日常

梅原猛「日本人の「あの世」観」

2012-12-30 02:17:17 | 
梅原猛さんの『日本人の「あの世」観』中公文庫(1993/02)を読みました。

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<内容>
古代史の再検討を通して次々と大胆な問題提起を行い、「梅原日本学」を展開してきた著者が、アイヌと沖縄の文化の中に日本の精神文化の基層を探る。
日本人の「あの世」観の基本的特質が、生命の永遠の再生と循環にあることを明らかにし、併せて人類の文明の在り方を根本的に問い直す日本文化論集。
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梅原さんはとても尊敬しています。心理学者の河合隼雄先生と同じで、偉い立場に安住せず、どんどん自分の専門分野を拡大させ深化させ続ける。自分の専門分野を道具として自由自在に操り、森羅万象を相手にしている偉大な先生のおひとり。
「SpecialistよりGeneralistの時代だ」というフレーズを聞くことがありますが、真のGeneralistは森羅万象を相手にする修羅の道。そう容易い道ではありません。
各分野のSpecialistにも一目置かれるのが本当のGeneralistでしょうし、そういう意味で梅原先生はまさに真の意味でのGenralistなのだと思います。



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この本は、古代の原日本人がどのように「あの世」を考えていたのか、深く考察した本です。
自分の3-4年前の記事を久しぶりに読んで(『印象深い患者さんの死を思う』(2009-03-14))、再度「あの世」を考えていました。



少し脱線しますが、「あの世」を「常世(とこよ)」とする考え方、自分にしっくりきます。

熊本が誇る民俗学者である谷川健一さんの「常世論(とこよろん)―日本人の魂のゆくえ」講談社学術文庫(1989/10)にも詳しいですが、


「とこよ(常世)」は、「常夜」と書くこともあります。「かくりよ(隠世、幽世)」と言う事もあります。
「常」の世の文字通り、「永久(永遠)」の意味があります。古来の日本人は、死んだら「永遠」の世界(常世(常夜))に行くと考えていたようです。
常世に対して、今生きているこの世界は「現世(うつしよ)」。
永遠である「常世(常夜)」を鏡に映した虚像が、この世の一時的な仮の宿、現世であると考えていました。


「常夜」を想像すると、それはまさに自分の頭上に広がる壮大な「宇宙」の世界が「常夜」のように感じます。
この世界では、太陽が昇り夜が朝になると明るくなりますが、それは宇宙を旅してやってきた太陽光線が地球表面を照らす(反射光)のおかげで明るくなるのです。宇宙自体が明るいわけではなく、宇宙自体は真っ暗闇の「常夜」の世界です。

ちなみに、古神道では、神籬(ひもろぎ)、磐座(いわくら)のような、場の雰囲気が変わる山、海、森、川、木、岩・・・の先の境界も「神域」とすることで、そこから先を「常世」と言うことがあります。
そういう風にこの世とあの世、あの世と神様の世界が極めて近い(重なっている)世界だと直感していたからこそ、そう呼ばれていたのかもしれません。





梅原猛さんの『日本人の「あの世」観』中公文庫(1993/02)では、「狩猟採集の縄文文化」と「水稲農耕の弥生文化」の対立と総合として、原日本人を考察しています。



以下、本の内容を簡単にまとめてみます。

「狩猟採集の縄文文化」の原風景が今も残っているのはアイヌと沖縄。

原日本人の「あの世」観の特徴
(1):「あの世」はこの世とアベコベ(空間や時間の秩序が逆。上下、左右が逆)だが、この世とほとんど変わらない。アイヌ世界では、「あの世」では人間は足を上にして歩くと考えている。地獄と極楽のような区別はなく、その区別は仏教伝来(西暦500年台)以降の考え方に過ぎない。アイヌは、「あの世」を天の上や彼方と考え、沖縄では「あの世」を海の果て(ニライカナイ)と考える。
(2):人間が死ぬと、魂は肉体を離れ、あの世で「カミ」になる。そして、あの世では自分の先祖と一緒に過ごす。葬ることを「ハフル(放る)」と言うが、それは肉体を魂のぬけがらと考えて山に捨てていたことの名残り。この世に執着を残すと「鳥」として戻ってくるので、死者の魂を送る霊能力者が重要な位置を占める。死後供養により、魂はあの世へ行くことができる。
(3):すべての生きる者には魂がある。アイヌでは熊を殺害すると「熊送り」をするが、熊の魂をあの世に送る儀式がイオマンテとして残る。熊はミアンゲ(身を上げる)を持つ客人(マラブト)として、死後その魂を丁重に扱う。
(4):誕生とは、あの世との魂の再生のことを意味する。アイヌでは、あの世の1日はこの世の1年と考えられている。魂が無事この世に戻ってくるために、丁重にあの世に魂を送る必要がある。熊送りの儀式の最後にも「またおいで」と言う。魂は永遠の生死を繰り返す。二つの仮の宿の間で、魂は永遠の循環を続ける。




「狩猟採集の縄文文化」から「水稲農耕の弥生文化」となり、「あの世」観は変遷する。
<弥生以降>
(1):古事記で「高天原(たかまがはら)」の概念が出てくる。この世で不完全な物は、あの世では完全な物と考えられるため、死者の茶碗を割って不完全にしてあの世に送る必要がある。
(2):死者を「お陀仏」と呼ぶ。モノも「お釈迦になった」と呼ぶ(道具にも魂を認める)。基本的にはカミもホトケも同じように使われ、あの世で「ホトケ」になる。
(3):古事記の天岩戸の神話は、天皇霊の再生の儀式を意味する。大嘗祭(天皇が即位の後に一代で一度限りの大祭を行う)と関係している。伊勢神宮は生命の死と再生の祭りを行う。




神道と仏教とは、互いに影響を与え、その反動により互いに変化している。
神道の中で、律令神道は道教、修験道は仏教、純粋神道は宋学、国家神道は朱子学や古学、古文辞学などの影響を受ける。
儒教の影響を受け、江戸時代に国家主義的な神道(平田神道など)ができる。


日本で最初に仏教を広めた功労者は聖徳太子。聖徳太子は法華仏教で在家仏教。
日本仏教では、出家ではなく在家仏教が一般的なのは、聖徳太子の影響。


最澄の時に「仏性論」と「戒律論」が起こる。
「仏性論」とは、「仏になりうる範囲」の論争のこと。
元々は修行を積んだ特別な人間だけが「仏」になれたが、日本では最終的に「草木国土悉皆仏性」となり、森羅万象すべてが「仏」である。「仏」になりうる範囲が極限まで拡大した。

法然は念仏、日蓮は題目、栄西は座禅で仏になる道を説く。それぞれは方法論の違いがあるだけ。空海の大日如来も、人格神でなく自然神。

「戒律論」では、最澄が「一向大乗戒」という戒壇を日本独自につくったことに端を発する。
戒律の簡素化と内面化を進め、「心からの懺悔」が強調された。
戒律の儀式は一人の師と仏に誓うだけの儀式となり、戒律は心の内面で仏に誓うものであることが重視される。そのことはキリスト教の新約聖書に似ている。親鸞でも懺悔(心の内面)が強調される。
そのことで、日本仏教は戒律否定、在家へ、と進んでいく。




その後、「あの世」論としての「浄土論」が生まれる。

源信の『往生要集』では、人間は<地獄→餓鬼→畜生→修羅→人間→天→地獄→・・>という六道輪廻を繰り返すとする。このサイクルはすべてが苦(=穢土)であるから、なんとかこのサイクルから出ようと試みる。
六道輪廻でせっかく人間に生まれたのだから、そこで観想、修行、寄進をすることで浄土へと行けるとした。そこで「阿弥陀(=無量の光と永遠の生命)」と会うことができる。
源信の『往生要集』では、「観想の念仏」(「あの世」をイメージ化する)ことが重要視される。


釈迦は「四諦十二因縁」を説く。
輪廻の原因は「愛欲」であり、愛欲を絶つ方法は3つある。戎(戒律を守る)+定(瞑想する)+慧(智慧を磨く)。
「戎・定・慧」を実践する少数者だけが涅槃(ニルバーナ:安らぎ)に入ることができると考えた。
少数者だけに限定した点では源信の六道輪廻は、釈迦に近かった。





法然は、認識のコペルニクス的転回を起こした。
「口称念仏」により、念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けると唱えた。
そのことで、一般民衆は自分たちも極楽浄土に行けるのだ!として、「あの世」の選民意識やコンプレックスが解消された。

その法然の弟子である親鸞は、法然の教えを忠実に守った。
法然と親鸞の主に違うところは、(1)「二種廻向」、(2)「化身土往生」の二点。


(1)「二種廻向」は往相廻向と復相廻向を意味する。
「廻向」の意味は自己の善をさしむけて、自己や他人の救済をはかること。
法然は「往相廻向」のため「あの世」に行ったきりだが、親鸞は「「二種廻向(往相廻向+復相廻向)」。行って帰ってくる。浄土に行き「仏」になり、この世に戻ってきて利他教化をする。菩薩の仏教を提唱。「自利」だけではなく「自利利他」の道。


(2)「化身土往生」とは他力での往生だけではなく、そこに極楽往生を願う「自力」の要素を否定しないこと。
親鸞の段階で、仏教の浄土観は日本人の原あの世観、に戻り、近付いてくる。

元々の原日本人の「あの世観」が、日本の仏教では影響を与えている。
おそらく、そのことが日本の仏教で浄土真宗が最も受け入れられた理由なのかもしれない。


天台本覚論では人間だけではないすべての衆生の成仏を認めた。
法然の時代で、修行した人だけが「あの世(浄土)」に行けるのではなく、すべての人が「あの世(浄土)」に行けるようになった。


民俗学者の柳田国男は日本人の「あの世観」の矛盾を指摘した。
仏教では死ぬと西方十万億度の彼方の極楽浄土に行くとするが、日本の土着・民族宗教では死ぬと山に行き天に帰るとされる。そこに矛盾がある、と。

ただ、日本人は、その二つにある矛盾を深く追求せず、矛盾を矛盾のまま併存させおおらかに受け入れた。そのことにも特徴がある。





人類は「あの世」を考えることで、知的進歩をした。
「あの世」が先にあり、そこに現世の人間の意志や願望が投影されると、死後審判や因果応報の考えが加わって地獄や極楽の概念が生まれる。


人間は動植物を殺して食べることで生きることができる。
そこには生命の矛盾があるが、生命はそうした深い共存関係がある。だからこそ、動植物は神として崇拝される。

そういう生命の持続、永久の循環の根底には、生命は個として死ぬが種は生き続けるという考えがある。
それは魂は永遠に生き続けるということであり、現代科学で言えば種の遺伝子(DNA)は伝わっていく、ということにも似ているのではなかろうか。



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梅原先生が考察されるように、日本人は直感的に感じていた「あの世観」を持っていた。それは無意識に沈殿して見えにくいものですが、しっかりと核にある揺るぎ無いものだったのでしょう。
そんな日本民族の集合的無意識が、インドで生まれた釈迦仏教を変形させて、日本人の心性に受け入れられやすいように変形されて受容された、というのは興味深い話です。


丁度先日読んでいた白川静先生の「漢字―生い立ちとその背景」岩波新書(1970/4/25)にもこういう一説がありました。

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白川静「漢字―生い立ちとその背景」
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P180
出生によって新しい肉体に寄託した霊は、死によってまたその肉体を脱し、いずこかへ立ち去ってゆく。古代の人々は、実際にそのように考えたのである。
霊の来たることが生であり、霊の去ることが死であった。
霊は雲気のようなものと考えられて、魂といった。云(うん)は雲の初文である。
このような死生観が深められていくと、荘子の説く死生一如の思想となる。
霊は永遠なるものであるから、霊には復活と言うことが可能であった。死喪の礼は、復活の儀礼からはじまる。
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P188
霊は永遠なるものであった。循環してやまぬものであった。そこから神仙の思想が生まれる。
永生不死の仙の世界は「荘子」においては精神の絶対自由を説く世界として書かれたが、そこにはもはや鬼神に対するおそれの感情がない。
神の世界は終わり、現実の精神がそれに優位する。
文字が神の世界から遠ざかり、思想の手段となったとき、古代文字の世界は終わったといえよう。
文字は、その成立の当初においては、神とともにあり、神と交通するためのものであったからである。
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この文中には、「たまよばひ」(招魂)の話や、物思いにふけると魂が肉体から「あくがれ出」てしまう話や、「魂振り」、「魂鎮め」・・・
古代での、人間と「カミ」「魂」「霊」との交流が色々と書かれていて興味は尽きません。


現代人はこういう感覚から遠ざかっていますし、テレビでも安い幽霊話や安易なオカルト話だけで終わってしまうことも多いのですが、現代人と古代人とは細胞奥深くに潜むDNAで分かちがたく結びついています。たかだか数百年、数千年の規模で、そうそう人類の心性が変わるとは思えないのです。


僕らは、正体が分からないものに「恐れ」や「不安」を感じ、不必要に攻撃したり忌み嫌ったりしがちです。色々な争いの種も、そういうところにあることが多いと感じます。
「恐れ」や「不安」は知ろうとしない態度から生まれるものであるとするならば、「死」のことも知ろうとする態度が必要なのではなかろうか、と思うわけです。
そうすれば、「恐れ」や「不安」はなくなります。「生」の中の構成要素として「死」を感じ取ることもできますし、「死」の中の構成要素として「生」を感じ取ることもできます。
「死」が「生」の部分であり、「生」が「死」の部分であるとすれば、それは生死はコインの裏と表で同じものだということが、比喩としてではなく実感できるのではないでしょうか。


そう言えば、以前一条真也さんとお話しさせていただいた時、一条さんが「死のことを不幸が起きました、と言うのをなんとか変えたい。死は決して不幸ではない。」とおっしゃっていました。自分も全くの同感です。
ちなみに、一条真也さんの「愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙」現代書林 (2007/7/4) は素晴らしい名著です。是非みなさんに読んでいただきたい本です。



実体のない「おそれ」や「不安」におびえる前に、僕ら現代人は古代人が「死」や「あの世」をどう考えていたかを知り、古代人に恥じない死生観を持つべきではないかと、日々感じています。