新・向かい合うもの (その2)
《人間は「向かい合うもの」に応じて、
「自分」を意識する仕方が変わる。》
子どもが、生まれてからずっと向かい合うのは、
まずは親であり家族です。
親が自分とどう向かい合うかが、
まずその子どもの「自分」を意識する仕方に影響するのは
あまりに当たり前のことです。
そして、病院、療育センター、保育園、幼稚園、
そこで幼い自分と向かいあった人たちのまなざしに応じて、
子どもの「自分」を意識する仕方は変わります。
生まれた子どもに、病気や障害のあることは、
生まれくる自然のうちです。
でも、子どもが自分を意識する仕方は、
生き物としての「自然」ではなく、
「向かいあうもの」に応じて変わりうるものです。
「わたしはしょうがいじ」と、
一人で自分を意識する子どもはいません。
子どもを「分ける」ということが、
子どもにどんな「自分」と向かい合わせているのか。
そのことが、全く語られないまま、
どうして、こんなにも「特別支援」が進んでいくのだろう?
◇
「通級は、子どもの生活全部を分けるわけじゃない。
一日に1時間とか、ほんの《部分》でしかない。
そこで、その子にあった教育が受けられるんだから、
何が問題なのか。
集団のなかで放っておかれる方がかわいそうじゃないか。
虫歯になれば、ふつうの子どもが歯医者にいくのと同じで、
治療や支援が必要な子どもに、
必要なものを提供することは良いことでしょ」
「誰でも病気やケガで入院することだってある。
それを分けるというのはおかしい。
普通の子どもだって手術や治療のために、
「入院」という形で分けられることもある。
それは分けるのが目的じゃないし、
隔離とか差別というのとは違う。
個別指導が必要な子どもに、
必要なものを提供することがなぜいけないのか」
◇
「特別支援教育」を良いものと考える人は、
本気でそんなふうに思っているのだろうか?
そんなふうに「良いこと」をしてあげていると信じている大人と、
向かい合っている子どもたちは、
どんなふうに「自分」を意識するのだろうか。
《人間は「向かい合うもの」に応じて、
「自分」を意識する仕方が変わる。》
だとしたら、「特別支援教育」と向かい合う子どもと、
そうでない子どもは、
「自分」を意識する仕方がまったく違うと、
私は思っているのだけれど、
私は何を言いたいのだろう…。
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