OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)

2021年07月07日 | 旅行・小旅行

前回からまた日にちが経ってしまいましたが続きです
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)

豊郷小学校旧校舎群は、昭和12(1937)年に豊郷尋常高等小学校の校舎として完成。
2001年まで使用されました。
現在は校舎の右側の講堂・左側の酬徳記念図書館を合わせて「豊郷小学校旧校舎群」となっています。
国の登録有形文化財です。

前回も触れましたが、豊郷小学校の前身の小学校を卒業した古川鉄治郎氏(丸紅の当時の専務)の寄付によって、
そして米国から来て近江八幡に根を下ろし、医療や教育事業などの社会事業家であり数多くの名建築を残した建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。

古川氏が建築家ヴォーリズに設計を依頼した時、
「私は小学生の時、グズでのろまでいじめられっ子だったんですが、先生からイソップ物語のウサギとカメを例えに、誰も見ていないところでも努力してゆっくりでいいから前に進んでいきなさい、と諭されたんです。その通りに努力し学校を寄付できるようになりました」と語ったそう。

この話を聞いたヴォーリズ氏が形にして残したのが、校舎内の階段にあるブロンズのウサギとカメということです。
※情報サイトより抜粋 


ウサギとカメ、1階では仲良く並んでいます。

ちなみにこの画像、インスタでは2019年ベスト9(いいね!の数が多い順)のトップに躍り出ました!







寄り添っているように見える。



ゆっくりのぼって行くカメ。




踊り場のところで昼寝をしているウサギがいました。
カメはここでもゆっくりのぼっています。










ゴールしたカメがウサギを見下ろしていました!
元々足は速いけど、途中で余裕こいて居眠りをしてしまったウサギを追い越し、
着実に歩みを進めたカメが勝った、ウサギとカメのかけっこのお話。
手すりがこの「ウサギとカメ」のストーリーになっているのです。

↓↓ちょっと広角で撮ってみました!※この頃、機種変したてのホヤホヤだった笑


実は現在のウサギとカメは二代目ということです。
竣工時の像は戦時中に金属供出されたらしく、戦後に建築時の現場監督だった神谷新一氏(後の竹中工務店副社長)が当時の設計図を探し出して自費で復元したんですって。これも情報サイトから。

私財を寄付した古川氏の思い出話を設計者のヴォーリズさんが具現化し、一度は失われても現場監督だった人が復元。
遠くから訪れた私達にも、感慨深いものがありました。

次は校舎内の様子をアップします!

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

 



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2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)

2021年06月18日 | 旅行・小旅行

やっと2019年秋の旅行記を始めます!
※下書きはしてあったのですが、画像の縮小やセレクトが追い付きませんでした・・

毎年恒例、主人との秋の記念日旅行。
(実際の結婚記念日は11月末だけど仕事状況により毎年10月か11月半ば)

2019年は滋賀京都へ行ってきました。
インスタにはかなり前に投稿済ですが
ブログには詳細をじっくり書きたいし、画像もたくさん載せたい、加えて2019年のレトロ建築探訪が終わらず(アップを諦めたのもある)・・
すっかり遅くなってしまいました。

記念日旅行の宿泊地は夫が決めます。
彼はゆっくりしたく(誰でもそうか)「温泉と食事」に重きを置くので、レトロや風情だけでは選んでもらえません。

でも2019年は彼の行きたいエリアに、私が見たかったヴォーリズ建築もたくさんありラッキーでした。

さて、いつもながら未明に出発(ETCを朝4時に通過する為)、
午前中に滋賀県入り。

1日目はまず滋賀県豊郷町にある豊郷小学校旧校舎群へ!



豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に豊郷小学校の卒業生で大実業家でもあった古川鉄治郎氏(丸紅の当時の専務)の寄付によって、そして近代日本で数多くの西洋建築を残した米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。
当時は「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれ、平成25年には国の登録有形文化財に登録されたそうです。

現在は図書館や子育て支援センターなど地元の複合施設として利用され、校舎内の見学も可能です。

古川鉄治郎氏は、学校として必要な備品類の調達も引き受け、最終的な負担額は彼の私財の2/3に相当する額だったそう。すごいですね!
豊郷小学校の新校舎は当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリート造に、温水暖房、内線電話、ガス供給設備など時代の最先端を行く設備にしたそうですよ。
※情報サイトより



豊郷小学校旧校舎は完成した直後、太平洋戦争による金属供出により備品の一部が取り外されたり、空襲の標的となるのを防ぐため外壁が黒く塗られたそうです。

戦時中、黒かったなんてビックリ!



戦災の大きな被害はなく戦後もずっと、平成に入ってからも校舎として使われてきましたが、
阪神・淡路大震災を契機として1996(平成8)年に行われた耐震診断で補強が必要との結果が出たことから、解体の危機が訪れます。補強か解体か



調べてみると、町をあげての保存運動がありました。

町は、解体か耐震補強か町民にアンケートを行い、
「耐震補強」と答えた町民は45%、逆に「解体」と答えた町民は6%弱に過ぎないとの結果。
「残すべき」という思いが大半を占めていたそう。歴史あるものを大事にする心が多い!

滋賀県も保存するよう求める意見を発表、日本建築学会は校舎の老朽化や耐震性の問題について改修によって対処可能と指摘している。
学術的にも状態的にも、まだ充分使える校舎だったそうです。

しかし、同年に豊郷小学校の改築を公約に掲げた大野和三郎町長が就任すると、施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体・新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町民側の保存を求める声は無視され続け、2年後の年末には町長が年内の解体工事着手を表明しました。

町民の総意でない改築を強行しようという動きに業を煮やした町民側は
「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」を組織して大津地裁に対し講堂解体の差し止めを求める仮処分申請を提出。
翌年仮処分が認められましたが、町は講堂・図書館のみを保存し、校舎は解体撤去する方針を変えませんでした。

そのため町民側は校舎についても、解体差し止めを求める仮処分申請を大津地裁に行います。
しかし町側が校舎の解体工事に向けた造成工事に着手したことから、町民側も学校敷地内での座り込みといった抗議活動を始めるなど事態は泥沼化したそうです。

更に町民側は大野町長の解職請求(リコール)に向けた署名活動を開始。
しかし町長は月内に解体工事に着手すると発表し、仮処分決定がなされたにもかかわらず翌日に校舎の窓枠を取り外すなど工事を強行しました。
この工事は町長自らの指揮で強行されたもので、工事を阻止しようとした町民に対し作業員が暴行するなどの様子がテレビで全国に放映され、豊郷小学校の改築問題が全国に知れ渡ることとなりました。
※Wikipediaや情報サイトより抜粋

町長が裁判所の命令を無視する事態になり、当時衆議院議員だった河村たかし氏らも、保存に関する要望書を提出するなど動いたそうですよ。










こちらは講堂。

正門から見て校舎右側の建物です。
別棟になっているものの、廊下から渡り廊下を使って出入り出来ます。
ヴォーリズ設計の神戸女学院の講堂を参考にしているということです。


窓の装飾が素敵!









講堂内部。



ステージ方向に向かって緩やかに傾斜し、固定式の長椅子が設置されています。
現在でも小学校行事(入学式・卒業式)やイベントに使われたり。
300人以上が座れるらしい。


ほんとに緩やかに傾斜。素晴らしい。






こちらは酬徳記念館。

正門から見て校舎左側の別棟建物です。
「酬徳記念図書館」でしたが、現在は酬徳記念館として観光案内所やカフェ(カフェは日曜のみ)として使われています。
















ちなみに旧校舎は二代目校舎で、初代校舎は明治20年築、現在は改築・復元され記念館になっています。
ここまで来るのに壮絶な事態となり紆余曲折あって解体は免れ保存された旧校舎ですが、
結局大野町長により、新校舎も建設されたのでした。
その三代目校舎、現在の「豊郷小学校」は、この白亜の旧校舎の後ろにあります。
校舎の中から見えました。

次回は校舎内をアップし、ヴォーリズ建築についても触れたいと思います!
(専門的ではないけど^^;)

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

 



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鳥取・倉吉その4~旧国鉄倉吉線廃線探索~

2020年06月27日 | 旅行・小旅行

全然更新出来なくて、見に来て下さる皆様すみません
鳥取倉吉、最後の記事です!

2019年7月、鳥取倉吉最後は旧国鉄倉吉線の廃線跡へ!

☆これまでの記事☆
鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~
鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~
鳥取・倉吉その3~円形劇場くらよしフィギュアミュージアム~

実は従姉夫婦は倉吉市民であるものの、前回の記事の円形劇場にも初訪問、旧倉吉線廃線跡も知ってるけど行ったことがない、ということでした。
同じ市内に住んでいるとそんなものですよね~

なのに、私の漠然とした「旧倉吉線の竹林の中の廃線が見たい」という希望を叶えてくれようと、
従姉夫婦は「とりあえず関金町へ行こう」と発進してくれました

後で知ったことですがグーグルマップで「泰久寺駅跡」と検索すれば出てきたのです。
しかし、その時はその廃駅の名前すら知らなかったんです
でも従姉夫婦は「関金にあることは知っている・地元だから」ということでした。

そんなこんなで関金へGO!
しかし、これがなかなか見付からない・・
「このあたりだと思うんだけどな~年に何回か廃線ウォークやってるのは知ってる」と従姉。
あのちょっと土手みたいに盛り上がってる道筋かな?とか当たりをつけながら、何度か車を降りたり乗ったりして・・

「このあたりじゃない??」と従姉。

それっぽい!!




しばらく歩いてみるとレールを発見!!


従姉とこれを見付けた時はテンションあがりまくりでした!
(従姉の旦那さんは停車中の車で待機)





お~~結構続いてる。
このあたりから旦那さんも合流。
(車は数台停められるところがあった)


レールの跡は時々途切れたり、、、



草むらの中に埋もれたり。









いい感じに錆びた缶が転がっている。





途中に橋脚らしき跡もありました!

そして、、、

「泰久寺駅跡」の立て札を発見。
この時、駅名を知る^^;



わーわー♪プラットホームの跡!


あとで知りましたが、この駅名標はレプリカだそうです。







振り返った反対側はガードレールで行き止まりに。



この先にあの写真で見た竹林があるのだろうか?

プラットホームで従姉に記念写真を撮ってもらっている間に、
従姉の旦那さんが「この先は行けるの?」と、奥から歩いてきた女の子に聞いていて
「この先に竹林ありますよ~」と教えてくれました。


奥を歩くのは従姉の旦那さん。







レールも枕木もしっかり残っていますね~





そして辿り着きました!!




線路の中に竹が!まさに写真で見た風景。


もっと奥へと続いている。
これもあとで知ったのですが、この先にトンネル(普段は塞がれている)と小さな橋の跡もあるようなのです。
廃線ウォークでは中も入れるらしいです。
詳しくはコチラ




線路の中に生える竹を近くで撮ったのが、この写真しかなかった。
余計なものが写ってすみません・・


昭和60年3月末で廃止となった国鉄倉吉線。 
廃線から30年以上たった今でもレールやホーム跡が残り、 関金周辺をはじめ市内各所にその遺構が残っているそうです。
数十年経って、レール等がこれだけしっかり残っている廃線跡もめずらしいらしいですよ。
次回はこの奥まで行けたらいいな。

昨年夏の鳥取倉吉、これで終わりです!
ありがとうございました!





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鳥取・倉吉その3~円形劇場くらよしフィギュアミュージアム~

2020年06月07日 | 旅行・小旅行

古い建物や遺構を見て歩くようになってから、ずっと見てみたいと思っていた念願の建物がいくつかありますが、
そのうちのひとつが円形校舎でした!
まさか倉吉で見られるとは・・

※鳥取倉吉、これまでの記事
鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~
鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~

しかも廃墟ではなく、リノベーションされているからもちろん合法に入れる!
そう、円形校舎というとどうしても「廃墟」とか「解体」のイメージ。
ネットでも一番最初に目にした円形校舎は廃墟だった(6~7年前)。



倉吉市にあるこの円形校舎は、旧明倫小学校。

ここで様々なサイトから抜粋して「円形校舎」について。
円形校舎はその名の通り円筒状の学校の校舎のこと。
当時、少ない資材かつ建築面積も抑えられることからコストをかけずに建てられるということで、
1950年代には全国で約100棟程度建設されたそうです。
しかし、ベビーブームで子供の数が爆発的に増え、建物を増築しにくいなどの理由から、
1960年代以降は作られなくなってしまいました。
その後、老朽化が進みそのほとんどが解体されているようです。

旧明倫小学校は、現存する円形校舎では日本最古のもの。
全国で3番目に建てられた円形校舎だけど、先に建てられた2つが取り壊されたので「現存最古」ということらしい。

1955年(昭和30年)から1977年(昭和52年)まで小学校の校舎として使われたのち、地域の公民館として使用されたそうです。
2006年からは老朽化のため、使用されておらずそのまま放置されていたとのこと。



放置され、激しい老朽化によって一度は解体が決定しました。
いざ解体が決まると、解体を惜しむ声が多くあがり、
少しずつ修繕し元の姿を取り戻そうという気運が高まり署名活動が行われました。
結果、約7,000名の署名が集まり、旧明倫小学校円形校舎は解体の危機を逃れることができたそうです!
色々と紆余曲折はあったようですが、何しろ円形校舎の保存のお手本になったと思うのでよかったです。



しかしただ綺麗にし、町のシンボルとして単に保存するだけでは意味がないということで
他に類を見ない円形校舎の独特の空間を活かし、
地元倉吉市に工場を持つフィギュア制作会社大手の(株)グッドスマイルカンパニー、
老舗メーカー海洋堂、鳥取にある米子ガイナックスの協力のもとに、フィギュアの一大展示施設をオープンすることとなったそうです。


こちらが正面玄関。



左右の門柱は校門跡でしょうか。

そうえいば私が小学生の頃、家(その頃は神奈川)に数か月ほど「東京で受験するため居候している、はとこのおねえちゃん」がいたのですが
そのはとこの家がこの校門からまっすぐ歩いてすぐのところでした!
一度だけお邪魔したのをうっすら覚えています。
はとこはこの旧明倫小学校の生徒だったのです。


円形校舎の特徴、中央に螺旋階段。



こちらは貼ってあった工事中の写真。



このような工事過程の写真がたくさん貼ってあります。

フィギュアミュージアムなので、各教室を展示室にして約2,000点のフィギュアがコーナー別に展示してあります。
かなり見応えありますが、撮影はしておりません^^;

興味があったのはもちろんこちら。教室の再現。



円形校舎の「円」の中心側に黒板、背面の外周部分から採光を取り入れるように考えられたそうです。なるほど~




机と椅子は、2016年に廃校になった倉吉市内の小学校で使われていたものだそう。

教室の端には煉瓦の柱が。(ほかの部屋にもありました)



この蓋?なんだろう・・

見入ってしまったのがこれらの模造紙!



工事中に黒板の裏から発見されたんですって!
昭和34年5年生の自由研究。


このあたりは勉強内容を反映させたっぽい真面目な内容。

こっちも興味深い。

↑↑「どんなことをして遊ぶか」
全体的に男っぽい。「ままごと」がないから。
「ぼうやこ」とは調べたら「鬼ごっこ」のことでした。
「かくれんぼ」があってもよさそうだけど・・

たばこの銘柄は「ピース」しかわからんなぁ^^;



時代を感じる棒グラフ・・


「ちこくのげんいん」
「わすれ物」がダントツ!家に取りに戻って遅刻ってことか~
「道草」「さがしもの」も登校前にやるかぁ?^^;

なかなか面白くて、ちゃんとひとつひとつ見たのでここで結構時間とりました。



古い写真も廊下にたくさん貼ってあります。
もし私が通っていたら懐かしさで涙出そう。







そうそう、校内は「見る」だけでなく「学ぶ」「遊ぶ」などのスペースもあります。
定期的に展示会やイベントも。
昨年は「情景師アラーキーの超絶ジオラマ劇場」もあったらしく超絶見たかった‼

ゲームで遊べるコーナーもありましたよ。

お父さん世代は懐かしく遊べそう。

螺旋階段の最上部には屋上へ出られるペントハウスが。


見学に疲れたら、こちらで休憩も出来ます。

上から見た螺旋階段。


屋上に出るとこんな感じ。


景色もなかなか良いです!
赤瓦のある風景を上から見たいと思ったけど、ここから少し見ることが出来ました。



日本で唯一、一般公開の形で生まれ変わった円形校舎。
円形校舎の構造やあちこちに残されているレトロな造りや空間などで
当時に思いを馳せるのもよし、フィギュアミュージアムとしてだけでなく楽しめます。
(私はレトロ目的です笑)

廃墟としてただそこにあるだけでは多くの人にその良さは伝わらない、ということを改めて思いました。

次は初めての廃線探索です!
(場所わからなくて本当に探した^^;)


鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~
鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~
鳥取・倉吉その3~円形劇場くらよしフィギュアミュージアム~(この記事)
鳥取・倉吉その4~旧国鉄倉吉線廃線探索~



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鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~

2020年05月31日 | 旅行・小旅行

従姉夫婦の案内による倉吉散策の続きです。

☆これまでの記事☆
鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~

室町時代の打吹城の城下町で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された白壁土蔵群や町家の並びは、
江戸末期・明治・大正・昭和と時代を追って楽しむことが出来ました。
※前回と今回と、どちらに載せようか迷った赤瓦の町家建築も混ざっています。

和洋の歴史的な建造物が混在するエリアもあります。
例えばこちら。

手前の建物も下見板張りに白い木の引き戸でかわいらしくすごく好みなんですが、
正面を撮影し忘れました。というのも・・


こっちが衝撃だったから。(逆光補正してあります)
倉吉の伝統的地区でこんなん出会えるとは思わなかった!
あとで調べたら、
昭和6年に日本産業貯蓄銀行倉吉支店として建てられた、倉吉で初めての鉄筋コンクリート造りだそう。


メダリオンーー♪



従姉の話だと「ぎゃらりぃ和」というショップ兼カフェだったそうですが、移転したらしく
中は廃墟のようになってました・・

ところでこのあたりは従姉が日常を過ごしているエリアで、合間合間に知り合いの家や同級生のお宅が、普通にあったりします。
「あ・ここは娘の友達の家」とか「ここはだれだれの実家」とか^^;


この並びも好きだなぁ~~



特にこの建物が好き。


腰壁的に両側豆タイル、木枠のガラス戸、淡いブルーも良き。


元薬局のようです。









二段構えのうだつ。
うだつの後ろに煉瓦がチラリ。
側面煉瓦なのかしら??ここでアイス食べてお土産買ったし、聞けばよかった。


琺瑯看板も探せばもっとあったかも。
(あまり時間がなかった)



こういう、タイル多めな昭和の建物も惹かれる。


こちらはカフェー建築のような豆タイルの円柱!上部もタイル。






観光資源でないような街中のレトロ建築を撮影する私を見て従姉夫婦は「そんなんでいいの~?」と心配します^^;











花街の待合のような雰囲気。



従姉が「どんなのが好きなのかだんだんわかってきた」と笑




おたふく窓が、一味違ってかわいい。




また白壁土蔵群に戻ってモジャってる蔵を撮影。





橋の上から。



たくさんの街中のレトロに出会えたけど、
まだまだ歩いてない小道とか脇道があり、後ろ髪を引かれたけど、既にお昼過ぎ。
次の目的地へ急ぎます!


鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~
鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~(この記事)
鳥取・倉吉その3~円形劇場くらよしフィギュアミュージアム~
鳥取・倉吉その4~旧国鉄倉吉線廃線探索~




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鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~

2020年05月29日 | 旅行・小旅行

前置き(鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~)から1週間経ってしまった!
ここから飛ばします!

前置きで書いた通り2019年7月半ば、この時の倉吉行きは伯母の他界によるものでした。
1日目伯母の通夜・2日目葬儀火葬お寺にて初七日、その後かなり手の込んだ夕食までふるまっていただき
3日目の午後帰路へ。倉吉から「スーパーはくと」で姫路まで出ることになっていました。

前夜の飲みの席で趣味の話になり、純喫茶や古い建物を見て廻るのが好きだと話したので
「明日10時にホテルへ迎えに行くから行きたいとこ考えといて・案内するから」と従姉夫婦が申し出てくれました。
昔から面倒見がよくサービス精神旺盛なのです。
その後ホテルにて大慌てで調べたことは言うまでもありません^^;

まずは観光地も見ておこう!ってことで
伝統的建造物群保存地区にも指定されている白壁土蔵群・赤瓦へ。


赤瓦に白い漆喰壁の風情のある街並みや、


上半分は白い漆喰仕上げ、下半分は黒い焼き杉板の腰壁の建造物も並びます。
漆喰は防水の役目を果たし、 焼き杉板は耐火性能と風雨からの耐久性を高めるために用いられているそうです。 
※観光サイトより抜粋





町家や商家建築も多いです。
赤瓦がよく似合う。

赤瓦は山陰地方の風土の一つで、島根県石見地方の石州瓦を起源とします。
焼成温度が1200℃以上と高いため、凍害に強いのが特徴だとか。 
※これも観光サイトより抜粋






一般の住宅もオシャレ。



ちなみに、
この町並みは室町時代に作られた打吹城城下町が原型となり、江戸時代には陣屋町として整備されたらしいです。  
なので江戸・明治期に建てられた建物が多いとのこと。



この赤瓦の街並み、上から見たいと思いました。

そしてのちほど、思いもよらない場所から赤瓦を上から見られることになります。(この街並みではないけど)





お昼ご飯は、従姉はこちらにする予定だったらしいのですが、この日は予約でいっぱい!



高欄や小窓の装飾が素敵。ちょっと遊郭建築の雰囲気ありますね~♪


ランチはこちらの、蔵をリノベ-ションしたカフェレストラン、白壁倶楽部にて。
建物は明治41年築「旧国立第三銀行倉吉支店」だそうです。

とてもクラシカルで素敵でしたがそこそこ混んでいて、撮影出来ず。


オムライスをご馳走になりました。


こちらは従姉のサラダランチ。

この2か月後にスマホが壊れて機種編したのですよ。
カメラが格段によくなったので(カメラ重視で選んでいる)撮り直しに行きたい!

次は街中のレトロ編です。



鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~(この記事)
鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~
鳥取・倉吉その3~円形劇場くらよしフィギュアミュージアム~
鳥取・倉吉その4~旧国鉄倉吉線廃線探索~

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鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~

2020年05月23日 | 旅行・小旅行



やっと昨年7月の鳥取・倉吉に着手しました^^;

2019年7月某日、鳥取の倉吉に住む伯母(亡き父の姉)が他界しました。
我が家(実家)が引っ越しで東京と神奈川を行ったり来たりするたびに、父母の手伝いに駆け付けてくれたり
私も幼少期からお世話になり、高校3年生の時9ヶ月間は一緒に住んだこともありました(私が居候)。

大人になって伯母が胃がんで入院した時は、母と共に寝台車に乗ってお見舞いに行ったり
胃がんの再発も無く元気になってから、姉が一緒に旅行もしたり。
とても縁が深い、というか私には第二の母と言っても過言ではない伯母でした。

亡き父の兄弟はすべて大阪より西にいるため、なかなか親戚すべての弔事に出かけることも出来ませんが、
この伯母の葬儀には、行かないという選択肢はもちろんなく
「明日出発するよ」という姉からのメールですぐにすべての手配・準備をしました。
※新幹線の切符は友人が取ってくれました。

通夜・葬儀とどちらも出るべく2泊3日。
何十年振りに会う従姉弟や従姉弟の子供たち。
もう大きくなり過ぎていて驚きの連続^^;

昔は親せきの集まりが得意ではなかった。
昔は若過ぎて、年上の親戚の人たちと何を話していいのかわからなかった。
けど、待ち時間や通夜振る舞いの席でも、ホテルに帰る前に従姉の家へ寄った時(飲みに来いと言われた^^;)も、
昔とは違ってなんの躊躇もなくおしゃべりできて、不謹慎な言い方だけど楽しい3日間でした。

しかも、従姉夫婦が「最後の日、時間あるんでしょ?車出すから古い街並み好きなら案内するよ」
とまで言ってくれて・・
(飲みの席で趣味の話になったので)
いや不謹慎だからと辞退すると従姉は「倉吉を楽しんでくれた方が母も喜ぶ、母が生きていたら同じことする」と。
ちなみに友人からも「倉吉を楽しむことが伯母さまの供養になるから最終日は街歩きしてきたら?」と言われていました。

前置きが長くなりましたが、
亡き伯母や従姉や友人の優しさを胸に、倉吉を楽しんでまいりました。
2019年7月のことです。
現存するか今はわからない建物もあるかもしれませんが
次回から画像たくさん載せます。
まだ前のスマホなので画質があまりよろしくないかも・・







鳥取・倉吉のレトロ街角歩き~前置き編~(この記事)
鳥取・倉吉その1~白壁土蔵群・赤瓦~
鳥取・倉吉その2~街中のレトロ建築~
鳥取・倉吉その3~円形劇場くらよしフィギュアミュージアム~
鳥取・倉吉その4~旧国鉄倉吉線廃線探索~

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熱海はレトロ建築博物館

2019年08月23日 | 旅行・小旅行

5月後半の熱海純喫茶古い建物めぐり、なかなか更新出来ずやっと最終章。

熱海はレトロ建築・古い建物だらけで、昭和好きには飽きない街だと思います。
ブロ友が博物館のようですねと書いてくれましたが、本当にそう。街全体が昭和なレトロ建築博物館

最近、駅併設の商業施設が出来てちょっと今時の駅になったけど、駅を出ればすぐに哀愁と味のある建物に出会えます。

例えばここ。

熱海スターレーン(志ほみやボウル)跡。
2012年2月に志ほみや旅館の従業員寮で火災が発生、志ほみや旅館はその後「湯宿一番地」として復活したが、
スターレーンは閉鎖され、今も休業状態のままです。駐車場には利用されている模様。

そのまま下って行くとレトロな和風旅館が点在。
こちらは「竜宮閣」。

創業は昭和13年頃だそう。熱海で泊まってみたいレトロ旅館のひとつ。
撮り忘れましたが同じ通りに「瑞宝荘」というレトロ旅館もあります。



ここも泊まってみたい「福島屋旅館」。

熱海駅から熱海銀座や旧特飲街のある中央町、レトロな建物が多い清水町などに行く際に通る坂道。
(もちろん海岸からアクセスも出来るがレトロ好きならこちらの方が楽しい)



坂道やカーブに合わせて建物が建てられている為、建物が湾曲していたり段違いになっていたり。




この古い建物もタイル使いや2階の窓の模様など気になったけど、これしか撮れなかった。
次回はゆっくり見よう。



廃業したホテル、旅館っぽい「喜むら」。中を見てみたかったなぁ。



モジャハウス進行中。



使い込まれた丸ポスト。



ずっと前にもアップしたけど熱海商工会議所のはす向かいにある「丸文名産店」の名前が残る建物。
よく見るとなかなか凝った意匠です。



ゆしま遊技場。
午前中通ったら閉まっていたけど、夕方は開いてました。


丸い取っ手がレトロ♪



熱海市内に最後まで残った「熱海ロマンス座」があった建物。
4年位前は衣料品店になっていましたが今はこの通り・・
過去記事☆熱海・伊東のレトロな風景☆その1




温泉旅館「白馬荘」。
こちらも熱海で泊まってみたい旅館のひとつ。

玄関のライトも素敵。





白馬荘の前にある「東京薬品」。
古いタイプのサトちゃんとピョンちゃんがお出迎え。



熱海旧特飲街にあるレトロカッコイイ建物。
スーパーマンというお店が入っていました。


そして、、、

熱海ではあまり見ないタイプの看板建築。「東海利器更生所?」かな?「田中屋」は読み取れる。


奥行きがあります!中が気になる~!


この木枠のガラスにレトロなライトもいい!



こちらは畳店。塗り直したような白い壁に木枠の引き戸がオシャレ。


元同僚の希望で、熱海銀座から来宮神社に向かいます。
この道中がまた木造家屋や古い建物のオンパレードで!


とりあえず連続でアップ。
























この通り、何度か通ってるのに以前とは目線が違うのか、以前の何倍も撮影しました笑





こんな感じで風情のある木造家屋・モルタル・赤線建築・看板建築・今回は撮らなかったけどリノベーション物件もあるし、
レトロ好きなら街歩きだけで充分楽しめる熱海です。

まだまだ見逃した赤線建築や、細かいところまで見ていないレトロビルなどあるので、また涼しくなったら撮りに行こうと思います。

バブル崩壊後、熱海はさびれた温泉地にまで落ち込みましたが
地域を盛り上げたいと思いを持つ方々により、見事なV字回復を見せました。
それはレトロの良さだけでは築けないかもしれませんが、
これらの建物は昭和の財産であり、熱海で暮らしてきた人たちの日常の記憶として残してもらいたいものです。




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熱海糸川べり(旧赤線・旧特飲街)

2019年08月02日 | 旅行・小旅行

また激務期間に突入したので間が空いてしまいましたが、やっと終わりました。
※しかし熱海終わってないのにまた月をまたぐ^^;

さて、元同僚との5月後半熱海旅行。
私は何度目かの熱海レトロ散策ですが、いつも伊東の母宅からの帰りだったのでゆっくり見て歩くのは初めて。

今回は、気になっていた糸川べりの旧特飲街・赤線の名残りを見る時間をたっぷりとりました。

それでなくとも、熱海駅から糸川近辺まで歩いて来る道中、レトロ建築好きなら思わず立ち止まってしまう物件ばかりです。
何度来ても廻り切れません。

古い建物が好きでレトロ散策をする方はご存じと思いますが、
熱海の中央町・糸川という河川の河口付近に広い範囲で赤線地帯があったそうです。
グーグルマップ上には「糸川旧特飲街」と現れます。

今はもちろん別の店舗や事務所等に使われているわけですが、
当時の造りのまま、これだけの建物が残っているのは全国でも珍しいと聞きました。
熱海の街は昭和二十五年の大火で街の大部分が焼失してしまいましたが、それでもカフェー建築として当時のまま残っています。



逆光ですみません。
現在は「スナック亜」という店として使われているカフェー建築です。
角にRの意匠、屋根近くの上部には波模様の縁取り?の装飾。


このレリーフは蔦かな?


「つたや」という屋号が残っています。
昭和32年熱海市住宅地図の熱海糸川赤線街を見ると、確かに「つたや」がありました。


当時は綺麗な二色使いの建物だったのかな・・



お隣の建物も屋号の名残が。
1階は改装されています。



その隣の不動産店。
キレイに塗り替えられてはいますが、明らかなカフェー建築。



現在は「スナック千夜」の、カフェー建築。


鷲や花の彫り物がすごい。華やかだった時代を垣間見た感じ。

いやしかしどれも素晴らしいー
昭和の財産!



こちらもおそらく。
この、建物の角をスパッと切ったような建築は、すべてそう思えてしまう。
その部分に大きく屋号が描いてあったんじゃないかと・・


ここも多分そう。

1階はキレイに改装されているけど、屋号があったっぽい角の面の部分とか、
不自然に窓が多いとか、窓の柵が可愛らしいとか、カフェー建築の要素がいっぱい。



極めつけは・・・


この豆タイル!
タイル装飾は赤線地帯、カフェー建築の特徴のひとつ。


違う通りだけどおそらくこちらも。

カフェー建築というよりもう遊郭建築といってもいい!
カフェー建築は元々遊郭が多いし。


豆タイルはカフェーっぽいけど、この出入口付近なんて元遊郭っぽい。


しかしこちら、残っているのはこの玄関?部分だけで、上はビルになっています。
でもここだけ残してくれてるだけ、往時をしのぶことが出来てありがたい。



1階が理容院と飲み屋さんのこちらも明らかに赤線カフェー建築!






この豆タイル使いと配色が素晴らしい。



こちらの建物も、玄関の上には唐破風でもあったんじゃないかと思えるような、何かを取り払った痕が。
格子窓もあるし元遊郭の雰囲気。

そして・・

特飲街のはずれに一際異彩を放つ看板建築!
半円を描いた窓やアシンメトリーな造り。
こ・これは!絶対そうでしょう。
右端の窓がないことと、左端の窓がやたら大きいのが気になります・・


上部には屋号とか紋章とかあったのかな・・
丸い紋章、6文字の屋号がうかがえます。


他にも建て替えられたり塗り替えられたりしていても、赤線地帯ならではの特徴を残す建物が数多くありました。
一応「糸川べり」なんて呼び方がありましたが、糸川からちょっと離れていてもそれらしい特徴の建物はあるし
広範囲でレトロ建築を楽しむことが出来ます。

しかし一番有名だった「千笑」という遊郭建築が解体され、更地になっていました。
おそらく以前の散策の際に目にはしているのですが、写真を撮っていなかったので残念。

次回で熱海純喫茶古い建物めぐりは終わりです。




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熱海の歴史的建造物~起雲閣~その3

2019年07月17日 | 旅行・小旅行

やっと激務が終わったと思った翌日、鳥取倉吉に住む叔母が他界し急遽鳥取へ行って来ました。
通夜・告別式・火葬・四十九日法要も参列し、最終日に「せっかく遠くから来たのだから見たいところ案内する」と
言ってくれた従姉夫婦に甘え、予備知識なかったけど半日観光してきたのでそれも追々アップしたいと思います。

5月後半の熱海旅行、起雲閣の最後は「ローマ風呂」と庭園から見た起雲閣を少し。

ローマ風呂は前記事の「金剛」のお部屋に隣接してありました。



床のタイルも凝った造りになっています。



浴槽はわりと深い。



そしてやっぱりステンドグラス!










通気口?までオシャレ。


タイルやステンドグラス、浴槽に至るまでとても雰囲気の良いローマ風呂でした!
使われていないとはいえ、維持するのも大変だろうなぁ。

入口の洗面室にもステンドグラス。


↑↑のステンドグラスを浴室側から。



少し先に、旅館時代の大浴場も残されていました。

こちらは一般的ですが風情があり、使い込まれたのがわかります。

別のお部屋では菊の展示などもありました。

最後に庭園に出て、外観を撮影。















起雲閣はこれでおしまい。
また機会を作って、玉姫のサンルームをもっとキレイに撮りに行きたい。

次回は熱海の旧特飲街です。




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熱海の歴史的建造物~起雲閣~その2

2019年07月10日 | 旅行・小旅行

仕事が深夜帰宅の日々で、なかなかアップが出来ません
前回の記事(熱海の歴史的建造物~起雲閣~その1)の続きです。

「玉姫」のサンルームでモザイクタイルの床や天井のステンドグラスに感動した後は、
隣のお部屋「玉渓」へ。
「玉渓」は、中世英国のチューダー様式でヨーロッパの山荘をイメージして造られたそうです。

こちらもまたステンドグラスが素敵です。




ライトも細工が細かくて見応えあり。



「玉渓」を出て順路通りに進むと和室。
起雲閣が旅館時代に、文豪が宿泊・執筆したお部屋を展示室として公開しています。






窓からの風景を撮影している元同僚が写りこんでしまいました。
(私も外で隠し撮りされます笑)





展示室は3部屋のみ公開されていました。




こちらには旅館時代の備品も。
「貴重品お預かり袋」に時代を感じます。


そして次のお部屋「金剛」へ。
「金剛」は迎賓の間で、小部屋と大部屋があり、小部屋の方ですら見どころ満載。

まず、この大部屋との間仕切りのステンドグラス。



右・左と両側にあります。



天上は船底天井で、ここもステンドグラス。ちょっとわかりにくいけども。



壁のタイルも織物の絨毯のようなタイルの床も素敵。


タイルってやっぱりいいなーー♪



こういうのもやっぱり撮っちゃうよね。




こちらが「金剛」大部屋。





ハートにダイヤにクローバー、トランプの模様をあしらった彫り物。



荘厳な起雲閣ですが可愛いらしさも。そして奥には中華風のステンドグラス。



お花のような模様をよく見ると、真ん中の模様が右と左、上下逆さまなんです。

これは廊下に出て裏から見た同じステンドグラス。やっぱり逆さま。

間違えたのかな?あえて右と左を上下逆さまにしてデザイン性を持たせるため?
実はこれ、そばでご婦人が話しているのを聞いたのです。
そのご婦人も理由はわからないようでした。

このあとは「金剛」に隣接されている「ローマ風呂」です!
その2までの予定でしたが、その3へ続く・・



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熱海の歴史的建造物~起雲閣~その1

2019年07月05日 | 旅行・小旅行

5月の終わり、元同僚と熱海1泊旅行へ行って来ました。
熱海は彼女の希望が第一にありましたが、私もまだ歩いていない興味ある地域がたくさんあったので
この機会に網羅してしまおうと乗っかりました^^;
元同僚の行きたい純喫茶を優先的に組み込み、次の4つを目的に旅の行程を作成。

熱海の有名無名の純喫茶めぐり(これは二人の希望は同じ)

熱海の三大別荘のひとつ「起雲閣」へ行く
熱海の旧特飲街(赤線の名残り)を探す
熱海駅から熱海銀座までのレトロビル群を見て歩く

いつも彼女との旅行では純喫茶巡りが主な目的ですが
純喫茶から純喫茶へ向かう道中にレトロ物件や歴史的建造物に立ち寄るというのが、定番になってきました。
歩けば適度におなかもすくし。

なにしろテーマはレトロ・古い建物つまりは「歴史あるもの」です。
新しい商業施設や話題の飲食店へは行きません笑



まずは、唯一行った観光施設「起雲閣

起雲閣は、熱海市昭和町にある近代建築・歴史的建造物です。

1919(大正8)年、海運王と呼ばれた船舶事業の実業家内田信也氏が実母の静養の為に建てました。
その後、東武鉄道社長根津嘉一郎氏が譲り受けて敷地を拡大し、
昭和4年と昭和7年には2つの洋館を完成させましたが、
その後金沢でホテル等を経営していた桜井兵五郎氏が買い取り昭和22年に旅館「起雲閣」になりました。
旅館には多くの文豪も滞在したそうです。


昭和22年から平成11年まで52年間、熱海の高級旅館として維持して来たが平成11年廃業。
平成12年熱海市が取得、熱海市指定有形文化財として一般公開されています。


画像右側が入口です。
内田氏が建て、その後根津氏・桜井氏が増築していった起雲閣ですが
まず、内田氏の大正建築である和館「麒麟」にてボランティアガイドの方から10分程説明を受けます。



この鮮やかなブルーは後に桜井氏が塗り替えたそうです。


2階もありましたが、画像が多くなるので和室は少なめにしておきます。

特筆すべきはここから!


「玉姫」というお部屋のサンルームです。ここは根津氏が増築した洋館です。
※メインルームとサンルームに分かれている。

床はモザイク模様のタイル張り、天井や壁面は見事なステンドグラスの意匠です。






全てが手作業の、気の遠くなるような意匠、凝りに凝ったステンドグラスです!なんと表現したらよいのか・・




ガラスとガラスの間の浮き彫り?も細かい!




こちらは貝を平たくしてはめ込んだような。※違ったらすみません。


シャンデリアが斬新。天井中心部も素敵。



いや~撮りまくりました。
いまいち画像では伝わらないのが残念。いいカメラ欲しい・・

モザイク模様の豆タイルも素晴らしい。










もう、上を撮ったり下を撮ったり忙しい歴史的建造物^^;
古い建物が好きな人は概ね、昔のステンドグラスや古いタイルも好きだと思うので、三回分感動出来ます。
ずっと見ていられるようなお部屋でした!


扉もステンドグラスやタイルの雰囲気と合ってます。
モザイクタイルは陶芸家・池田泰山氏の作品だそう。

そして、こちらが「玉姫」のメインルーム。
神社のような建築様式・アールデコ様式・中華風の装飾が一堂に会したようなお部屋です。





神社仏閣に見られる折上格天井(おりあげごうてんじょう)が見事に施されている。




すごく細かい!モザイクタイルといい、職人さんの心意気と苦労が伝わってくるようです。






これでも厳選しました^^;
載せきれないのでその2・その3へ続きます。



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3月の温泉旅行☆草津温泉

2019年06月15日 | 旅行・小旅行

暑くなったのに寒い時季の話ですみません。
令和一発目の遠征もしてきたけど、書くのは随分先になりそうです。

1月も正月から2月も忙しかったので3月初め、疲れを癒やしに草津温泉へ。
そういえば群馬県の温泉は有名どころはほぼ訪問済だったけど、草津だけ行ったことないような気がするよねという話になり。
青春18切符でのんびり行って来ました。

宿泊は、江戸時代創業のホテル一井


レトロな印象を期待しましたが、とても近代的な外観。
(宿泊地は夫が決めるので私は見ていません※膝が悪いので食事が座敷以外ならOK)


でも、湯畑が一望できるお部屋をとってくれたようです!


ズーーーム  







そして夕食はレストランにて。ちょっと大正ロマン風な雰囲気でした。

献立は地産地消に近く、フードマイレージを意識した食事ができました!



外観は新しいけど、階段はレトロ♪
温泉も年月を経ているのがわかる雰囲気でした。


そしてお部屋から見える湯畑、夜はライトアップ。





草津温泉には6源泉あり、ホテル一井ではその6源泉のうち貴重な2つの源泉を引いています。
大浴場は少し白く濁ってとろりとした「湯畑前白旗源泉」
露天風呂は透明色でさらっとした「白根山万代鉱源泉」
どちらも天然温泉が掛け流しとなっています。
少々熱いですが入っていると馴染んで慣れてきました。



湯畑の周りは遊歩道になっていて、平日でもたくさんの観光客。










ここも夜になるとライトアップ↓↓


とても綺麗。
夜でも人はいっぱい。









1日目の夕方から雪が降りだしました。


21時頃でもうっすら積もっています。
この時間から人は少なくなりました。  







2日目の朝。部屋からの景色。

部屋の眺めはもちろん温泉も上質で気持ちいいし、食事も美味しかった。
でも次は小さめのレトロ旅館に泊まりたいな。


そういえば夫が気付いたのですが、
湯畑の周りの遊歩道を歩いていたら、

瓦を使った道でした。
不要になった瓦の再利用でしょうか??


道だけでなく、ベンチ?にも。

意外なところでエコな取り組み?に出会いました!





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茨城・石岡の看板建築と念願の純喫茶☆その2

2019年04月12日 | 旅行・小旅行

仕事が立て込んでなかなか時間が取れず、その1から大分あいてしまいましたが
1月の茨城プチ遠征その2です。
(昨年のノスタルジック散歩もまだアップ出来てない)

今回は、中町通りの有名な看板建築と、路地で見付けた文化財級の建物、そして2度目の訪問純喫茶マツです。


すがや化粧品店
国登録有形文化財です。近くで撮れなかったので遠景のみ。




森戸文四郎商店。モルタルの看板建築で、1階部分の引き戸が昔の木製のままです。
サッシに改修されている店舗が多いので、これは意外と貴重。
両端がタイルなのも素敵。
国の登録有形文化財です。


なんの模様だろう??



左から玉川屋、石岡将棋会館(吉田クツ店)。
銅板張り看板建築です。








丁子屋。江戸時代末期に建てられた染物屋(現在は観光施設まち蔵藍)だそうです。
木造2階建の商家建築で、昭和4年の大火で焼失を免れた商家建築では現存する唯一の建物であると書いてありました。
中を見られるそうで、見学すればよかったな。

国の登録有形文化財



福島屋砂糖店。黒い蔵造りの建物です。国の登録有形文化財。





そして、、、

久松商店。昭和5年に建てられた化粧品・雑貨店(現在は喫茶店?)


この張り方は下見板張りというそうです。


アーチがいいですね~
ファサードも凝っていますが、窓のデザインも素敵。



十七屋商店。昭和5年に建てられた履物屋さん。


一際目を惹く看板建築。
この小さなアーチが連なるデザインはロンバルディア帯というそうです。
久松商店も十七屋商店も、国の登録有形文化財。



出桁造りの中藤精米店。
石岡は、出桁造りも多かったように思います。



こちらは白く塗られていました。元々はモルタルかな・・
デザインは残されているけど看板建築の名残り的な。

こっちも><

トタンが張られていますが元は看板建築だったと思われます。

路地には、文化財じゃなくてもカッコいいレトロな建物もありました。




こちらは純喫茶マツのちかくにある、有名なモルタルの看板建築で国登録有形文化財。

2階部分のコリント式の短い円柱、
左右の窓のデザイン違い、
左下の造りかけ?のアーチなど、突っ込みどころ満載です。

左右の窓のデザイン違いは、左が建設当時のままで、右はサッシに変えたのでしょうか。
それにしても元々モルタルのデザインも違うし・・なぜ統一感を出さなかったのかわからない。


説明によると、昭和5年頃に建てられた貸店舗で木造2階建ての看板建築。
コリント様式風の柱頭飾りや屋根に立ち上げた煙突風の突起物など特異な造形を持つ。
当初から貸店舗として建てられた数少ない貴重な建物である、ということです。
喫茶店の「四季」には今回は入店せず。



コリント式の柱頭飾りもすごい。なんの模様かな。


路地を歩いていると、何気ない住宅街に普通に看板建築があるのが石岡です。

こちらもそのひとつ。バイク屋さんのようでした。


こちらは看板建築ではないけど、斜め扉がレトロな建物。



こちらも斜め扉。斜め扉好きです。散髪屋さんに多いですね~




そして、最後に突然目の前に現れたのがこちら、、、(向こうからしたら現れたのは私の方笑)

もう文化財級の物件だと思うのですが、もちろんなんの説明版もなく。
ベランダ(バルコニー?)の円柱にアーチ、頭頂部のアールデコ調のレリーフ、
ガラス窓も近くで見るとレトロな模様でアガりました!
帰宅後調べても情報は見つからず・・。


1日の最後は(といっても14:30頃)再びの純喫茶マツさん。


今度は半地下の席へ。
シンプルに見えて、大理石の壁、木の板の壁、タイル風の壁、となかなか凝っています。


席からの眺め。
もっと詳しくはコチラ☆わざわざ行きたい喫茶店*純喫茶マツ(茨城・石岡)


マツさんと同じ通りに、アーチ状のデザインの窓が側面にある看板建築風の不二家さんがありました。

ちょっと色彩が派手だけど、造りは石岡の雰囲気に合わせてあるのかな。


念願だった茨城石岡の看板建築巡り、思ったよりたくさんのレトロ物件に出会えたので、
膨大な画像からセレクトに時間がかかり、またなかなか自宅でパソコンに向かえず遅くなりましたがこれで終わりです。
一応観光地ですが、平日だと人もまばらでちょっと寂しい気もしましたが、撮影は人が入らずゆっくり出来ました。
でも、あれだけの文化財があるのでもう少し活性化してもいいような・・。余計なお世話かもしれませんがちょっと心配です^^;



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茨城・石岡の看板建築と念願の純喫茶☆その1

2019年03月28日 | 旅行・小旅行

もう1月の上旬のことですが、かねてより歩いてみたかった茨城県石岡市へ行って来ました。
今年の目標?に「純喫茶遠征をたくさんする!」があったので、その第一弾。

石岡は昔の同僚の結婚式で一度降りたことがありましたが、散策は初めてです。
まずは早めのランチを兼ねて念願の純喫茶へ。



「純喫茶マツ」さん。
石岡の駅から徒歩5~6分くらいかな、道路沿いのわかりやすいところにありました。
半地下・1階・2階と3フロア構成の大箱純喫茶です。




1階です。


こちらは2階。


2階からの風景。カウンターの上部がレトロフューチャー。



ママさんも店内のインテリアも雰囲気も、来てよかったと思える素敵な純喫茶でした!
もっと詳しくはコチラです。


さて、腹ごしらえもしてここから石岡の看板建築や古い建物を見て歩きます。

石岡は大火によって多くの文化遺産を焼失したそうです。
今から400年以上前の府中城落城時に町中が火の海となって中世の文化財の多くが灰となり、
その後も大小の出火・大火による「大火の歴史」があるほど。
そして昭和4年の大火で駅から中町にかけて、多くの建物が灰となってしまったそう。
残った建造物も多くあるらしいけど、その後に建てられた看板建築や土蔵造りの建造物が、趣のある街並みとなっています。



黒漆喰の蔵。


随所に厚みを感じます。
昭和4年の大火後に建てられたそうで、大火への備えを感じます。



長く見事な煉瓦塀。



このような蔵造りの建物があちこちにあります。



こちらは重厚な煉瓦蔵!煉瓦の「うだつ」(画像右側)が見られます!
隣家からの火事が燃え移るのを防ぐために、防火壁として造られたそうです。

「うだつ」を造るにはお金がかかり、これが上がっている家は生活力があり比較的裕福な家、ということで
「うだつがあがらない」という慣用句がありますが、今はあまり使わないですね^^;

それにしても煉瓦のうだつは初めて見ました。



こちらは門からうっすらとレールの跡が見られます。
トロッコかなにかでしょうか。覗くわけにもいかず、わからないまま。


中町通りに出てきました。

三連アーチのパン屋さんと、あえて左右対称にしなかった看板建築の水酉酒店。

ここからメインの通りでなく路地です。
有名な看板建築はメインの通りにありますが、路地の方が見どころあります。


とあるモルタルの看板建築の上部。デザインが凝ってる。



チェーン店のない風情ある街並み。




平松理容店。
国の登録有形文化財です。


モルタルの造形が素晴らしい。左官職人の心意気を感じます。
じっくり写させてほしいと思い、許可を得ようと声をかけましたがドアは開いているのに
誰も出てきませんでした。不用心だなぁ・・諦めて退散。
ちらりと見えた店内もレトロでした。










蔵をはじめ、瓦屋根の住宅や趣のある出桁造りが連なります。


タイルや角丸の窓、ガラスブロックを使ったこの建物もいいなぁ。



栗山呉服店。出桁造りの建物で、国の登録有形文化財。
散策マップによると「昭和7年頃に建てられた木造2階建ての商家建築。
2階正面のガラス戸の繊細な組子は、明治以降における日本建築の近代化の特徴をよくあらわしている」





小さなガラスを割付デザインして中にはめ込んで作られた昭和初期建築にみられる「おたふく窓」。
手持ちのガラスを無駄なく使うというこういった窓は、大きなガラスが手に入りにくい時代に建具職人さん達が考えだしたガラス窓だそう。

さて、路地を一通り歩いたら次はメインの通りへ!

有名な看板建築と、この日2度目の「純喫茶マツ」、そして最後に出会った素敵な建物。
石岡散策その2へ続きます。

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