
昨日は麻布十番でご飯を食べました。そこは野菜とか素材にこだわっているらしく、そういうこだわりはいいですね。人間、大切なとこにはこだわっていきていかないと、それを止めた時点で、その人自信じゃなくなっちゃうから。
一緒に食べた相手は、かなり物書きの才能がある人で、数年前からその才能には個人的に注目していた人。自分の周りには芸術的や文化的な才能に溢れた人が多いのですが、自分でその凄さというか、その溢れんばかりのエネルギーに気づいていない人は多いです。その人が出す磁場というか。 その磁場の源が分からないでも、もう何かわからんけどとりあえずその磁場に引き寄せられてしまうと思います。ただ、引き寄せられた方も、それなりの感受性や注意力を持って対応しないと、なんでその磁場に引き寄せられたのかよくわからん。って事は多いんですよね。
自分はその辺の磁場というか、魅力というか、その核心を突き詰めることに昔からこだわっていて、友人関係においては特にそうでした。自分の友人に才人が多い気がするのは、その磁場の源を考えていたからなんだと思う。もちろん、その磁場というか、魅力に気づかない人(他人でも本人でも)は多いと思いますが。でも、それはどんなにくだらなそうな役にたたなそうなものであっても、強力な磁場を発しているのだし。
自分が知り合ってきた人は、それぞれ何らかのお互いの磁場で引き寄せられるように出会って、邪悪な磁場だった場合は離れて、磁場が違えば死ぬまで一生会わないんでしょうが、まあそういうのを飽きもせず繰り返しているもんなんでしょう。(邪悪な磁場とは、殺人なんかその極限に位置するものですかね。磁場が異常に近すぎるんでしょう。愛情とか怨念とかそういうのを遥かに超えた引力のようなもの?)
時に、無性に、その一定の、ある磁場を持つ人と話したくなる時があります。それは辛いとき、悲しいとき、裏切られたとき、苦しいとき、まあそういう負の感情が多いもんですかね。正の感情の場合は、自分のことに一生懸命で、周りが見えないことや、周りに恵まれている事に気づかないのが世の常です。病気になって健康のありがたみがわかるという類のものです。
ある磁場を持つ人というのは、おそらく自分が生きていくうえで必要としているなのだろうとも思います。それはない物ねだりを欲している場合もありますし、似たものを欲している場合もあるような気がします。
そういう磁場を発している人って、なんというか、キラキラしているというか、そういう発光体のような力がありますね。灯台のように道を照らす場合もあるし、自身で発光しているものですから。その極限は太陽ですかね。
まあそんなこんなで、そのキラキラしたエネルギーを発する周りにいると、ただそれだけで救われますね。元気でるというか。元気って不思議な言葉で、妙な磁場の真っ只中にいると、自分のエネルギーが吸収されて、元気も何も全てエネルギーがなくなっちゃうような感じなんですよね。負のエネルギーの吸収力も計り知れないものです。
まあそういうことで、ここ2年間は強力な負の磁場の真っ只中にいて、かなり浪費というか消費というか、虚脱した状態までいっちゃったので、今はそういう強力な磁場を持っている人(それはすでにそのことを職業にしたりしている人も含みますが)と会うようにしています。そういう意味で周りに恵まれているんでしょうね。ほんとうにありがとう。ちょっとした優しさや言葉や立ち居振る舞いが、妙に身に染み入ります。
今は一流の洗練されたものに触れたくてしょうがない時期です。2年間隔離されていた結果、あらためてその大切さに気づいてしまいました。まあ限られた有限な人生、何に的を絞っていくか、そこが大事ですね。あとは全ておのずから事は進む気がしています。
何を言いたいのかモヤモヤさせていますが、勘のいい人は分かるかもしれません。
一緒に食べた相手は、かなり物書きの才能がある人で、数年前からその才能には個人的に注目していた人。自分の周りには芸術的や文化的な才能に溢れた人が多いのですが、自分でその凄さというか、その溢れんばかりのエネルギーに気づいていない人は多いです。その人が出す磁場というか。 その磁場の源が分からないでも、もう何かわからんけどとりあえずその磁場に引き寄せられてしまうと思います。ただ、引き寄せられた方も、それなりの感受性や注意力を持って対応しないと、なんでその磁場に引き寄せられたのかよくわからん。って事は多いんですよね。
自分はその辺の磁場というか、魅力というか、その核心を突き詰めることに昔からこだわっていて、友人関係においては特にそうでした。自分の友人に才人が多い気がするのは、その磁場の源を考えていたからなんだと思う。もちろん、その磁場というか、魅力に気づかない人(他人でも本人でも)は多いと思いますが。でも、それはどんなにくだらなそうな役にたたなそうなものであっても、強力な磁場を発しているのだし。
自分が知り合ってきた人は、それぞれ何らかのお互いの磁場で引き寄せられるように出会って、邪悪な磁場だった場合は離れて、磁場が違えば死ぬまで一生会わないんでしょうが、まあそういうのを飽きもせず繰り返しているもんなんでしょう。(邪悪な磁場とは、殺人なんかその極限に位置するものですかね。磁場が異常に近すぎるんでしょう。愛情とか怨念とかそういうのを遥かに超えた引力のようなもの?)
時に、無性に、その一定の、ある磁場を持つ人と話したくなる時があります。それは辛いとき、悲しいとき、裏切られたとき、苦しいとき、まあそういう負の感情が多いもんですかね。正の感情の場合は、自分のことに一生懸命で、周りが見えないことや、周りに恵まれている事に気づかないのが世の常です。病気になって健康のありがたみがわかるという類のものです。
ある磁場を持つ人というのは、おそらく自分が生きていくうえで必要としているなのだろうとも思います。それはない物ねだりを欲している場合もありますし、似たものを欲している場合もあるような気がします。
そういう磁場を発している人って、なんというか、キラキラしているというか、そういう発光体のような力がありますね。灯台のように道を照らす場合もあるし、自身で発光しているものですから。その極限は太陽ですかね。
まあそんなこんなで、そのキラキラしたエネルギーを発する周りにいると、ただそれだけで救われますね。元気でるというか。元気って不思議な言葉で、妙な磁場の真っ只中にいると、自分のエネルギーが吸収されて、元気も何も全てエネルギーがなくなっちゃうような感じなんですよね。負のエネルギーの吸収力も計り知れないものです。
まあそういうことで、ここ2年間は強力な負の磁場の真っ只中にいて、かなり浪費というか消費というか、虚脱した状態までいっちゃったので、今はそういう強力な磁場を持っている人(それはすでにそのことを職業にしたりしている人も含みますが)と会うようにしています。そういう意味で周りに恵まれているんでしょうね。ほんとうにありがとう。ちょっとした優しさや言葉や立ち居振る舞いが、妙に身に染み入ります。
今は一流の洗練されたものに触れたくてしょうがない時期です。2年間隔離されていた結果、あらためてその大切さに気づいてしまいました。まあ限られた有限な人生、何に的を絞っていくか、そこが大事ですね。あとは全ておのずから事は進む気がしています。
何を言いたいのかモヤモヤさせていますが、勘のいい人は分かるかもしれません。