだろうかと思いました。
あくる日の午後、太郎はまた畑の中に出てみました。すると、ちょうどきのうとおなじ時刻じこくに輪の鳴る音がきこえてきました。太郎はかなたの往来を見ますと、少年が二つの輪をまわして、走ってきました。その輪は金色にかがやいて見えました。少年はその往来をすぎるときに、こちらをむいて、きのうよりもいっそうなつかしげに、ほおえんだのであります。そして、なにかいいたげなようすをして、ちょっとくびをかしげましたが、ついそのまま行ってしまいました。
太郎は畑の中に立って、しょんぼりとして、少年のゆくえを見おくりました。いつしかそのすがたは、白い道のかなたに消えてしまったのです。けれど、いつまでもその少年の白い顔と、微笑とが太郎の目にのこっていて、とれませんでした。
「いったい、だれだろう。」と、太郎はふしぎに思えてなりませんでした。今まで一ども見たことがない少年だけれど、なんとなくいちばんしたしい友だちのような気がしてならなかったのです。
あしたばかりは、ものをいってお友だちになろうと、いろいろ空想をえがきました。やがて、西の空が赤くなって、日暮れがたになりましたから、太郎は家の中にはいりました。
その晩、太郎は母親にむかって、二日もおなじ時刻に、金の輪をまわして走っている少年のことを語りました。母親は信じませんでした。
太郎は、少年と友だちになって、自分は少年から金の輪を一つわけてもらって、往来の上をふたりでどこまでも走って行く夢ゆめを見ました。そして、いつしかふたりは、赤い夕やけ空の中にはいってしまった夢をみました。
あくる日から、太郎はまた熱が出ました。そして、二三日めに七つでなくなりました。