今年もご訪問・ご覧いただきありがとうございました
本当になかなか進まないけど見に来て下さる方々がいて、続ける力になっています。
来年もよろしくお願いいたします。
夫婦共々、相変わらず元日から仕事へ行くので年末年始感なし
今年は伊東に住む実母が2月に脳梗塞で倒れ、搬送先の病院で癌が見付かり、8月に他界しました。
伊東は脳外科がないので熱海の病院に搬送され、そのまま入院となり3ヶ月後に同じ熱海市内の緩和ケア病院へ転院し、私は半年間毎月3回(ほぼ週1)熱海へ面会へ行っていました。
半年間という覚悟をする期間はあったので、まだよかったかもしれません。
一番泣いたのは落ち着いたある日、母がよく作ってくれた独自のオムレツを再現して主人に提供した時。
「これ東京にいた頃、母がよく作ってくれたから」と言った瞬間でした。
なので今年は昨年ほど旅行もしていません。
やっぱりいつどうなるかわからない状況で泊りは厳しく、日帰りメインで3月に岩手福島日帰りと7月和歌山日帰り、
11月に夫と記念日旅行は行きました。
ただ、インスタで知り合った方々がこちらに遠征してきた時は、いろいろなレトロ散策をアテンドさせていただいたり。
友人とも都内県内あちこち出かけたり。
そんな時は楽しく過ごしました。
そして1年位前からですが謎の皮膚疾患が8月頃からひどくなり、今治療中です。
主に四肢・背中などが目立つので、大浴場に入れません(感染はしない・見た目の問題)
そのことも追々記録していけたら・・
歩き過ぎると、割れている膝の半月板周りが重くなるし
腰も痛いしあちこちガタガタではあるものの、まだ働けているうちは無理しなければ大丈夫といった感じ。
まだまだ気張っていきますよ^^
来年も、皆様が健康でよい年になりますように。
そして当ブログ、ゆるゆる自然食Life、インスタグラムを2025年もよろしくお願い致します!
喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきます。
よいお年をお迎え下さい。
再開発に伴い2024年12月29日で閉館(一時休館)する学士会館。
2022年1月と2024年2月の画像をアップしておきたいと思います。
※天候が微妙に違うので画像の色合いが異なります
2017年頃にも撮影したけどひどい写真でした今回の画像も全然満足はしていないけど。。
近代建築とかキレイな建物って撮るの難しいな~といつも思います。
思えば20代、本郷在住の頃父の仕事の手伝いの外回りでたまに通りかかり、見上げるだけの建物でした。
スマホはもちろんデジカメもない時代、そもそもカメラ持ち歩いてないし・・
学士会館のサイトからその歴史を抜粋しました。
天災と人災、時代に振り回されたことがわかります
学士会館は1913(大正2年)1月に西洋風の木造2階建ての施設を創建しましたが神田三崎町で起きた大火により焼失。
復興に向けて1913年(大正12年)9月1日、基礎工事を開始する予定でしたが、奇しくもその日、関東大震災に襲われて計画は延期。
その後焼失と再建を繰り返し、ついに1928(昭和3年)現在の学士会館が建設されました。
昭和11年の2・26事件の際には、第14師団東京警備隊司令部が置かれ、
昭和16年に太平洋戦争が勃発すると、翌年以降、会館屋上に高射機関銃陣地が設けられました。
昭和20年には、会館の一部が空襲の被害を受ける一方、館内のいくつかの部屋を日本軍に提供することになりました。そして終戦後の同年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館。
高級将校の宿舎や将校倶楽部として使用されていましたが、昭和31年7月に返還されました。
宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する学士会館は、
学士会会員のための倶楽部施設ですが、現在では一部施設を除いて一般利用が可能となっていました。
※既に一部閉店、予約で埋まっています。
学士会館は関東大震災後に建築された震災復興建築ということです。
4階建ての旧館は1926(大正15年)年6月に着工、1928(昭和3年)年5月に開業。
当時では極めて珍しい耐震・耐火の鉄骨鉄筋コンクリート造り。
旧館設計者は帝国ホテル東京(新本館)や日本橋の高島屋百貨店、前田侯爵邸などを手掛けた高橋貞太郎氏。
旧館を尊重するかのように一歩後退して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12年)9月に増築開業。
設計者は藤村朗氏。
画像右側が高橋貞太郎設計の旧館。
左側が新館。
これ唯一、新館側からの外観全体なのにひどい画像・・
旧館は曳家保存し、耐震工事も行った上で将来に向けて保存・活用していく計画だそうです。
残念ながら新館は解体されるとか。
旧館は竣工当時流行したスクラッチタイル。
東大や多くの歴史的建造物に使われ、街中の小規模な古いビルにも見受けられます。
ここから内観です。
ほとんど2022年撮影分で、許可を得て撮影しています。
フロントの方もとても感じがよかったです^^
※現在は撮影に関して制約があります
とにかく画像を貼りまくります
マイナスネジがいっぱい。
歴史的建造物の玄関に階段アリ。
玄関だけでかなり撮りました^ー^;
この、鋲が打ち込まれた柱は十二角形ですって!
漆喰の彫刻も素晴らしい。
ステンドグラスもあちこちに。
フロント付近は撮影の可否を問うと快諾してくれて、尚且つスタッフがそっと奥に入ってくれました。
こちらの訪問記事↓↓
学士会館☆中国料理 紅楼夢とセブンズハウス(神田錦町)
館内のステンドグラスは帝国ホテルの内装に似てます。
(デザインがライトさんっぽい)
現在の帝国ホテル設計も高橋貞太郎さんですしね♪
ちなみに帝国ホテルもいっぱい撮ってあるので、建て替え前にアップしたい。
ここからは立入禁止なのでズーームで撮影。
更にズーーーム
ドラマで使われた廊下かな?
ここから照明特集。
シンプルで品があります。
ここからお手洗い。
細かいところまで彫刻が!
地下への階段までもがスクラッチタイル。
コチラの地下もオシャレです。
撮影許可はここまで。
(今はだめかもしれません)
今月末に通常見学できないエリアも見させてもらえる見学会に、インスタ友達が参加するのでその画像を楽しみにします。
改装後も歴史的建造物としての価値が感じられる建物になるといいな。
9月から仕事も忙しくなり体調も良くはなくて、また2ヶ月も更新出来ませんでした
もう保存してある画像アップしきれないかもしれないけど、とにかく諦めずにいきます
さて、かれこれ25年は縁がある五反田。
1999年~2002年頃(社員)と2009年~2013年頃(派遣)の2回、五反田で働いていました。
今の会社(2013年~)でも出張販売で五反田へは年に1回は行っているし、2020年にインスタ散歩友達とも散策したのでまとめてアップしようと思います。
まずは、99年頃は通勤の通り道にあり当時はまだ現役だった和風旅館の「海喜館」。
その頃は写真に撮ろうなんて全く思わなかったので当時の写真は無いけど、はっきり記憶に残っているのはやっぱり古い建物に関心はあったんだなぁと今にして思います。
お昼休憩などで歩いていると布団を干していたり玄関に従業員らしき人影が見えたりしていました。
夜は夜で旅館の敷地だけ暗く、館内の妖しげな光がチラホラ見えていたのを覚えています。
その「海喜館」は2015年に閉館、2020年6月に解体工事が終わり、今ではマンションが建っています。
※あの事件についてはここでは割愛します^^;
画像は2019年12月で、解体2ヶ月位?前のものです。
仕事の休憩時間に行ってみました。
裏口?勝手口?
正面玄関から左手にまわると、灯籠のある玄関がありました。
こちらは川沿い。
木々でよく見えません。昔からそう。
ズーームで玄関の灯籠をパチリ。
灯籠たちも建物もろとも壊されてしまったのだろうか。。
旅館と比べると小さな石造りの蔵?
かろうじてネットの奥に「海㐂館」の看板が見えます。
ネットかかる前も見てたのに撮ればよかったなーー
まぁ間に合っただけよしとしよう・・
大きな蔵もあったのですね。
なにが保管されていたのだろう。
駅が近くてコンビニもあり立地もいいし、もし今も営業していたら外国人にもレトロ建物好きにも(私のような)人気だったと思う。
今、都心のビジホも高いらしいし、とにかく宿がとれないと聞きます。
(ちなみに海喜館は1泊6300円くらいで、朝食も良かったそう)
五反田は1925(大正14)年に三業地の指定を受け、花街として賑わっていたそうで、
それなりに繁栄してきたものの、空襲や戦後の売春防止法によって三業地の三業のひとつである待合が廃止され、花街としては衰退していったそうです。
その後の変化で商業地として発展していき、海喜館もしばらくは賑わっていたようですが、ビジホが増え街も変化し徐々に経営が苦しくなっていったとか。
今の五反田は商業地とオフィス街が入り混じったような。中途半端な気はしますが私は結構好きです。
ここからの画像は2020年、インスタ散歩友達と歩いた時に撮ったものです。
(このあと白金に移動したのでそんなに撮ってないです)
いかにも昭和な、風情ある質屋さん。
二階の柵もかわいい。
隅切りの建物。
キレイに塗り直されている。
その奥に、、、
パーマ、と文字のある元美容室。
パの丸の位置が絶妙!
レトロ好きはみんな大好き斜め入口・斜めドア。
腰壁は飴釉の豆タイルがキレイに残っています。
床もよく見るタイプのタイル。
柵の面格子もかわいい。
パの丸はよく見ると楕円形。
文字間がもう一文字入りそうなくらい伸びてるのもツボ。
この日は散策前にグリルエフでランチしました。
オープン一番乗りで入って秒で撮影^^;
やっと店内撮れた☆グリルエフ(五反田)その3
すぐに満席になるので・・
そしてこちらは五反田OL時代の2002年頃、時々ランチしていたメンチカツが美味しい「スワチカ」さん。
なんでも美味しいのですが、五反田OL最後の日もここでメンチカツ食べました。
しかし制服に揚げ物のにおいがつくため、戻ると先輩から「スワチカ行ってきたでしょ~笑」とよく言われたっけ・・
なんてことない懐かしい思い出。
アジフライも美味しいし、カレーも好みの味でした。
この建物はまだあるかなぁ。
そういえば、
99年~2000年位はまだ都内でも珍しかったユニクロが五反田TOCにあって(今もある)一時期同僚とよく買いに行ったっけ。
その時買ったデニムのスカートは10年位活躍しました。
現在は全く行かなくなったなユニクロ^^;
五反田TOCも業後によく行きました。
再開発に伴い解体の話があったけど、延期になったとか(安心)
でもそしたら閉店しなくてもよかったじゃーん→喫茶マーブル(五反田TOCビル内)
今年の五反田での仕事の際も少し街中撮影したので、また時期が来たらアップしたいと思います。
2019年6月、仕事帰りに外観だけ見に寄った杉野記念館。
☆その時の記事☆
以下6枚は2019年6月の画像です。
ステンドグラスとスクラッチタイルの色合いが素敵な洋館。
普段は公開されていないので、この時はピタリと閉じられたたドア。
ここまで2019年6月の画像。
そして、同じ2019年11月に!
内部見学が叶いました。
ここから2019年11月です。
この日は晴れ過ぎて、外観がひなたと日陰のツートンになってしまった。
(このツートンがイヤなので、レトロ建物撮影は曇りの日が好き)
しかし何はともあれ嬉しい。
もちろんドアはオープン!
しかもwelcome状態♪
この日「オープンしなけん」という、品川区にある歴史的・魅力的建築物の1日限りの公開イベントにより入場が叶いました。
建築物の新たな魅力に気づくことや身近な建築の楽しみに触れることを目的に、所有者の協力を得て品川区が2018年から調査を始め、実施しています。
※関連サイトより
所有者の方に感謝!
前の記事にも書きましたが、こちらはドレスメーカー学院で知られる杉野学園の創始者杉野繁一・芳子夫妻の旧宅です。
ご夫妻の没後に学園に遺贈され、現在杉野記念館となっています。
設計はアメリカで建築を学ばれた杉野繁一氏が自ら手がけたそう。
1938年(昭和13年)築。
昭和20年の東京大空襲では学院の校舎の大半が焼け落ち、焼失を免れたこちらの自宅は戦後の復興期に2階の一部が教室として使われたこともあるそう。
ステンドグラスはもちろん、このブルーともグリーンともとれる微妙な色合いのスクラッチタイルがほんと好み。
2階にもステンドグラス。
のちほど中からの画像載せます。
いい窓~♪
外からと中からのステンドグラス。
もう玄関だけで素敵!
外からしか見られなかったこのステンドグラスを、この日は中から拝めました。
インテリアはアール・デコ調。
玄関の豆タイルもかわいい。
ドレスメーカー学園創始者の元邸宅だけあって、
素敵なデザインの洋服がたくさん展示されていました!
ここにもステンドグラス!
雲と海とヨットとカモメ。風も感じます。
この時は床のアップを撮り忘れましたが、明治期の洋館建築で多用された寄木張りの床でした。
ここ5年間で多くの近代建築を見に行きましたが、板張りの床はほとんど寄木張りだったような、、、
この3着、恐れ多いけど細かったら着てみたい・・^^;
このイエローのドレスは結婚式の二次会で着たのと似てるなぁ(遠い目)
昭和なエアコンも好き。
レトロフューチャーなライト!
「オープンしなけん」では今まで公開していなかった2階の和室も見せてもらえました。
階段のライトとステンドグラス。
外から見えた(見上げた)階段のステンドグラス。
明治期や大正期の洋館の階段って、手すりもチェックポイントですよね。
そして、2階和室。
立派な仏壇に書院、格天井、細工の細かいライトなど。
洋館建築はドアノブもオシャレ。
この鍵穴にもテンションあがる。
戦前建築なので、ネジはマイナスネジ。
こちらは陶製のドアノブ!珍しい~
思いやこだわりが詰まった見所たっぷりの邸宅でした!
もう5年も前のことですが、よい機会に恵まれ、素敵なものを見せてくださった「オープンしなけん」と所有者の方に感謝です!
一緒に行ってくれた職場の元後輩もありがとう♪
(見てないと思うけど^^;)
永遠に終わらない気がする東京都台東区のレトロ建築。
2014年頃から撮り始め、インスタ散歩友達とも何回も歩いて(台東区ローラー)残すは花川戸や今戸などあと一部分なのですが・・
今回は2019年と2021年に4回ほど撮り直しに歩いた入谷。
※一部2019年画像ですがほぼ2021年です。
レトロ散策マニアでは有名な「水上(みずかみ)酒本店」
なにがスゴイって、木造三階建てなのです。
1900年(明治33年)創業だそうで、建物自体はは1929年(昭和4年)築。
戦前の建物です!
空襲の影響を受けなかった、または少なかったエリアは戦前建築が見られることがありますが、それでも貴重です。
重厚な出桁造り。
昭和レトロ看板の代表的存在の塩看板と「でんわでんぽう」。
塩看板はレトロ散歩していると、そこそこ見かけますが「でんわでんぽう」は稀です。
「でんわでんわ」なんていうのも見たことがありますが、合計しても私が見付けたのは6か7か所かな?
たくさん撮り集めてる人もいますよ~^^
裏側からもパチリ。
こちらは花見煎餅吾妻屋入谷店
花見煎餅さんはいろいろなところにありますね。
明大前店では購入して店内を撮らせていただいたことがあります。
確か昭和28年創業だったと思います。
戦後ですが老舗です。
こちらも歴史ありそうなお茶屋さん「山城園茶舗」
黒い豆タイルが光ってます。
看板建築のファサードもお茶っ葉色。
もうどこだか忘れたけど、琺瑯の町名看板も!
「地下鉄入谷駅」の文字にグッときます^^;
(営団地下鉄のこと)
こちらは入谷に来るたびに通る道にある、木枠に型板ガラスが入った6枚引き戸の、元商店か作業所か・・
今では製造されない型板ガラス。
模様にちゃんと名称があることを知ったのは、数年位前。
これは「もみじ」かな。
こちらもなかなか香ばしい物件。
木の引き戸。
東京でもまだまだ残っていて、台東区ではよく見かけます。
もちろん減ってはいますが・・
散策の時は外観だけ撮っておいて、のちに入店した喫茶店。
→ 入谷☆喫茶 路
そして、、、
路地に料亭のような佇まいの建物を発見!
呉服屋さんのようです!
知る人ぞ知る?その道では有名なのかな?
大和張りの板塀も貴重になりました。
昭和モダンな小学校。
関東大震災による復興小学校だということは、近代建築やレトロ建築好きならピンとくるはず。
しかもこの時創立106周年(2021年)!
この日は平日だったからか、あまり撮らなかったけど(枚数があまりなかった)かっこいい校舎。
昨年、休日にまた何枚か撮りました。
復興小学校の校舎は閉校以来いろいろと活用されてはきたものの、近年解体が続きましたね。。。
文京区の元町小学校、台東区では下谷小学校に坂本小学校など。
どこかの路地。
すごい古そうな缶・・
「台東区路地特集」で本出せそうなくらいいい路地たくさんあります。
追々、アップしていきたい。
消滅する前に・・