ブラームスの子守唄とブラームスのワルツ。
どちらも有名な曲だと思います。
子守唄は、「5つの歌曲」作品49の中の4番目の曲です。
(1968年出版)
ブラームスは、故郷ハンブルグで
女性合唱団の指導をしていたことがあります。
その合唱団の団員のひとりであるベルタ・ポルプスキーが
後年(1968年)次男を出産したとき、
お祝いとしてプレゼントしたのが、
いわゆる「ブラームスの子守唄」です。
ベルタ・ポルプスキーはウィーン出身で、
ウィーン風のワルツについて、
ブラームスにもいろいろ教えていたようです。
その影響で、デトモルトの宮廷の合唱指揮者をしていた頃、
ブラームスは小さなワルツをいくつか作曲しました。
その中の何曲かが、後のワルツ集(作品39)に活用されたようです。
その後、ブラームスはウィーンに移り住み、
ブラームスの作品に対して好意的な批評をしてくれる
音楽評論家のハンスリックに、
日頃の感謝を込めて贈ったのがワルツ集です。
(作品39、1866年出版)
その当時は、あのヨハン・シュトラウスの全盛期でした。
ウィーンの雰囲気が気に入り、
シュトラウスの才能を高く評価したブラームスが、
そのときの気持ちを形にしたものがワルツ集なのだと思います。
ブラームスのワルツは、
シュトラウスのような楽天的で陽気なものではなく、
ブラームス独特の音が鏤められたブラームス色です。
独奏用のワルツの左手パートだけピアノで弾いてみると、
とてもワルツとは思えないような旋律もあるのですが、
右手と一緒に演奏すると、素敵なワルツになるんです。
私から見たブラームスのワルツについては、
改めて、もう少し書きたいと思います。
どちらも有名な曲だと思います。
子守唄は、「5つの歌曲」作品49の中の4番目の曲です。
(1968年出版)
ブラームスは、故郷ハンブルグで
女性合唱団の指導をしていたことがあります。
その合唱団の団員のひとりであるベルタ・ポルプスキーが
後年(1968年)次男を出産したとき、
お祝いとしてプレゼントしたのが、
いわゆる「ブラームスの子守唄」です。
ベルタ・ポルプスキーはウィーン出身で、
ウィーン風のワルツについて、
ブラームスにもいろいろ教えていたようです。
その影響で、デトモルトの宮廷の合唱指揮者をしていた頃、
ブラームスは小さなワルツをいくつか作曲しました。
その中の何曲かが、後のワルツ集(作品39)に活用されたようです。
その後、ブラームスはウィーンに移り住み、
ブラームスの作品に対して好意的な批評をしてくれる
音楽評論家のハンスリックに、
日頃の感謝を込めて贈ったのがワルツ集です。
(作品39、1866年出版)
その当時は、あのヨハン・シュトラウスの全盛期でした。
ウィーンの雰囲気が気に入り、
シュトラウスの才能を高く評価したブラームスが、
そのときの気持ちを形にしたものがワルツ集なのだと思います。
ブラームスのワルツは、
シュトラウスのような楽天的で陽気なものではなく、
ブラームス独特の音が鏤められたブラームス色です。
独奏用のワルツの左手パートだけピアノで弾いてみると、
とてもワルツとは思えないような旋律もあるのですが、
右手と一緒に演奏すると、素敵なワルツになるんです。
私から見たブラームスのワルツについては、
改めて、もう少し書きたいと思います。