アンダンテ ~私の歩幅で~

季節のこと、音楽のこと、誕生日シリーズなど

ウグイスの鳴き声

2006年04月09日 | 雑記
私の生息地では、毎年春になると
遠くからウグイスの声が聞こえてきます。

今年はいつもよりも若干早くから、
ウグイスの声が聞こえるようになりました。
今年のウグイスさんは、
早くから落ち着いている感じです。

この時期は「ホーホケ ホケ ホケホケ・・・」
という声が聞こえてくることも多いのですが、
今年は最初から「ホーホケキョ♪」ですもの。

どのような鳴き方でも、
ウグイスの声が聞こえてくるようになると、
「今年もまたウグイスの声が聞こえる♪」
と嬉しくなるのと同時に、
「春になったんだなぁ~♪」と、実感します。



念のため、ウグイスの鳴き声について、
ネットでいくつか検索してみました。

すると、当然のことながら、
鳴き声には意味があるんですね。

比較的高い声の「ホーホケキョ」というさえずりと、
低めの声で「ホーホホホキョコ」などと聞こえるさえずりです。

これは、オスがなわばりをパトロールしながら、
この2種類の声を使い分けているようです。

他のオスが自分のなわばりに侵入してくると、
そのオスの近くまで飛んでいき
「ホーホホホキョコ」と盛んに鳴くようです。

そうか!
毎年春先の「ヘタな鳴き声」だと思っていたのは、
実は、自分のなわばりを守るための鳴き声だったのですね。

ネット検索で見つけたサイトがこちらです。
ウグイスの鳴き声の種類について書かれていて、
実際の鳴き声を聞くこともできます。

ヤマブキ (山吹)

2006年04月09日 | 誕生花
   

<4月 9日の誕生花>
  ヤマブキ
   ・薔薇(ばら)科
   ・学名 : Kerria japonica
         Kerria = ヤマブキ属
         japonica = 日本の
   ・原産地 : 日本、中国
   ・別名 : 面影草(オモカゲグサ / オモカゲソウ)
   ・英名 : Japanese kerria, Japanese rose

<花言葉>
  気品、気品が高い、待ちかねる、崇高、謙虚

今日の誕生花、ヤマブキの
花色は、黄です。
いわゆる山吹色ですね。

ヤマブキの花びらは5弁。

黄色のヤマブキの他、花弁の細いキクザキヤマブキや、
花色が白っぽいシロバナヤマブキ、
葉に白斑が入るフイリヤマブキ、などがあります。
(属は異なるようです。)

また、八重のものは、ヤエヤマブキです。

開花時期は、4月頃~5月頃。

ヤマブキという名前は、山で風に揺れている姿を表現した
「山振(やまぶり)」に由来するのだとか。

また昔から、「黄金色」のことを「山吹色」
と呼ぶことがあります。
中世では「山吹の花」という言葉が
「大判、小判」を指すこともあったのですね。

ヤマブキには実ができます。
でも、ヤエヤマブキには実ができません。

高さ1~2メートルになる落葉低木ですが、
茎は細くて柔らかです。

ヤマブキというと、
太田道灌を思い出す方もいらっしゃるでしょう。

以下は、太田道灌の山吹伝説です。

太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。
ある日、道灌は鷹狩りにでかけ、俄雨にあったため、
近くの家に駆け込みました。
その家は、とてもみすぼらしいものでした。

道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」
と声をかけると、年端もいかぬ少女が出てきました。
(彼女は、名前を 紅皿 といいます。)

そしてその少女が「お恥ずかしい」と言いながら差し出したのは、
蓑ではなく、山吹の花一輪でした。
花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない!」と怒り、
雨の中を帰って行きました。

その夜、道灌がこのことを語ったところ、
近臣の中村重頼が進み出て、
「後拾遺和歌集の19巻に、醍醐天皇の皇子である
中務卿兼明親王(かねあきらしんのう)が詠んだ歌に

  七重八重 花は咲けども 山吹の
    みのひとつだに なきぞ哀しき

というのがあり、その詞書には
『小倉山に住んでいた頃、雨の降った日、
 蓑を借りる人が来たので、山吹の枝を折って与えた。
 受け取った当人は何のことか分からずに帰り、
 後日あれはどういうことだったのかと聞いてきた。
 蓑を借りたいという申し出に対する返事としてつくった歌』
と書いてあります。

その娘は蓑ひとつなき貧しさを、
山吹に例えたのではないでしょうか。」
と言いました。

みのひとつだに→「実の一つだに」と「蓑一つだに」・・
ということですね。

驚いた道灌は、己の不明を恥じ、
この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

歌道に明るくなってから、太田道灌は、
紅皿を江戸城に呼び和歌の友とした、というお話です。

道灌が亡くなった後、紅皿は大久保に庵を建てて尼となり、
彼女の死後、その地に葬られたそうです。


(2007年4月9日 学名等追加・加筆)