トラウマとフルインクル(その83)
《分けられる子どもの痛みに対する無関心》
学校の始まりの時から150年、この国は子どもを分けて教育してきた。
「教育不可能」とみなされた子どももいた。
8才の時から、私がずっと不思議で仕方なかったことがある。
「分ける側の大人」は子どもの「教育」には熱心なのに、「分けられる側の子ども」の心の痛みに無関心なのはなぜなんだろう?
「特別な教育が正しい」と、本気で信じていたとしても、だ。
それでも、ずっと一緒にいた40人の仲間から、一人だけ分けられる子どもの心の痛みは?
障害児だから、そういう感情も遅れていると思われていたのだろうか。
赤ちゃんの神経は未分化だから痛みを感じないはずだと、麻酔なしで手術をしていた時代のように…。
□
阪神大震災のころに「心のケア」に焦点が当てられるようにあり、幾度もの地震災害、原発事故を経て、突然に家族や友だちを失うことが、どれほど子どものトラウマになるかを、現代の私たちは知っている。
なのに、クラスの中から、一人だけ「抜き出す」こと、一人だけ「分ける」ことに、いまも大人たちは無関心だ。
私はそのことにこだわって、8才からこの一生を生きてきた。
□
「身体はトラウマを記録する」という本には、その答えが全編にわたって書かれている。
【人は脳の右半球で空間的関係を処理しており、私たちが行なった神経画像研究でも、トラウマの痕跡が、おもに右半球にあることがわかっていた。
気遣いや非難、無関心はみな、おおむね表情、声の調子、身体的な動きで伝わる。
最近の研究によると、人のコミュニケーションの最大九割が非言語的な機能が優位な右半球の領域で起こるという。】
『トラウマの痕跡は、おもに右半球にある。』という。
つまり、子どもの心は、「言葉」を使う脳ではなく、「右半球」で傷つく。
そして、人のコミュニケーションの9割が非言語的な「右半球」で起こる。
コミュニケーションができないと言われる子が、分けられることで失う「コミュニケーション」の中身を、分ける大人は考えたことがないのだろう。
◇
なぜ、分けられる子どもの心の痛みに無関心でいられるか?
答えは、分ける大人が、「右半球」で子どものことを考えることができないから。
言葉のない子どもと、コミュニケーションできない、のが、その大人たちだから。
なぜできないか?
「人のコミュニケーションの九割」を担う、「非言語的な機能が優位な右半球の領域」が鈍いのだろう。
だから、言葉・ことば・言語・げんご・が一番大切だと間違うのだろう。
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