『チョコレートドーナツ』という映画、何の予備知識もなく見たけど素晴らしい映画だった。泣いた・・・。
ダウン症の子とゲイのカップルを中心として話は展開される。
テーマは差別、自由、愛、・・・・。
シンプルな展開の中に、色んな要素がつまっていた。
俳優の演技も素晴らしく。
弁護士で出てくる彼も、世の中をよくしたい、という思いだが元々あっただろう。
おそらく、それは色々な仕事に共通するものだと思う。そういうのを思い出させてくれる映画だった。
それぞれが日々の障害や抵抗や向かい風やアゲインストを自分の学びととらえ、自分を向上することを忘れず、自分も他者にも愛をもって。できることを淡々と。よりよき未来へと。
■『チョコレートドーナツ』予告編
■「ダウン症の子供たちにはアビリティがある」 映画『チョコレートドーナツ』出演俳優と日本の子供たちの「心の交流」
・・・・・・・・・
『チョコレートドーナツ』という映画で、ふと世阿弥「初心忘れるべからず」というコトバが浮かんだ。
■<通常の意味>
→初心者であったときの若々しい心を忘れてはいけないよ。
■<世阿弥【花鏡】【風姿花伝】の文脈で語られている意味>
→稽古の進歩を計るものさしとして、初心の未熟な芸も忘れずとっておいたほうがいいよ。
ひとつの初心を乗り越えると、また新しい初心と遭遇する。
初心は日々出会い、日々発見されるもの。
そういう発見を重層的に重ねていくと、芸に厚みがでるよ、ということでしょうか。
本文では、老いてからの「初心」にも触れていますね。
****************
「花鏡」
『しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。
この句、三ヶ条の口伝あり。
是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。
この三、よくよく口伝すべし』
****************
■<漢字の語源と能楽師の現場感覚での意味>
→安田登先生の著作より。「日本人の身体 (ちくま新書) 」(2014/9/8)
初心の「初」という文字は「衣」と「刀」から成り立っている。
まっさらな生地にはさみを入れて布を断ち切る時のように、完成した自分に勇気をもって一旦区切りを入れることを忘れてはいけない、という意味もあるみたいです。
⇒
どの意味であっても、とても大切なこと。
世阿弥が常に花(植物)のメタファーで人間の成長をとらえていることに共鳴する。
存在は常に創造され、常に生まれ変わる。
変わらないと思い込んでいるのは自我(エゴ)が見る幻想。自己(セルフ)は常に更新されています。
日々の眠りは死のメタファーですから、日々更新されて生まれ変わっているようです。
毎日死んで毎日蘇生している、ということを日々感じて生きていますので、いま生きているか死んでいるか、ということへの葛藤は、無くなりました。
一如になりました。
こうして、生きながら永遠の真理を日々探求させてもらっている、ということに、日々、感謝しかない、というのが、かろうじて言えるところです。
・・・・・
ここは、宇宙立大学、地球分校。
人は皆、永遠の真理を、体験しながら学び続ける同級生。
ダウン症の子とゲイのカップルを中心として話は展開される。
テーマは差別、自由、愛、・・・・。
シンプルな展開の中に、色んな要素がつまっていた。
俳優の演技も素晴らしく。
弁護士で出てくる彼も、世の中をよくしたい、という思いだが元々あっただろう。
おそらく、それは色々な仕事に共通するものだと思う。そういうのを思い出させてくれる映画だった。
それぞれが日々の障害や抵抗や向かい風やアゲインストを自分の学びととらえ、自分を向上することを忘れず、自分も他者にも愛をもって。できることを淡々と。よりよき未来へと。
■『チョコレートドーナツ』予告編
■「ダウン症の子供たちにはアビリティがある」 映画『チョコレートドーナツ』出演俳優と日本の子供たちの「心の交流」
・・・・・・・・・
『チョコレートドーナツ』という映画で、ふと世阿弥「初心忘れるべからず」というコトバが浮かんだ。
■<通常の意味>
→初心者であったときの若々しい心を忘れてはいけないよ。
■<世阿弥【花鏡】【風姿花伝】の文脈で語られている意味>
→稽古の進歩を計るものさしとして、初心の未熟な芸も忘れずとっておいたほうがいいよ。
ひとつの初心を乗り越えると、また新しい初心と遭遇する。
初心は日々出会い、日々発見されるもの。
そういう発見を重層的に重ねていくと、芸に厚みがでるよ、ということでしょうか。
本文では、老いてからの「初心」にも触れていますね。
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「花鏡」
『しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。
この句、三ヶ条の口伝あり。
是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。
この三、よくよく口伝すべし』
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■<漢字の語源と能楽師の現場感覚での意味>
→安田登先生の著作より。「日本人の身体 (ちくま新書) 」(2014/9/8)
初心の「初」という文字は「衣」と「刀」から成り立っている。
まっさらな生地にはさみを入れて布を断ち切る時のように、完成した自分に勇気をもって一旦区切りを入れることを忘れてはいけない、という意味もあるみたいです。
⇒
どの意味であっても、とても大切なこと。
世阿弥が常に花(植物)のメタファーで人間の成長をとらえていることに共鳴する。
存在は常に創造され、常に生まれ変わる。
変わらないと思い込んでいるのは自我(エゴ)が見る幻想。自己(セルフ)は常に更新されています。
日々の眠りは死のメタファーですから、日々更新されて生まれ変わっているようです。
毎日死んで毎日蘇生している、ということを日々感じて生きていますので、いま生きているか死んでいるか、ということへの葛藤は、無くなりました。
一如になりました。
こうして、生きながら永遠の真理を日々探求させてもらっている、ということに、日々、感謝しかない、というのが、かろうじて言えるところです。
・・・・・
ここは、宇宙立大学、地球分校。
人は皆、永遠の真理を、体験しながら学び続ける同級生。
...未見。
ゆえに、書かれてらっしゃる
内容読んでないのに
コメするという。
すみません、ついf^_^;)
一条真也さまのブログから来ていただいてありがとうございます。
レイキも気功も・・・・あともう少しで当たり前の社会になると思いますよ。(^^
ほんとうに幸せの形は様々ですね。客観的な幸せというのはなく、主観的な幸せしかないですし、やはり自分の感性を信じるしかないですよね。
>ともみさん
ぜひ見て下さい!とても素敵な映画でした。(^^