《確かな予感》
今までの教育は、偏見の枠への「確かな予感」を作ってきました。
「予感」が、どれほど「確かな結果」をもたらしているか、誰よりも私たち自身が知っています。自分の持っている偏見を、自分に問いかければわかります。
「知的障害への偏見」「自閉症への偏見」「精神障害への偏見」。
子どものころの勉強のできない子をバカにしていた価値観、それは今も自分の中にこびりついています。
「1+1」も分からない子。
「あいうえお」も分からない子。
なんでもすぐに忘れてしまう子。
いつもおもらしている子。
そういう子どもを、だめな子、ばかな子、恥ずかしい子、ああはなりたくない子と、刷り込まれた記憶は、いまものなかにあります。
そのことは、「認知症」への偏見へとまっすぐにつながっています。
物忘れすることを、許せない自分、許せない家族。
トイレに行くことに人の手をかりることを許せない自分、隠したい家族。
今までできたいたことが、できなくなっていくことが、自分に価値がなくなっていくことだという刷り込みは、認知症になっても消えず、自分自身を苦しめます。
また、たとえば、「一度はこの子と一緒に死を考えた」という親の言葉は珍しくありません。
その涙ながらの言葉を聞いて、親を責める人はいません。
多くの人は、「死を考えた」親の気持ちに感情移入することができます。
それは、「死を求められた」子どもに感情移入する回路を、私たちが持っていないことを示しています。
「そんな恐ろしいことをどうして考えてしまったのか」
すぐにその言葉が浮かばなかった私の「感性」のなかに、子どものころに培った「偏見への予感」が生きています。
《偏見への確かな予感を与えない》
障害のある子もない子もともに生活する学校では、最初から子どもたちに「教育の構造」の根本的な違いを教えることができます。それは、「障害のある子は、別の子ども」という、差別の連鎖を揺るがします。
そして、「障害は医師や専門家が治すもの」といった、伝統的な嘘にだまされない人間を育てることができます。
この社会には、自分とは違うさまざまな子がいることの「確かな予感」を育てます。
これから先の人生で、出会う人たちへの「先入観のない信頼」を育てます。
目の見えない子どもや、車いすを使う子ども、
人工呼吸器を使う子ども、聞こえない子ども、
気管切開している子ども、しゃべらない子どもが、
「わたしのとなり」にふつうにいることを、「生活」する子どもは、
そうした「わたしとはちがう」人間に出会う「予感」を、その生活のなかで、自分の生き方の仕組みとして刻み込みます。
その子が、大人になり、我が子に「障害」があると、わかったときに「生まれてこない方が…」という選択をするのか、
「あぁ、○○ちゃんみたいな生きる」をあたりまえに思い起こすかは、まったく違う世界を生きることになります。
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